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頭脳明晰の杜屋譲と瞬間記憶能力を持つ和登尊の中学生バディもの。

ノリとしては青い鳥文庫に混ざっていても不思議ではない。読了感がはやみねかおる作品のそれ。
中学校や塾の気に入らない(生徒を威圧する態度をとる)先生をこらしめてやる、ていうのが本題で、ものすごく頭がよかったり、記憶能力がとにかく優れているというだけでそれ以外のチート能力はなさそうで普通の中学生であるところは良かった。
いうて杜屋は「目的を達成するためには人をだますことはいとわない。中学生という立場を利用している」ダークヒーロー的な素材なのかな、と思うけどはやみねかおる感ある作品なので、「わたし10代だったらわくわくしながら読んだだろうな」という気持ちで読める。

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ドラマのノベライズ。虎に翼の脚本をやっている吉田さんが書かれていたので読んだだけでドラマは未試聴。
Kindle unlimitedにあったので読んだ。

「恋愛や性的な話を振られてもよくわからない」咲子は「いつかぴったりの人と出会うよ」というアドバイスに悩んだり「好きな人と恋に落ち結婚して子供を産む」という「普通」を求められている実家に息苦しさを感じ親友とルームシェアのつもりで実家を飛び出した……。

のもつかの間ルームシェアは始まる前に破談になった。「アセクシャル・アロマンティック(他人に対して恋愛感情も性的欲求も持たない)」という概念を知り、私これなんでは?? ということを知った。そういう性志向があることを気付かせてくれたブログの中の人が実はものすごく近くにいる男性で、なんやかんやでその人と同居することになった、という話。

「あなたを確実に傷つけて、心にできたかさぶたを、事あるごとに悪気なく剥がしていくような人たち」とは今週の「虎に翼」の心に残ったセリフですが、恋愛に疎い、というより興味の範疇外の咲子や咲子と同居することになった高橋の前にもそういう人たちが次々と現れる。
なんやかんやあって前に一歩進んでいく物語です。

ちなみにわたしはSound Horizonが好きなので、アロマンティックと聞くと「《無恋愛者(アロマンティック)》
姫子 君の苦悩には 何処かの誰かが 名前をつけて 分類した 」と歌いだすようになっているのだ。(恋では花は散らせない)

壁にはまだ余白がある。そこは私のために開けられたスペースだ。私が結婚して出産した際の写真を飾る予定の場所である。この空白を見ると、切り取ってどこかに投げ捨てたくなる。
家族のことは大好きだ。お父さんお母さんは愛情たっぷりに私を育ててくれた。いい歳して親離れ子離れできてない感もあるが、いつも私のことを心配、気遣いしてくれる人たちとの生活に安らぎを感じていたのも事実だ。でもこの何年か、ずっと圧のようなものを感じている。

あなたにとって推し活とはなんですかというインタビュー本。友達がこの記事わたしなんだよね、と言ってた記事を探しに行って書評コーナーで見て購入。
対象はジャニ(当時)オタ・メン地下のオタク、Vのオタク、ホス狂い、新規ハイからの推し疲れの人。かめなしくんのオタクで有名なぼる塾の田辺さん。

推し活についての本だけどみんな地面に足がついている感じ。理路整然としていて言語能力とかもしかしたらこういう心理なのかな、という推測能力が長けている。

この人とは感覚が似ていると思ったのはVのオタクのWさんで

Wさん「我を忘れているのが楽しい」ってあるじゃないですか。でもどこかで「本当に楽しんでいるのか」と自問自答をし続けているのかもしれません。何をするにも「推しのため」ではなく「自分のため」。もちろん、推しが喜んでいたら嬉しいけど、その顔が見たいのは自分ですよね? 反対に推しは究極的には他人なんだから、何もしてあげることはできない。万が一推しの人生に大きな問題が起きたとしても、それは本人や周囲の人に頑張ってもらうしかない。他人だからこそ、ファンとして、オタクとしても100%「楽しい」で向き合えるんです。

(P120)

よかったのは「オタクにはなれなかった」社会学者の橋迫さん
推し活に一貫性はなくてもよい。明日は違う推しができているかもしれない。冷めることにおびえているというか真面目に推し続ける自分に意味を見出しているように感じる
からの

橋迫「(略)一度離れても戻ってくることも出来ますし。合わなければ離れたままでもいいはずなんです。それがあまりにもSNSが普及しすぎて、ファン同士の繋がり」どころか「推しと自分のつながり」も濃くなりすぎてしまった結果、「推しを支えているのは自分たちだ」っていう錯覚を抱かせることに成功してしまった。でもそれって教区湯側に都合のいいストーリーじゃないですか。「私が支えないと」と頑張ってしまうし他のファンの視線を気にしてしまう。

