驚くほど遠くまで届いたらしい。
11/22 23:23現在RT:3200件+引用RT:216件合計3416RT 3233イイネだ。
活発な時期はすぎたが時折まだ通知欄が動いている。個人的にはフォロワのフォロワに届けるつもりでツイートしたのだが100RTを越えたあたりでこれはもしかしてと思って観測してしまった。
これはその記録です。
ちなみにわたしはTwitter歴14年目だがバズとは無縁で生きている。試しにmin_retweets:1000 maronuで検索してみたが今回を入れて3つしかなかった。界隈にウケがよく景気よくばんばん回ることはあっても100を超えることは少ないのだ。
「現地レポはウケても、それらを全部エントリで読めて整形もしたエントリを書いてぶら下げてもブログへの誘導はさほどアクセスがあがらない」というのがアイナナトークイベントレポエントリでの結果だったが今回は意外だった。
今回バズった理由は時節柄にうまいこと乗っかったからだと思う。
・「借金祭壇」「自転車操業」と呼ばれトレンドにも入っていた、耳を疑うようなレベルのオタク間の取引トラブル事案が世間を騒がせた
・グッズオタがたどり着いた最悪の結末に、グッズのオタクが我に返って自分を顧みた
・その辺の需要とわたしが半径2クリック先に投げた「グッズ厨卒業エントリ群」供給が一致した
そんな感じだと思う。そんな仮定ができるほどリンククリック率がとても高かった。
12RT当時(11/18 17時頃)
ちなみに12RTのスクショがあるのは12RT目が一番最初に届いた通知だからです。
引用ツイート200以上あるけど読めるのはほんの一握りなのでたぶん鍵アカからめちゃくちゃRTされてる。
491RT当時(11/19お昼過ぎ)
1000超えてさすがに一緒の物が通知欄の一番上にあるのがうっとうしくなったのでフォロー外からの通知を切った。
鍵アカからと思われる引用ツイートが多いせいか、はたまた今はRT画面で先に引用ツイートの画面が来るせいか、ツイートへのリプライは現在に至るまで皆無。
2000RT当時(11/19 23時半過ぎ)
3000RT当時(11/20 17時ごろ)
インプレッション(ツイートが表示された回数)の割にリンククリック数がものすごく多い。1人が複数回叩いて読み返していたとしても、雑に計算したところだいたいタイムラインに10回表示されるごとに1回は踏まれていた計算だ。
台風が来る前は養生テープが売れる、災害発生後は非常用持ち出し袋が売れる、そんな風が吹けば桶屋が儲かるがごとく懸案ごとがある現代のオタクに忍び寄った対策・体験談。
そんな感じだと思う。
オススメエントリとしてツイートした以下のエントリ
グッズ厨をやめるために頑張った話1〜我に返る編〜 - tubu-ota’s diary
はこのブログ内でもたびたびオススメエントリです、と紹介してきましたが、今回は「このブログが卒業に至るまでのエントリで完結していてよかった」と思う気持ちはあります。だってどんなに好意的に紹介されていたとしても「昔書いたエントリが3日で3万超アクセス」って超怖くないですか。うち20年近くやっていて約53万なんですよ。
GOSICK新作エントリがニュースサイトに捕捉されてカウンタ爆発した時には記念スクショを残しておいたぐらい。今回はあまりにも伸びるからわたしが先方になんか申し訳なくなってエントリを書きました。
「バズッたので宣伝します」もやってみたかったのでやろうと思ったけど、自分に特に宣伝することはなかった(この時はまだ絵馬に願ひを!の第2弾詳細もきていなかった)ので有閑貴族エリオットの幽雅な事件簿の宣伝をした。
ちなみに宣伝効果はこのぐらい。これはぶら下げ元ツイートが3000RT当時の物です。
エリオット2巻の書影もこの前出て金髪巻き毛の美少年がとてもいいので見てほしい。ここからしばらくCMです。
