お人好しの父が騙されて領地を騙し取られ生活の糧を求めて王都へやってきたオデット一家。
なんとか残った別邸と見栄っ張りな母の意向で貴族としての対面は保っているけど内職で生計を立てている。
貧乏貴族オデットのもとに数年に一度開かれるという名門アイゼンテール家の舞踏会への招待状が届く。当家の若様を親切にしていただいた御礼に、とドレスとアクセサリも当日の迎えの馬車も何もかも揃ってのお出迎えだった。
よい華やかさです。ちょっとシンデレラを思い出しました。
しかしオデットが玉の輿に乗っていく話では(今のところは)なくうまい話には裏がある系の物語です。
なんたって帯文からして「あたしの寿命を返して!!」
命の炎とかはちょっと落語っぽいなと。
キャラクター的にはレヴィローズっぽいなあと思いつつ、これは続刊が楽しみです。
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「変人揃いの洋館アパートといえば鳥篭荘だな!」といってるときに「変人揃い洋館アパートといえば望楼館」という声があって手を伸ばしてみる。
すごく変だ!(褒めことば) 思ったよりずっと厚かったし、海外モノは不慣れなこともあり読めるかなあといざ読み始めてみるととてもおもしろい。
望楼館は24世帯が暮らせるように設計されていたが、住人を慄かせた「18号室の新しい住人」がやってくるまでは七人のだけだった。ぼく、フランシス・オームはどうにかして新しい住人アンナ・タップを立ち退かせたかったが、アンナ・タップは住人の心に入り込み、住人は追想にふけ語った。凍りついた時間は動き出し館に変化が訪れる。
凄く変なのである。変だけどおもしろい。
望楼館の住人は、少人数の風変わりな仲間だった。いや、ぼくらに共通しているのは同じ建物に住んでいるということだけだったので、仲間という言い方は正しくないかもしれない。ただ、ひとりでいる時間が長くなればなるほど人は気難しくなるものだから、長いあいだ孤独に暮らしてきたぼくらはどこか似通ったところがあったかもしれない。(略)彼らは自分自身から逃れたいと思っている。肉体からだけでなく、その過去、現在、未来から逃れたいと思っている。つまり自分とつながりのあるものはなにもかも、永久に忘れてしまいたいのだ。
(P15?P16)
我慢なんかできない! わたしを自由にさせて! わたしにさわらないで! わたしは生きている! 死にたくなんかない! そんなところに座ってないで、動いてよ! お願い。人間だってところ、見せてよ。フランシス、動いて。話すのよ。だれでもいいから!
(P455)
食堂かたつむりに続く第2作。かたつむりよりこっちのほうが好き。しかしやっぱり雰囲気重視なんだな。
関係を気にせず読むならほんわかしたいい恋愛と下町の日常話。
実際は何でもっとどろどろしないのか不思議なぐらいの突っ込みどころのある小説だった。
かたつむりもそうだったし、これはもうそういう作風なんですと思うしかないのかも。
舞台は東京谷中。
アンティーク着物の店「ひめまつ屋」を営む横山栞はお正月のある日、父とよく似た声を持つ木下春一郎と出会う。彼は初釜に着ていく着物がほしいということでひめまつ屋を訪れたのであった。左手の薬指に指輪をしている男性だった。
栞は店で一人暮らしをしているが、父母は離婚済みで、父は再婚して山中で自給自足のような生活をしている。母は都営住宅で栞の妹花子と、異父妹楽子と一緒に暮らしている。栞はひめまつ屋営業を終えた後様子を伺いにいったりしている。
食べ物の描写がよいです。とり鍋天丼からあげ黒糖焼酎焼き鳥みつ豆お惣菜、食堂かたつむりよりよっぽど身近な食べ物が増えました。酒飲んでるところが地味に多いですね。「谷中はいいところですよ」みたいな描写もとても多いのでいつか行ってみたいなあと思うところでした。
しかしどうしようもなく気になるのは栞と春一郎の関係。浮気です。妻子ありです。
でも2人とも独身です、ていうか恋なんて初めてですとでも思うような初々しさ。やることはやりますが。
以下一応一応隠します。
春一郎本宅と谷中は別次元の空間みたいに春一郎の嫁の存在感が希薄。栞も春一郎も真面目な割には罪悪感的なものは感じられないし。最初は指輪は一応つけてるだけで嫁は実はもうお亡くなりになっているのかと思うぐらい早々に告白だった。
雪道嫁がはがきを持ってきたシーンで、名乗るまでは「ついに本妻が泥棒猫チェックにきた(゚∀゚)」とときめいたのに。最後は栞が春一郎と完璧に別れて新しい日々を送ることを決めるか、春一郎が離婚を決めるかの二択かと思ったのでえーーーそこで終わるんだ!って思った。
イッセイさんがiPhone使ってたから吹いた。
Twitter上の所持率が半端ないから実際の普及率がよく分からないがiPhone教は確実に存在すると思う今日この頃。ちなみに友達は9割ドコモです。
注文してからわずか数分で、見事な天丼が運ばれてくる。
「すごいボリュームですね」
「若いんだから、いっぱい食べろ」
どんぶりには、どこから食べていいのか途方に暮れるほどに、立派な天麩羅がこぼれ落ちそうになって入っている。海老、穴子、烏賊のかき揚げ、獅子唐。私は海老からかぶりついた。サクサクでカリカリの衣にくるまれた立派な海老からは、活きのよさが伝わってくる。しっかりと甘辛いタレと、とてもよく合う。箸で天麩羅をかき分け、ご飯も口に含む。
「幸せです」(P157)
妊娠出産育児と翻訳・文学・ことばをからめたエッセイ。
40歳ではじめて子ども(娘)を産んで4歳になるまで。翻訳のココロのほうが好きだったりする。
好きなことさえ見つかれば、きっとアンパンマンがその夢を守ってくれるのだろう。好きであることが大事。自分にあった仕事にしよう。優劣を競うな。ナンバーワンよりオンリーワンを目指せ。
(P103)
日本の経済と雇用の平和を守ってよアンパンマーン。
ちなみにこの後は好きにしなさいと言われ夢がうまっているよと煽られるだけはしんどいのではないかーと続く。
物の本によれば、不謹慎な、汚い、エッチなことばを、言ってはいけない場で言ってしまうのは、「汚言症」というらしい。言語の正常な発達過程で4?5歳ごろの子どもにも、そういった傾向があらわれるという。
(P134)
粟楠会の娘茜(絶賛家出中)のボディーガードを頼まれたセルティと、茜の誘拐を依頼されたやってくるロシアの戦闘狂。ヴァローナとスローン。よりにもよって静雄に喧嘩を売る茜(※10歳ぐらい)
あとダラーズに迫る悪意とブルースクエア。
帝人はいい人過ぎるな!(臨也はいい人だ!とかいってるあたり
ていうか遊馬崎ハーフだったんだな。遊馬崎ウォーカーはなんかの雑誌名かと思った。
一か所サイモンのルビがミーシャになってて、マッチョメンなミーシャ(Moira)を想像した。
270ページの静雄の挿絵がよかったです(*´∀`)いい仕事してる。
今巻もセルティは可愛い寄りの面白かった。リトルグレイ! リトルグレイ!
