カテゴリー「 読了 」の記事
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2002年から2年半Frauで連載していたものを文庫オリジナルとして本にするにあたり、絶版になった本を除き連載時に紹介した本とは若干入れ替えさらに加筆修正を行いましたというブックガイド。
エッセイ風にはじまり、これこれこういう感じのひとはこの本を読んでみてはどうでしょうかと各章末に3冊おすすめ本が掲載されている。それがまた絶妙に気になる感じの本なのだ。
3冊のうち1冊は知っててあと2冊はなんだね君らは、という感じの本である。
積読が増える ? やべえ /
ちなみに章末には2009年追記、というのもついてくる。時事ネタは少なめだと思われる。伊集院光が痩せてるとかソルトレイク五輪とか。
1日1000歩以下しか歩かない生活というのは、一体どんなものなのかと説明すると、それは家から一歩も出ない引きこもり生活。起きて、本読んで、適当に料理でもしつつテレビを見て、ネットでもして寝る——。
(P67)
誰かを思い出すなどした。
僕・中学生の隼太と歯科医で義父の優ちゃん、時々お母さんの話。
いきなり隼太が優ちゃんに殴られているシーンからはじまる。
優ちゃんは通常時は優しいお父さんなのにキレると手がつけられない人なのだ。お母さんはこのことを知らない。優ちゃんはこのことを話してしまって一刻も早くこの家を出るべきだと思っている。でも隼太はそれを許さなかった。本当なら病院に通うなり出て行くなりするべきなんだろうけど嫌がり「暴力を振るうだけふるって逃げるのは卑怯だよ」と解決方法を模索する。
学校に行ってお母さんが夜働いているスナックへいって喋ったり、優ちゃんと心理学の本を読んでみたり絵本を読んでみたりカルシウムをとる料理をつくって食べてみたりする。時々嵐が起こるけど平穏に日々は続いていく。
闘病生活を頑張る夫婦のように、虐待する側される側が手を取り合って、しかも虐待されてる側がイニシアチブをとって解決方法が模索するのとか非現実的と思うけど最初からそういう雰囲気なんだしアリだ! と思うんだけど最後はどうしてそうなった!感が半端ない。
あの対応は間違ってないとは思う。間違ってはないけどすべてが終わったような流れであの展開はひどくしょんぼり。嫌な言い方だけど、「男同士傷つけ傷つきあいつつ支えあって頑張っていたのに女が首突っ込んで駄目にした」としか思えないんですよ。「お母さんをないがしろにしてた」のは事実ですが「これ最初からずっと父と息子の物語だったのに」って思うので。
児童相談所に通報されるとかお母さんがいる場で優ちゃんがキレるとかそういうのだったらしょうがないと思うんだけど。あのまま何事もなかったかのように幸せになってもよかったのに隼太はまた理不尽な暴力にさらされて終わるなんてあんまりだ。
でも現実はそんなもの? 釈然としません。
短編集。ホラー要素も時々まじるすこしふしぎな物語。
H大学1学生部奨学係にはアルバイトを斡旋する女性職員がいる。
彼女はふらりとあらわれた学生に対して「あなたは行くべきよ。断らないでね」と言いバイトをさせるのだ。
好きなのは「アタエル」。いや読みながら超怖かったんですが1個選べといわれたら多分これを選ぶ。
ただ「犬に餌をやるだけの簡単なお仕事です。ただし噂ではものすごい凶暴犬」なんですが、想像力をかきたてられる類の怖さ。
ふだんは「あなたは行くべきよ」という結城さんが「本当ならあなたは行くべきではない」という。
凍った謎の肉に張り付いた一筋の黒い毛 とか どう見ても内臓 とか。
いやいや下手したら高口殺されるんじゃないかと思った。
そんな初の乾ルカ作品でした。まだデビューしてまだそんなに間がない感じでとりあえず他の本も読んでみる。
- おそらく北海道大学 [↩]
台所風呂トイレ共同の共同生活度の高いあるアパートでの話。語り手が1話ごとに変更する短編集。
爽やか! っていう感じとか青春! みたいな方向ではないです。
真綿荘にはそれなりにややこしい事情を抱えた面倒くさい感じのひとたちしか住んでません。
「真綿荘の恋人たち」の結末はどうしてそうなった! っていう感じなんだがそれがよいハッピーエンドなのだろう。逆から辿る私の男っぽい。あと椿と八重子は百合だと思う。
すぐに呼吸が苦しくなるほどに鼻が詰まって、いそいで数枚の紙ナプキンを引き出して顔を覆いながら、自分でもびっくりするほど溢れて止まらないものに揺さぶられて、嗚咽が、吐き気のように込み上げました。
愛されないことを受け入れるのは、いったんあきらめてしまえば、たやすかった。だけど、こんなにも長い間、持ち続けていた悪い夢が色褪せていくなんて、想像もしていなかった。(P237)
千原ジュニア語りおろし、みたいな1冊。
どこにいれるべきか解らなかったので便宜上このカテゴリにしてます。図書館の分類によれば779.1ということでぐぐってみると、779が大衆演芸・779.1が寄席ということ。うん確かに寄席だ……!