グッズの話をしよう
グッズを買うこと自体は全然悪くないんですよ。むしろグッズ欲しい〜〜〜って思えるコンテンツに出会っていて、しかも買えるグッズがあるのってとても幸せなことだと思うので。
でも新規ハイのまま延々と浪費を続けてしまうようになったらちょっと立ち止まった方がいいのでは、と思います。何事にも適切な距離感があって、たがが外れた状態がいつまでも続くのはよくないです。これは何もお金だけを差すものじゃなくてそれに費やす時間も含みます。
ちなみにこれがわたしの最近の新規ハイ。去年の神戸ペンショー(初めて行った万年筆界隈のイベント)の戦利品。
欲しいインクを羅列していってちょっと多いなって1万5千円ぐらいに調整して、2万円持って行って、2万4千円ぐらい使ったやつです。本当なら今年も行くはずだった。
後は何だろう。自分がこのグッズを買わないとコンテンツが終わってしまわないだろうかという強迫観念もあんまりよいものではないと感じています。続いてほしいと思うものにお金を落とすこと、とてもいいことだと思うんですよ。
最近リアル周囲で言われたことなんですけどスマホでとあるウェブサイトを見せながら「これ便利なんですよねー。ネットで漫画が見れるんですよ。前あった漫画村の後継みたいなやつです。出版社もこんなんされたらたまらんでしょうけどねえ」というあれに比べたら推しに対してよっぽど真剣だし適切だと思うんですけど、義務感で趣味やるようになったらしんどいですからねえ。
あっちは商売でこっちは趣味なので。これ面白いんで見てくださーいってブログ書くぐらいがわたしにはちょうどいいです。
ちなみに上記の「漫画村の後継サイコー」って言ってる人には特になんも言ってません。ゴールデンボンバーのガイドラインでいうところの「大切な知人」でも何でもないので「へー」って相槌だけ打ってスルーしました。
趣味だけど現場がないと外見を取り繕うのがおろそかになるし、遠征にあわせてあれしようあそこに行こうなにか面白そうな展示やってないかなとという新しい刺激を浴びるために深堀していく頻度が圧倒的に減るのでコロナには早く収まってほしいし大手を振って東京に行きたいし具体的な使う目的と明確なゴールのある貯蓄がしたいです。
浪費は必ずしも悪いものではない、と書いてある本が以下です。引用でもってこのエントリを締めます。
横山 光昭 伊豫部 紀子
新潮社
売り上げランキング: 118,068
ある人はこう言いました。
「『必要』は、生産性のないもの(三つのモノサシでいう消費ですね)、『欲しい』というものは、生産性があって今後の自分にも役立つもの(投資ですね)と、逆に、単に自分が欲しい、意味がなくても言い訳なしでほしいものだ(つまり浪費)」と。
この人の考えで驚いたのは、欲しい物は欲しい、と認めてやっているということ。
(略)
私たちは、欲しいという気持ちを悪いものとして否定してしまいがちなのですが、この人には「欲しい」というタグをつけ、その認識のもと、「欲しいから買う」と認めてやっているということです。自分なりの価値観を持った上で、現実を否定しない考え方が大切だ。
(略)
だから「浪費」も「浪費はするな」ではないのです。ちょっと挑戦したいもの、楽しそうなもの、欲しいものがあったら、浪費という認識のもとお金を使ってみては?と言っています
(P45)
横山さんは。「衝動買いしてもいい」「ムダなものを買っちゃってもいい」「失敗したっていいじゃないですか、失敗を自覚さえしていれば、それさえ投資になりますよ」といつも言っています。
その先にある幸せを見据えていれば、今の衝動買いにによる幸せもまた必要な物だし、長い目で見ると吸収できると考える余裕も出てきます。
逆に、お金を貯めることが、未来の不幸を避けるために必須なことになってしまっていると、いくら貯めても不安はなくならず、きりがなくなります。
(P96)