(P207~208)

このブロックは全体的によかった。

あとこれは内容に関係ない話だけど、紙が硬くて開きづらかった。電子書籍にしたらよかったかなとちょっと思った(なので結構長い期間積んでいた。)

短歌集とか久しぶりに読んだなあ。なんで手に取ったのかは忘れたけど。
読みながら「今20代後半〜30代の女性の半生を歌った」みたいな短歌が多いなあと思ったりした。短歌っていってもテレビで添削してるあれみたいな感じじゃなくて、口語でYouTuberとか出てくる。
わたしは加藤千恵と枡野浩一で短歌に足を踏み入れたので、その点ではちょっと懐かしい思いだった。

おっこれいいなと思った短歌が以下です。

撫でながら母の寝息をたしかめる ひかりは沼津に止まってくれない
欲しいもの聞かれて米と答えたらそれはいつしか年貢と呼ばれた
地球最後の日は金木犀の香織でわたしは高いバターをなめていた

面白かったとか共感したとかうっかり言えない怒りを感じる本だった。
主人公の井沢釈華は生まれながらの難病で筋組織の形態が異常だった。具体的には背骨が右肺を押しつぶす形で湾曲している。40を過ぎた今は両親が残したグループホームで暮らしている。働かなくても食べていけるだけのお金はあるが、時にこたつライターをやり、R18の小説を書き、大学生もやっている。
釈華のライター仕事である風俗店体験レポで始まる本作は100ページにも満たないとても短い物語だ。生々しい重度障碍者1の生活の描写と怒りの色が見える物語は突然に幕が切れた。

厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、ほかのどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、----5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。

(P27)
  1. 市川さんが人工呼吸器や気管カニューレを使っているまさに当事者だ []

久しぶりに本の感想でも書こうと思ったらAmazonから書影が引っ張って来れなくなった。
写真を貼ってみたりしたけど不格好なのでちょっと様子を見てみます。

(11/14追記 書影引っ張って来れました!)

さて文章術の本である。一時こういう本をたくさん買ったり読んだりしていた。この本との出会いは確かnoteでこの本の販促連載が組まれていたように思う。筆者の近藤さんは朝日新聞社で長年勤めた後、九州へ移住して農業をやったり猟師をやったりライターをやったりライターを育てたりしている。
内容はそれなりに攻撃力が高い本だ。「など」「いろんな」「さまざまな」は読者の抗議をかわすためのエクスキューズ語だ具体的に言えてない考えてない。読みにくい文章になるとそういう話をしている。

世間というのは、そういうものなんです。また、世間を離れて、ものは書けないんです。世捨て人とは、世間を捨てた人ではありません。世間に捨てられた人です。
ライターは、作家は、世間に向けて、他者に向けて、書くんです。なんとも音がしない、ブラックホールのような深い井戸に石を投げ込むのであっても、絶えず、倦まず、石を投げ込むんです。ゆっくり行く者は、遠くまで行く。歩くように、息をするように、健やかに、今日もまた書き続ける。石を投げ続ける。
そして世の中のだれかが、石の落ちる音を聞いてくれているものなんです。

(P108)

読みやすい文章とはいう話をたくさんしているだけあって、この本はとても読みやすく、読み終わった後じわーっときいてきている。わたしは特に職業ライターというわけではないが、長らく何かしら書いてきた人間だ。そろそろ休みの期間もやめてちゃんとコンスタントに書いて読んでいきたいと改めて思った本だ。良い本を読んだ。

以前刊行された東京ディストピア日記が小説の一部になった感じだ。
2019年9月終わり、茨城県南部を震源とする地震があった。都内では震度3を観測したその日、乳がん治療中の小林波間は通り魔事件と旧友に遭遇した。中川甍(なかがわいらか)は学生時代のよく遊んだうちのひとりで、親友の恋人だったこともある。LINEを交換して別れたあと、中川のことを思い出した。中川はいかにも着慣れた風にスーツを着ていたが、確かいろいろあって今は漫画家になっているはずだった。
後日、また会おうということになり待ち合わせ場所にいったが中川の姿はない。同じ時間同じ場所にいるのにいないのだ。LINEビデオ通話越しに見る2人の世界は一見同じようで建物が違っていた。あの地震の日、何かの拍子でつながった世界で出会ったふたりはもう会えることはないのだろう。それでも別の世界線で暮らす2人はLINEで連絡を取り異なる世界同じ空間同じものを見て食べる。
2つの世界は同じようで違うことがほかにもあった。スクショや映像や音声は送れるがリンクは通らない、様々な歌手が存在するかどうか。
決定的に違うことはほかにもあった。
小林波間の世界は2020年に東京オリンピックが開催された。
中川甍の世界は2020年に新型コロナウィルスの出現で世界、特に都内在住の甍の世界は一変した。