ジュニアはせいじ好きだな! すべらない話とかでは残念な兄ですと言いつつ好きだな!
レッドツェペリン初来日とか死ぬ。すごい隠語。陣内天然すぎる話はおもしろい。
逆にせいじがまったく人見知りしないのは、あれはあれでひとつの才能なんでしょうね。海外に行って言葉もろくに通じないのに現地の人に話しかけて、いつの間にか盛り上がったりしてますから。本職のほうで本番になると異常に緊張したりするのが不思議ですけど。
(P107)
好きだからこそ嫌いになる、好きを突き詰めると嫌いになることってけっこう多いと思うんです。でも、自分の「好き」や「嫌い」を探していって整理する作業って、何かを考えることでもあるし、志向をハッキリさせることなので、大切なんじゃないかと思いますね。
(P111)
これは、バーで飲んでたときの朝4時ぐらいに「パーン」と思いついたんですけど、人は十月十日で生を授かって、この世に生まれる、十月十日で人生を迎えるわけじゃないですか。で、この「十」「月」「十」「日」を組み合わせると、朝という字になる。人生の朝を迎えるということなんです。
(P114)
男装の姫君と女装の若君の華やかな運命劇!
男は男らしく、女は女らしく。そんな常識にしばられず入れ替わって成人を迎えた異腹の兄妹。宮中にまきおこる様々な悲喜劇は、男女の生き方を現代にも鋭く問う。出版社/著者からの内容紹介
子ども向けでふれてみよう日本の古典その1。
何冊かは小学校の時図書館でマンガになってるやつとか教科書とかで読んだんですが再度読んでみようぜ、という試み。子ども向けにすると詳しい図とか解説とかが注釈として載ってくるので。
この本は基本的にすべて現代文・分かりやすさ重視のためカタカナも一か所登場した。
おそらく底本などでつけられてないのであろう「登場人物の名前」が「この本では仮にこう呼びましょう」と名付けられています。しょんぼり、と思ったのは和歌までがっつり現代語訳されていることですか。
1冊目、とりかえばや物語。
生まれもって男の格好をして育った姫がそのまま男として出仕したり、生まれもって女の子らしく育った女の子が入内したりする話です。出世したり女だけど男ということにして妻を娶ったりその妻ができちゃったり素性がばれたり色々する話です。
この本では夏雲と呼ばれる中将の君がふつうに超きもいと思ったんだけどもこれでも子ども向けということでマイルドになってるんだろうなあ。入内して宣耀伝の内待となったこの本では秋月と呼ばれる女装の若君と東宮の出会い周辺はとてもきゅんとした。
「わたくしは秘密をもつ人間なのです。でも、宮さまをいとしいと思う、しぜんな感情にさからえませんわ……わたくしがおきらい?」
「いいえ、大好きよ。」
「なら、わたくしを信じてくださいませ。あなたさまを、おいとしく思えばこそ、ですから。」(P54)
ちょっと前の「青春と読書」で嶽本野ばら×宮木あや子対談で気になってたんだけど、この前ふと出会ったので読んだ。現物はもっときれいなピンクなんだけど書影はなんでこんなにくすんだ汚い感じのピンクなのか。
タイトルどおり14歳の2人、片方はロリータ少女仲葦さんと昭和ガキ大将藤森君の遠距離恋愛の、すごく王道で平凡なはなし。
舞台は名古屋です。わたしがはじめて名古屋に降り立ったころの名古屋を思い出してきゅんきゅんしました。生活創庫にあるゴスロリブランドの店とか。スガキヤとか。パッセ8Fの星野書店とかナナちゃんとか。まだゴスロリバイブルはなくてケラだけだったとかジュディマリ・TSUNAMIひゃっふー。
遠距離恋愛をすることにした2人が決めた合う方法とか本当にふつうの14歳らしい必死っぷりなんだよ。
14歳ってなんでもできそうな万能感とどこへも行けない不自由感を併せ持ってる不思議な年だなあと思う。かつて14だった私はどうだったかというとばっかじゃねえのっていう中2っぽい万能感はやっぱりあったなあと思う。