——ま、こういう時に、ウンザリした表情が出ないのは私の利点だね。
「そんなにウンザリすることはないですよ」
——エスパーッ!?(P85)
「嘘だと言ってよ」の後は「ジョー」と続ける程度のラブシャッフル脳です。
竜児が母はこの家に帰らないといけない言ってるところと、やっちゃんかつての自宅に帰るのシーンがたまらんかったです。ああいうシーンはとても弱いのです。あと独身が久しぶりにフルネームで出た。ゆりちゃんは凄い。
竜児が描いていた幸せ未来予想図がいつかちゃんと実現していればいい。
「取り消しなんかできないから。私は返品できないから。離さないから。手遅れだから」
(P57)
「……竜ちゃんが生まれてきてくれなかったらやっちゃんはなんにもないよ! 竜ちゃんはやっちゃんの幸せの、人生の全部だよ! だから……怖かったんだよ————!」
(P175)
ザビとかから想定してた内容とまるで違ったのでとても驚いた……
買おうかどうか悩んでいる人の注意点
・新人賞受賞作を下敷きにしたシリーズ第1作といっても過言ではないほど終わってません。
・表紙のサイド2人の男子の出番は最初と最後のほうだけです
・サブタイトルはあんまり内容を表してないよ!
・人物紹介では「わがまま」となってるけどそんなにわがままとは感じない。
どっちかというと「人を疑うことを知らない」だよなーと思う。
アダリア国では王の血が魔の世界へ通じる門の番人となって封印している。封印といってもゲートのすぐそこに存在していることが重要で、基本的に国王はノーラムド城から遠く離れることは許されない。
先王の母は失踪。リーゼロッテはそのあとを継いで13歳で王となり3年が過ぎていた。
ある日反乱がおきていることを知り宰相の叔父の手引きでリーゼロッテは別の城へ避難するが、封印のため急ぎの馬車で5日かかる道を歩いて戻ることに決めた。名前をリザとして身分は隠して「王都の親族を頼って徒歩旅中の貴族」として道中出会った同じく王都へ向かう村人の馬車一行に混ぜてもらうことになった。その行程の中でリーゼロッテは自分が女王として何をやっていたのか思い知ることになる。
ヘルムートが好きだ。キーファスも多分私好きな部類に入ると思うんだけど、登場は派手だったけど村人と合流以後は地味な人だった……旅中はすごくのんびりしていたのに王都到着以後はとてもばたばたした。
次巻も買うかといわれれば「び、微妙……」という感じだ。
翻訳家になった経緯、翻訳家の悩み(一人称問題とか)など、「翻訳家とは」の1冊。翻訳のココロ金原Verみたいだな。
ラノベ方面では金原瑞人・秋山瑞人・古橋秀之の金原ゼミ鼎談が載っているので気になる人は読んでみればいいんじゃないかと。あとドルイドさんの人も金原ゼミの人だったんだなとか(あとがきに電撃大賞とか書かれてて、あれ……?とおもった。あの人MFJだったよな。背表紙緑だった気がする。
まず翻訳で食べていくのは、かなり厳しい。たとえば、原稿用紙300枚ぐらいの小説を訳すとする。本の定価が一二〇〇円で、初版部数が五〇〇〇部、印税率が六パーセントとすると(児童書の場合六パーセントぐらいか多く、一般書の場合六パーセント?八パーセントぐらいが多い)、訳者に入ってくるのは三十六万円。
(P132)
翻訳家は圧倒的に女性が多い業界らしい。増刷は期待しないほうがいいとか1冊で2ヶ月はかかるとか、一本でやっていくのは相当厳しいということが語られていた。
「キリスト教の用語はたまに仏教用語と混同されることがあって、翻訳をなさるときは、ぜひ気をつけてください。たとえば、キリスト教では『懺悔』という言葉は使いません。『懺悔』というのは仏教用語ですから」(ちなみに仏教ではこれをさんげと読むらしい)
(P180)
まじでー(゚д゚)とおもった。
そういえばキリスト教は「告解」っていうのがあるもんな……