カテゴリー「 単行本 」の記事
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14歳の世渡り術シリーズブックガイド。翻訳ものが多めです。
本を好きになるきっかけの1冊、その1冊を見つける手助けになるようなブックガイド。押しつけでも恫喝でもなく、本を手に取ってみたくなるようなブックガイド。それがこの連載を始めた意図なんであります。
(P19)
しかし中学生新聞に連載されていたのならまだしも連載元は文藝。
リアル14歳向けではなく「かつて14歳だったあなたへ」でも十分なんではないかと思うぐらい固めの本が多く揃ってます。14歳が読んで即戦力になるっていうよりかは、大人になって振り返ってみて「14歳であの本よく読めたなあ」みたいな。
必読書150の紹介で
あえて入門書めいたものはリストからはずし、最初から誰にも文句のつけようのない高い山を提示し、その山を登るための正規のルートとは異なる、ときには危険でもあるようなとんでもないルートを各自が発見していけばいい、というのがこのガイドブックの意図ということは伝わるし(以下略)
(P17)
ラノベでいうとキノの旅とかを外して入門編寄りのところにされ竜が手招いているところを想像した。
セネガル旅行記。
セネガルという国はアフリカの北側西端の国で、首都ダカールはパリダカのダカのほうである。
言葉はフランス語で宗教はイスラム教らしい。でも本読んでるとフランス語よりウォルフ語喋れないのが大変そうだしキリスト教もあった。
いつもは紀行文とか読んでもどんな国なんだとか調べないんですが、セネガルはこの本読むまでは名前さえも知らない国で、せめてどこにあるどんな国なのかぐらいの情報は必要である……とwikipediaを読んでた。そしたらこれを読み始めた日の世界街歩きがセネガルだった。何たる偶然。
そこまで書いていいんかって思うぐらい内面書いてあった。最初はセネガルまでの同行者の編集氏に心の中で悪態ついてるところまで書いてらしたので後で気まずくなったりしないのかと思った。キャラクターズを初めて読んだ時のような気分だ。豚キムチはさらっと読めたけどこれはちょっと時間がかかった。
今、たった1ヶ月余で、もはや私には日本が本当に「在る」かどうか——あるに決まってるんだけど——その実感を失ってしまいました。もちろんメールのやり取りはできるし、日本のニュースもネットで見ています。でも、それはパソコンの中でしかなくて、どんどん架空めいてくるのです。もちろん私は日本語で喋るし、書きます。でも、セネガル人と喋っているとき、稚拙な会話しかできないくせに、日本語は自分の中から消えてしまうのです。
(P160)
児童書寄り。
小学5年生の静枝は親からは危ないから行ってはいけないと言われている古びた神社に立ち寄った。そこは和歌を祭る古びたヨロズバ神社で、神主の老人と幽霊の男の子に会う。
ここには平安時代の男の子の幽霊が出るという。1回は姿を見たことがあるが2回目はない人がほとんどの中、静枝は1回目は上半身だけだったが、2回目ははっきりと全身が見え言葉を交わせるようになっていた。少年は眞駒
万葉集とささやなか謎解き、恋のはなし。
「待っているばかりなのがいやで、ほんとうは静枝に会いたいのに、わざと出ていなかったりして……。ぼくにできることは、静枝の声が聞こえたら、すぐに出て行くことだけなのに。」
(P129)
分厚かった……(415ページある)
複雑な家庭環境の子たちの話です。虐待とか発達障害とか不登校とかそういう方向の。
あらすじの「この“塔”を出るのよ。」の塔ってなんのことだーと思ったら「普通」のことだった。
普通っていう名前の狭い場所に入りたがって、みんな押し合いへし合い人の上に人が積み重なっても同じ範囲内でいようとしてる。積み重なってどんどん高くなって塔になる。塔のほかに世界はなくて、塔からこぼれ落ちることは許されなくて、塔から出たら死ぬと皆(親も!)思ってる。
生きていくのって大変だ。
みんなクラスの中では、それほどいじめられこそしないものの、何となく『周辺』を漂って、少人数のグループを作って凌いでいた連中だった。そういう子たちが、我を出し始めていた。恐れをなくして、独走を始めた。
(P248)
ラノサイ杯終了したばっかりなのでAURAのことをちょっと思い出した。
タルト・タタンの夢みたいなものかと思ったら長編で殺人ありなんだな。
神戸でフレンチレストラン<ビストロ・コウタ>を営む幸太とその家族の親子愛な話。
スイーツとか食中毒とか料理人の葛藤とかそんな感じでした。
料理+ミステリだったら私は短編のほうが好きなようだ。
「一番の問題はな、食品偽装をするやつらに罪の意識が感じられへんことやねん。見つかっちゃったか、まいったな。でも死ぬわけやないから、そんなに怒らんでええやん。もうしませんから許してよ。そんな軽い気持ちが透け透けやねん。これはな、ごっつ危険なことやで。人の口に入れるものを作るってことは、それを食べる人の生命を預かってるっていうことや。(略)」
(P105)