よく、嫉妬や計算があるうちはまだ愛に辿り着いていなくって、その人が存在するということだけで幸せを感じられるなら、それが愛だとか、報われなくとも与えることだけで満足、無償の域に達した時愛の本質が解るだとかいうけれど、本当にそうなのかなぁと疑問に感じます。10代で本当の恋愛なぞ出来るものか、ましてや中学生で恋だなんて、かりそめあったとしてもそれは恋に似たあどけない稚拙なものだと往々にしていわれるけれど、ならば一体、何処からをちゃんとした恋愛としていいのか。私にはその境界が観えません。
(P78)
街でも公衆電話自体を見掛けなくなりましたが、通話時間が残り少なくなると鳴るブーという無情な音、仕方なく10円を追加するとガシャンと落ちるコインの音は切なくて、時々、まだ夢に出てきます。
(P132)
魔女の宅急便原作角野栄子氏の自伝+魔女の宅急便創作秘話、的なもの。
子どものときから読んできた本・書く側に回ることになったきっかけ・魔女の話。
大学卒業してその後就職したり結婚したりするうちに国が推奨している「ブラジルへの移民」としてわずかなお金を得て船旅で2ヶ月かけてブラジルへ行ったとか。ほんの数十年前なのにそんな時代もあったんだなあと思う。
ドイツ語では魔女のことを「ヘクセ」という。これを古い言葉までたどっていくと、「垣根にのぼる人」という意味があるらしい。垣根、それは城壁とも言える。その高いところにいて魔女はあっちとこっちの世界を見ていた人だったのだ。
(P105)
思わず東方ウィッチクラフトを思い出す。
読む順番間違えた。これが全四冊のうちの最終巻で、書下ろしは高等部への受験とかそんな感じの。
でもおそろしく記憶ははっきりしていた。10代の記憶って凄い。
収録されているのは「お嬢さまと無礼者」「お嬢さま大戦」そして書き下ろし「受験戦争と平和」
あとがきで本編では明かされなかった裏設定・裏話が公開されていました。
世間ではライトノベル作家が一般小説のジャンルに移行することはステップアップとみなされるようですが、実は私はライトノベル界を卒業したのではなく、放逐されたのです。私がライトノベルを棄てたのではなく、ライトノベルが私を棄てたのです。
よって今回のお嬢さまシリーズ復刊で、私は非常に救われた気持ちになり、また、新作短編4本を執筆するチャンスをいただいたことは、ささやかな再チャレンジであり、リベンジでもありました。(あとがき P360)
これが印象に残る。
気になる書評家双璧の片方1、藤田香織さんが日記本を出していることを知ったので買ってみました。
内容は2001年から2002年1月まで。主に日記とごはんです。あと本のこともちょろっと。
あとがき曰く「フリーになってまだ数年。何でも屋状態から書評家への過渡期」
タイトルにもある「だらしな」、藤田さんは掃除洗濯運動がとても苦手な方だったのだ。その辺も包み隠さず書かれているので潔癖症な方には想像しがたい世界が広がっている……かも。
内容はというとこんな感じ。ちなみに最新はこちらです→Webマガジン幻冬舎。
かつてすべてがEになる—I Say Essay Everydayを出した幻冬舎だけあって文字が超小さい。縦書き・文庫ですが段組されています。そして370ページ弱あります。
- もう片方は三村美衣さんです [↩]
P3Pノベライズ。P3Pだけに主人公は女1ですが、この話の主人公はベルベットルーム組です。もっというならエリザベスです。時間は12月末?1月下旬なので少なくとも終盤までプレイ済前提です。
P3のみでも大丈夫かなあと思いつつテオドアがいるので……。
エリザベス料理の「のようなもの」わらった。イゴール主なのに虐げられまくっている。和む。
ベルベットルームの日常が垣間見れる! 目を閉じたイゴール(の描写)が見られるのはこの本だけ!
