「中田永一は覆面作家で正体は乙一である」という噂を聞いて。
きゅんきゅんする系の恋愛小説の短編集である。
小梅が通る>>なみうちぎわ>百瀬、こっちを向いて>キャベツ畑に彼の声
中学生のころ、わたしには、居心地のいい友人がいた。彼女はものしずかで、おっとりとした雰囲気のある少女だった。彼女のそばにいると、陽だまりを見つけた猫のように心はやすらいだ。
(中略)
「これでおわかれになっちゃうから、ほんとうのことを言うね。あなたなんか嫌いだった。死ねよって、いつもおもってた」
淡々とした声だった。夕日が彼女の顔に影をつくり、わたしの制服を赤く照らしていた。わたしは恐怖でうごけなかった。彼女とわかれるのがつらくて涙ぐみながら「いつかまた会おうね」と話した直後に、そんなことを言われたのだ。(P229・230)
スーパーS水タイムktkrと思った。
小梅が通るはこことラストシーンが好きだ。
8割表紙イラストの再録でした。
身代わり伯爵の短編は実に3ページ。まあフレッドだったけど。3ページ。
……次はもう応募するのはやめとこうな。
オペラはオペラ単品だからちょっと期待しておこう……
明日超大雨予報なのであれこれ買い込む&図書館に行く。
しゃっぷるがちょー売れてる感じだった。
そして数時間後。漫才を見つつ掃除。
この前ついったーで深谷晶子とか松井千尋とか竹岡葉月とかの話をしていて、懐かしくなったのでらったったと↑のとは別の図書館へ行く。
……出てきたころにはなぜか手には10冊の本が。
そんなわけで今我が家には両手が往復しても足りないぐらいの図書館本があります。さすがに我ながらお前馬鹿だろうと思った(まあ小説じゃなくてみて楽しむ系の本も多いんだけど
ていうか水の中の光りがなんかなくなってた。絶対に買ってない×ほかでは読むところがないはずなので、読んだのは確実にここなんだけど(検索からも消えているので借りられてるオチはない
謎だ……廃棄されたのかな……
コバルトが出来る以前の話や、氷室冴子・新井素子がデビューしたころの話から丘ミキ・MOTHER・ドラクエノベライズの話まで。久美沙織の作家人生について。面白かった……こっちも付箋がびっしりです。
・ハーレクインとアルルカンは同じ単語のイギリス風とフランス風読み
というわけで、小ジュがコバルトに変革していく怒涛の時代を、フロントライナーとして疾走した……というより、むしろ、ブルドーザーのように開拓して、あとから進むものたちのためのコース設定をしてくださったのが氷室さんであり、日本マンガ界ぜんたいが手塚治虫先生ヌキでは語れないように、氷室さんがいなかったら、いろんなことが「こー」はなっていなかっただろうというのが私の感想です(P58)
では、一般大衆娯楽文学と、「そのへん」の違いって、いったいなんなんでしょう?正直わたしにもよーわかりません。でも「もしかすると」コレではないかと思っているものはあります。
それはエロスの質です。
エロスというても、エロとちゃうよ。快楽。快感。官能。そうには違いないんだけど。「美的感動」というと、ちょっとはわかるかな。(P70)
「そのへん」=ラノベ
『おかみき』にウケてくれる読者の大半が、それを未来と朱海くんとの「ラブコメ」だと思ってしまってくれているらしい、ということだったのでした。
(中略)
すみません、わたし、マジ、困惑したんです。
わたしは「とある特殊な境遇にあった清純といえば聞こえはいいが融通のきかないタマシイが、別の(どちらかというと前よりは普通で一般的な)環境に放り込まれた時に、どのような摩擦をうけ、どのように苦しみ、そしてどのように自己変革して適応していくか」という物語を描いているつもりだったのです。いや、そんな壮大なテーマをそうカタクルシイ文章で意識してたってわけじゃないですけど。(P184)







