カテゴリー「 エッセイ・ガイド 」の記事
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書評集。
書評を行う時も、文庫本の解説をお引き受けする時も、心に決めていることがある。できうるかぎり、その作者のほかの著書もあわせて読んでみて、そのうえで書評する、ということだ。
複数読むということは、つまりいくらかは知る、ということだ。知って、好きになって、とてもいいと思うから、書評したくなるのだ。
この書評集ぜんたいが、たいそう手放しに本をほめていると、読み返して思う。このひと、出版社のまわしものなんじゃない? と思うぐらい。(あとがきより)
前半のIは新聞紙上の10年分の書評。後半のIIは文庫本などの解説。
ちびちび読んでいたのだけど面白そうな本があったからぺたぺたべたべた付箋を貼った。びっしり埋まりすぎなんじゃね?と思うぐらいだ。
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気になった本のめもがき。(図書館になかった。県立はまだ見てない
永井愛「ら抜きの殺意」
P・クリアンほか 藤野邦夫訳「メドック 至高のワイン作り」
村田喜代子「雲南の妻」
スティーヴン・ヤング 薄井ゆうじ訳「本の虫 その生体と病理—絶滅から守るために」
10年分のエッセイ。文庫のほう買おうかなと思った。
直木賞もらうとその後しばらく大変だよ、と聞いてはいたが、具体的にどう大変かは聞いていなかった。受賞直後、押し寄せる各方面からのお祝いや取材に「どうして歴代受賞者の方々はもっと具体的に語り継いでくれなかったのだろう」と逆恨みまでしたが、受賞が決まってからこの1ヶ月を振り返ると、確かに「どう大変なのか」を具体的に語ることは難しいことが分かった。
(P304)
桜庭さんもそんな感じだったんだろうかと思った。(トップランナーは今日だよ!
彼女はもう何年もテレビの国の王子様に熱烈に恋をしています。平たく言えば、ある芸能人に常軌を逸する勢いで熱を上げているのです。(中略)彼女は仕事柄、テレビに出ている人に、舞台下の観客ではなく、努力次第では現実にあえる立場にあります。でも、いくら王子様に会えるチャンスがあっても「それだけは無理」と逃げ腰で私は歯がゆい思いをしてきました。(P27)
私にとってこれが幻想楽団の面々。
たとえ仕事上の話であっても、出張中にちらっと見たとかそんなレベルであっても、友だちに「xxに会ったよー」と言われたら全力でドロップキックだ。全力で妬むよ!エアー五寸釘を全身に打ち込むよ!呪われろ呪われろーみたいな。
でももし自分が会えたりするなら「うわちょっとそれは無理だーーーー」と思うのだ。このご友人の話は全体的に他人事じゃねーーーぞーーーーと思った。
ちなみに↑のxxに入るTOP3は陛下REMI亀ちゃん。
前巻に比べればもうちょっと軽い、ブログから抜粋の日常話系。3部作で、これが第2弾。第3弾は手術の話らしい。
くすぶれ!モテない系の原形(といっても割とそのままだが)になってる話も多かった。
男らしく過ごしていた高校時代の友達とカミングアウトした後に遊ぶことになったのところで、「むかしの友には割と男言葉」に結構なショックを受ける。え、それで男言葉なんだ……みたいな。方言使ってる時点で口が悪いのはある程度しょうがないのですが。(なんかこの辺の言葉は結構怖く聞こえるらしいんだ。だが私は直さない。
流行りモノに手を出してみようと思って川上未映子の既刊をまとめて借りてきた。とりあえずエッセイに手を出してみる。エッセイというか、ブログの書籍化。
日記というには余りに杜撰な記録であるし、随筆というには悲しいほどに直観に乏しく、コラムというには心構えが多分に脆弱
(あとがきより)
この前読売に桜庭一樹と一緒に載ってたエッセイでも思ったけど本当に一文が長いなーと。ふんふんと読む。
私は会社に行って女を呼び出して、そこで私は逆上したわけで。その場には喫茶店の店員が存在したために体を取り押さえられ考えていた復讐は阻止されたけども、後日私は女の実家の住所、電話番号を調べ上げて、週に3回は呪いの電話をかけていた。(P80)
この辺はなんかエッセイとは思えないのだ。この後もっと凄いことになる。そういう話なんじゃないかと思った。こえええ。
分類的にはエッセイのようですが、ただものではない。
クラフト・エヴィング商會をキリハラキリコで割ったような感じです。なんとも不思議で、とても笑える。ちなみに装丁とイラストがクラフト・エヴィング商會担当。
十月某日 一五〇八
押入れ上部棚より什器を取ろうとした拍子に、敵(大)一体が突如上から降ってくる。これをテロと呼ばずして何と呼ぶ。手近の火器にて応戦、電光石火の勢で敵を殲滅す。直接の被弾こそなかったものの、我が軍の精神被害激甚、以後数日間戦闘不能状態に陥る。PTSD発症者多数。(P100)
敵スペック:黒い・早い・沖縄には多く生息し、北海道では見られない。ホームステイ・イニシャルGなど複数の異名を持つ。
立体的な映像が浮き出るというデマが流れたシャツでめちゃくちゃ笑ってしまった。笑う→止まる→同じところが目に入る→笑うを繰り返していた。
↑では分かりにくいと思いますが、文字が赤と緑でふちどりがあって、しかるべき眼鏡で見ると飛び出しそうなタイトルをしている。
ダヴィンチでやってたエッセイです。
最初の方は穂村さん独身だと思ってたんだ。なんかのエッセイで「妻」って単語を見て、初めてこの人結婚してたんだって分かった。
エッセイには恋人の話も部下の女の子の話も恋愛の話もかなり出てくるけど、「俺は駄目な男なんだ!(主に男女間の機微において)」という感じの内容のが多いから「彼女はできても妻はできない」人なんだと思ってた。
風邪の自覚がそうであるように、恋も気づいたときには、もうすっかりやられている。その段階からなんとか防ごうとしても、まず難しい。薬を飲んでも休養をとっても、結局はフルコースを味わうことになる。症状の重さや結果の善し悪しはさまざまなだろうが、一通りの流れに乗るしかないのだ。(P126)
この回の話はきゅんきゅんしていたのだけどもここが最きゅんであった。すっかりやられている∩゚∀゚)
自分では当然そうだと思っていたり、自然に行っていることが、他人にとってNGというのは怖ろしい。好意を持っている相手の地雷を踏むのは怖ろしい。(P68)
この話は昨日読んでた本(つまり桜庭一樹日記)のグレートサスケだ!と思った。なんか繋がった話に思えた。相似のものはひきあうのかーと流浪の美貌の大賢者的なことを思った。
それにしても、共通の認識(だと思っていたこと)って難しいなあ。裏切られた(と思った)ほうも。怒りに触れた(おろおろする)ほうも。たいへんだ。互いの善意とか、歩み寄りたいと願う真心だけがこういう窮地を救うのかもしれない、と思ったり。
桜庭一樹日記-P112