しかしP5が出てそれにイゴールが出ていてももうP4までのイゴールとは違うというのが寂しい2。
ハム子だとミックスレイドは存在しないのだけどもここは見せ場ということでミックスレイド有でよかったなあと思う。一瞬出てくるけどガキ先輩ルートだった。ていうかさらっと触手がでたよ! びびった。
P3Pハム子学園の日常もノベライズが出ないかなと思うのだ。ハム子を選ぶととても乙女ゲー的展開が広がっているのでビズログで! ペルソナ4 Your Affectionみたいなやつがいいです。未プレイ者お断りみたいなのでもいいので。
「真実はテオ。貴方のみぞ知るとわたくしも思っております。さ、吐きなさい」
「で、ですから! 滅相もないと——」
「メギドラオン、でございます」
この後。四度、テオドアはエリザベスにメギドラオンで吹っ飛ばされ、最期は涙ながらに白状した。(P34)
短編集。ついに表紙に登場アキちゃん。
僕とホンネの召喚獣はよいね! 駄々漏れだね! 久保君歪みねえ!
ムッツリーニの中身とか、年相応の健全男子たる雄二とか、どこまでも天然明久とか、どこまでも2人の世界を展開する雄二と明久とか。サモンの罠に笑った。
あと(ガタッ とか(ブシャアアアア とかtwitterを連想しすぎて最早どちらが本家か分からないような状況。
美波がすれ違いラブコメフラグを、かたや姫路さんは同居モードへ突入するものの「変態という名の淑女」「些細な戦略などフルボッコにする程度の殺人コック」レベルを上げている……!
同居ということはムッツリ商会に大枚はたかなくてもやりたい放題じゃないか!
どうなるんだ8巻。もしくはX.5巻。
「雄二。ここから先は地獄への一方通行だ。逃げられると思うなよ……!」
(P141)
ここだけ見ると無駄に格好いい。
まあ内容を一言で言うと「うららさんおめでとうございます」に尽きる。
2008年と1995年を行き来しながら語られる物語。
2008年の僕は殺人未遂の容疑で留置場にいた。追憶しつつ話は進んでいく。
13年前・95年、僕は裏山で「セミ」と出会った。セミは裏山でロープ片手に自殺しようとしていた。
セミという名前は僕が名付けた名前で、セミは僕のことをイルカと呼んだ。そして幼馴染みの由利、カバの呪い、野球の勝負、セミと過ごす1週間。
ラストは「どういうことなんだ!」というもやっと感はあるけど、95年の話は確かに「いつまでも読んでいたかった」と思うような物語。
待ち人にイライラしたり、相手の親が出るかもしれないドキドキ感や、テレホンカードの残数にやきもきしたりすることが、全てマイナスだったとは思えないのだ。
擦れ違いは確かに減った。でも、その分、人との摩擦することも減った。僕らは心を不用意に揺り動かされることはなくなったのだ。(P95)















