インタビュー形式で進んでいく。
ゆっくり読もうぜとか多く読もうぜとかそういう方向の本ではなくて今までの読書遍歴とか読書スタイルとか本との付き合い方が語られている。読書術的な本は好きで色々読んでたけどこれはよかった。
まず言っておきたいことは、「読書はたいへんな行為だ」とか「崇高な営みだ」などと思いすぎないことです。それよりも、まずは日々の生活でやっていることのように、カジュアルなことだと捉えたほうがいい。たとえていえば、読書は何か着ることに似ています。読書はファッションだと言ってもいいくらいだけれども、もっとわかりやすくいえば、日々の着るものに近い。
(P12)
それから読書には、「読んでいると分からなくなるもの」もたくさんあるということです。これは著者のせいでもあるし、読者のせいでもある。また、ある読者においしいものが、他の読者においしいとはかぎらない。それはどんな著者のどんなテキストも同じことで、ということは、自分がその本に出会ったときの条件に応じて読書世界が独自に体験されるということです。
(P79?P80)
ぼくは個性の本質は「好み」だろうと思っています。最初から個性というかたまったものがあるわけではない。「好み」の揺れ幅のようなものが個性を作っているんです。(略)人にはそれぞれの本の読み方があり、好きに読めばいいんです。ベストセラーは読む、経済小説は欠かさない、新書は月に1冊は買う、SFは極める、推理小説はベストテン上位三冊を追う、古典に親しみたい、子供のために良書をさがす。いろいろあってオーケーです。
(P131)
自分では気がつかないけれど、実は「好み」というものは細部においてはきわめて多様で、複雑ということです。その上に、おおざっぱな「傾向」というものがぼんやりと成り立っている。「好み」は非常に多様で、バラエティに富んでいるのです。それが個性というものを成立させている。
(P132)
「役に立つ読書」について聞かれるのが一番つまらない。(略)むしろ「読書は毒でもある」ということを認めていったほうが、かえって読書は面白くなると思います。これはとても大事なことで、本はウィルスでもあるし、劇薬でもあるんです。その一方で漢方薬でも抗生物質でもあるけれど、だからといってすべての読書において対症療法のように本を読もうとするのは、いささかおかしい。そんなことはムリです。
(P139)
——どのようにすれば自分の「好み」の本に出会えますか。何かコツはありますか。
もしなかなか出会えないと感じているのなら、誰かのおススメに従ってみることでしょうね。自分よりも深くて大きそうな人の推薦です。「あの本は君に合うかもしれない、読むといいよ」と薦められた一冊を読むのは、やっぱりきっかけになる。その一冊のなかから、ずいぶんたくさんのものに出会える。ただし、できるだけ自分が尊敬しているか、気がかりな先輩に選んでもらうといい。(P143?P144)
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