「弱い者達が、夕暮れ、さらに弱い者を、たたく」と歌いだしてるシーンは雷神の系譜が脳内で流れたけど、これTRAIN-TRAINなんだな。そんな歌だったんだと今ググって知る。

読みながら甍側の世界にいるはずのわたしは波間の気分を味わっていた。
何回か書いてる話なんですけど、私が住んでいるところは地方of地方で高齢化と過疎がそこそこ進んでいるところです。
わたしは職業柄コロナ陽性者やそれ以外の感染症陽性者と毎日接近接触している期間が2年ほどあったけど、まだ未感染で済んでいます1
それのひとつの理由として、5月にマスクが個人の自由とされてからもマスク装着率が9割ぐらいあるからなのでは? とふと先日思いました。本当に10人いたら1人いるかどうかなんですよノーマスク。あっこの10人には乳幼児は含まずで。
近所のスーパーもイオンモールみたいな人が大勢集まる商業施設も職場も図書館もJRもバスも9割マスクしてる。この前イオンモール行ったとき、スタバの男性店員さん2人ともマスクしてなかったな、とかフードコートの唐揚げの店のレジやってる人だけマスクしてなくて、マスクしてないのに声小さくて聞き取りづらかったとか、かなり個人を特定できるレベルでしかいない。
すえひろがり(刀ミュの野外公演)の「ノーマスクで叫んだあと咳エチケットもなく咳きこむのやめてもらっていいですか」的なRTを見ると異世界感はぬぐえない。ハレの日だから説あるけど、首都圏在住の友達は「電車でマスクしてない人めっちゃ多い」って言ってたもんな。
いうてわたしが住んでいるところはすでに県内全域でインフルエンザ注意報が出ていて、感染者数は今年2月のピーク時に追い抜いている状態ではあるんですけど。

病気に関することも多くて癌サバイバーの人が読んだらそれはそれで思うことが多いんじゃないだろうか。

  1. 無症状感染歴はあるかもしれないけど明確に陽性ですと診断されたことはありません []

池井戸潤読んだのたぶんはじめてじゃないだろうか。ドラマから原作に遡りました。ドラマ、すごい土着ホラーめいたいい出来ですね。先があまりにも気になって、おっいい値段するなあでも読みたいから買ってしまえーという気持ちで買いました。kindleは「保管場所を考えると買えない」という気持ちをクリアできるのでその辺はありがたい。この本はたぶん紙の本で読むのがあってる気がしたんだけど。
ドラマの方は今放送されているところ(ちなみに本日4話放送、まだ3話しか出てない世界)は割と原作に沿った展開で、リンコはあんな神棚に飾られる存在ではなかった。情景描写や感情描写が映像だとざっくり削られる分「わかりやすく」そして「視覚的に分かりやすくおどろおどろしくした」という感じ。

ここからはネタバレを含みます。ドラマだけで楽しみたい方はお気を付けください。

桜庭一樹の私小説。
「少女を埋める」は去年話題になった作品だ。いい意味で話題になっていたのではなく、朝日新聞で「誤読もしくは独自の解釈」が「あらすじ」として書評が掲載されていたからだ。
「少女を埋める」のこと | colorful

わたしが読んだのはこの件を受けて少女を埋める|桜庭一樹|noteで公開されていた3分の2の部分で、全部読んだのはこれが初めてだが驚くほど重い内容だった。3分の1??? 加筆されたのではなく??? と読み終わってあれこれ見ていて思った。文体がヘビーなのではない(そこは桜庭さんの読書日記とほとんど変わらない)内容だ。
これまで長く(20年弱)著作を読んできた作家の生い立ち、プライベート、久々の帰省に7年ぶりの母との再会、父の死、去年起きた嵐のような一件の顛末について丁寧に語られるのだ。

「少女を埋める」
2021年2月、7年ぶりに聞く母からの電話で父がもう余命僅かであることを知った冬子は、東京から感染非拡大地域の地方へ行くことに葛藤もあったが、PCR検査で陰性を確認した後鳥取へ向かう。父はまもなく息を引き取り母と2人で葬儀をあげる。
地方で生まれて育つということ、家父長制、共同体、毒親という単語ではあまりにインスタントで不適切ではないのかと思うけど読んだだけで希死念慮を抱かせるような文章を送ってくるのは……と思いながら読んだ。

赤朽葉家の伝説が鳥取で書かれた理由、ファミリーポートレイトに関する背景、私の男のテーマの出元についても語られている。

「キメラ」
2021年8月。
「少女を埋める」を発表後、「母が老老介護の中で父を虐待した」という誤読もしくは独自解釈があらすじとして朝日新聞で掲載された。故郷鳥取でも多くの家庭で購読されている。そして高齢者は、母と同世代で周りにいる人々はNHKと朝日新聞のいうことを信じやすく小さな町での噂話の伝播速度はすさまじい。
冬子は母の名誉を守るために手を尽くす。

GOSICKの新シリーズは久城とヴィクトリカの間には一人娘がいた世界線があった(完成版には残っていない)ことを知る。東京ディストピア日記が2020年1月〜2021年1月のコロナ禍の東京や世界の模様なら、キメラは2021年夏の「少女を埋める」をめぐる模様だ。評論や渦中にあった冬子の心情、件の書評を書いたC氏はなぜそう書いたのだろうと考え、その時の生活について語られている。

「夏の終わり」
キメラよりさらに後。2021年9月〜10月。
読書日記で「らったったと鳥取へ帰る」と書いたが本当は父が倒れたと連絡を受けて駆け付けたのだと書かれていてひっくり返る。私が桜庭さんのご両親について「ちょっとだけ知っている人のご両親」のように感じているのは読書日記1冊目では割とよくでてきたからだ。転ばないようにいきなさいという母、飼い犬と娘を間違えて呼ぶ父。

すごい本を読んだな、という感じだ。
印象強く残っているのは冬子が実家を訪れることに対して強い拒絶を示す母だ。40代後半の娘をもつ女性はおそらく80に手が届くぐらいの年齢ではないかと思われる。困ることが何もないとはちょっと思えないが、それを上回って冬子を、実子を家に入れるがそんなにも嫌う何かがあるのだ、と思う。そしてそれはここ数年の話ではなく、赤朽葉家の伝説が書かれた2006年のころには始まっていたようだった。「家にはこないでね」と、1行2行ほどで語られるそのことのバックグラウンドがどれほどものか想像もつかない。

『神神化身』という女性向け楽曲×小説コンテンツの小説。
小説担当の斜線堂有紀さんが割とRTされていたお詫び画像新規という世にも珍しい入り方をしてしまった。なんか新しいコンテンツに触れたかったのだ。

ニコ動のところやTwitterにあがっている小説は形式が読みにくかったし音楽はぴんと来なかったので、「アイマスガチ勢の斜線堂有紀が描く女性向け(アイドル)作品」に興味があって唯一あった1冊にまとまっている小説を読んでみることにした。

カミと呼ばれる存在へ覡(げき)と呼ばれる神職が舞奏(まいかなず)と呼ばれる歌舞音曲を奉納し平穏を祈ったり本願成就を願ったりする世界。現代の舞奏は奉納という体で一種のエンタメとして定着しており、3人組が望ましいとされている。

本作はノベライズとかそういうのではなく本編? ちらっと見た公式サイトに載っていた3人組ユニットが生まれるより前の物語でした(あとがきでも連載中の小説では明かされてない過去編ですという記述があります)。
伝奇小説です。個人的には伝奇小説という響きになじみがないんですが、自分になじみがあるものでいえば「現代風異能ファンタジー」もしくは「絵馬に願ひを」の曲が披露されたSound Horizon Arround 15周年祝賀祭みたいな設定だなと思いました。

ニコニコ動画とYouTubeに投稿されたミュージックビデオの再生数とコメント数の合計値でチームの勝敗を決定するユーザー参加型評定システムです。『神神化身』においては、動画再生を「拝観」、コメントを「拍手」と呼称し、観囃子(ファン)による拝観と拍手を募るといった趣旨で実施します。

この辺。要するに全員がプレミアム大神1っていうことやんと思った

本作ではそこまでは描かれず、負けなしの探偵が探偵を辞めるまで、小説家がカミと出会って音楽を作ってヒットチャートを席巻してそれから。浪磯(ろういそ)で育った幼馴染3人組の出会いと別れと再集結と、世界について。

オンラインで読める小説やyoutubeで聞ける音楽よりはどういう世界観の物語なのかはわかりやすかった。とりあえず来月刊行される何かも電子書籍が来たら読んでみようかと思います。

  1. 大神=観客のこと。プレミアム大神は前列に座っている高額チケットを買った人で配布された機器で投票することで公演のセットリストの行方を左右する権力を握っている。生殺与奪の権利とも呼ばれた。 []
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