カテゴリー「 エッセイ・ノンフィクション 」の記事
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三味線四苦八苦エッセイ。
三味線をはじめようと思った理由は生きる読書に書いたと冒頭にあったのでここでは省くとあったのでそのうち読むべきなのか……とおもうなど。
私は土地柄三味線はよく聞くのでもうちょっと具体的に知れた。
三味線は実際十年弾いて芽が出るやどうやという話をきいたのでとてもびびった。
でもよしこのはとても好きなので何回かやろうかと思った。今は回りまわって三線を弾いている(今2ヶ月半
三味線の人はどうなのだろうと思いつつ読んだ(三線四苦八苦エッセイとかあったら読みたい。できたら沖縄とは無関係だったり縁が薄い人が書いたのがいい。)
三線を買ったり調弦で悩んだり名取になったり演奏の会に出たりしている。
名取って長年修行を積んで師匠にそろそろ名前を取ってみないかといわれたり、師匠の推薦を受けて名取の試験を受けたりするもんだと思ったら違うようだ。まあ○○会みたいなので違うのかもしれないけど。
「もしもお名前を取るのであれば、つまりお名取さんですね。そのように手続きをしますけれど、どうなさいますか。それについてはお金も必要になりますから、こちらからは無理にお勧めはできないんですけれど」
名取をいただくとなると春日会の本部に行って、会長じきじきにお盃をいただく名取式が行われ、記念写真も撮影し、それ相応の儀式がある。(P142?P143)
97年に東京・根津の古旅館にて行われた「百物語」怪談会の記録集。
井上雅彦、加門七海、菊地秀行、篠田節子、霜島ケイ、竹内義和、田中文雄、森真沙子による実録怪談。
100本のろうそくは木造旅館なので火災防止のためなし。
ガチで結界張ります、そのため途中退席・途中参加・通信機器の使用は厳禁。
死者を冒涜する発言は慎み、結界(盛り塩とお香)だけでは不安な人は各自お守りを持参すること
一つ一つの話は短いです。大体1ページ?3ページが多い。
少し不思議なちょっとええ話系から身に危険が及ぶ怪談まで。途中ずっと加門七海のターン!がある。
怪談中に奇妙な現象が起きていたようなんですが、章扉でさらっと流されます。
途中読み続けてたらまじでふらっとしたり、足の裏がぞわぞわしたり、血の気が下がったのか貧血っぽいことになったりした(ので飲みかけのコーヒーに砂糖を入れた)
読むのにとても体力を使う本です。
読みにくいとかそういうことはまったくなく、むしろのめりこんでしまう。時々本から戻ってくる→疲れる。
エッセイ。
旅行時の収納裏ワザではなく軽装の旅勧め本でもなく、旅行の前準備で右往左往したり何を持っていくか考えたりいかに荷物が少なくするかを考えラベルグッズやネット予約や路線検索に感心したりする内容の本。
わたしはライブとか行く時は基本的に泊まり前提なのですが「荷物が少なすぎて逆に不安になる」ことがたまにある。自分が知らないだけでなにか大事なものを忘れているような気になるのだ。まあ大概そんなものはないんだけど
最近はこういう本も出ているので迷子的にありがたいです。絶対持っていく。
るるぶで必要な部分はコピーしてこれにはさんでいく。あとは地元では乗換えの概念がないに等しいので「○○駅で降りて○○線に乗り換える」とかいうのを全部ノートにメモっていく。あと本は絶対1冊2冊は持っていく。読まなくても持っていく。読み終わったら新しいのを買う。
エッセイです。
何回も死にそうになった。もの食べてる時に笑いのツボにがたんとはまる。
深夜帯読みは真面目にやばい。
しかし、自転車ですれ違いざまに見てみると、なんとその女の子は、大爆笑していたのです。しかも、面白すぎて声が出ない状態。わかりますか? 私はそれを「笑いのミュート」と呼んでいるのですが、とにかく彼女は、もう何が何やら、楽しすぎて、動けねぇ! といった様子。
(P55?P56)
そうか笑いのミュートか……今度どっかで使おう……とか思った次第。
「卵」と「玉子」が混じって「卵子」。
私とマイティ、「卵子チェックしろって」「これセクハラやろ」と脱力。(P166)
天然にはまじで勝てません。
どんだけおもろいこと言うたろうと思っても天然が全部もっていく。
子どもいないけど読んだ。子どもを取り巻く本の環境についての本。
まず本を2つのタイプに分けていた。空想系(小説とか創作物全般)とリアル系(エッセイとか図鑑とか伝記とか政治ものとか本当にこの世にあるもの全部)
驚愕!だったんですが(でも考えてみれば、当たり前なんだけど)
"低学年は、まだ"リアル系"と"空想系"の区別はついていない!"
んですね。これは"著者"というコトバを解説したときに気がつきました。
小学四年生までは作者という概念がわからないのです。五年生はね、わかるのよ。でも、
"サンタクロースはほんとにいるっ"と思っている人たちにとっては空想系の本もリアル系!なのです。(P32)
思えば確かにそのぐらいまでは「作者」という概念が希薄だった。「モモ」は「モモ」であって「エンデ作」ではなかった。それ考えると初めて作者を意識したのって折原みと・小林深雪あたりかもしれない……
あとケータイ小説とかYAとか学校図書館の作り方とか古い本が読めなくなる理由とかそんなかんじだった。
エッセイ3冊目。このシリーズはすごく飛び飛びで読んでいるのが分かったので間を埋め中。
ウリナリがやっててケディがでたところですごく時代を感じた。毎週見てたよー。
スペイン旅行の章で、スペイン人に英語で話しかけて、英語が通じず(今は知らないけどスペインではつたない英語は異国語らしい。)スペイン語で返されてなんだか分からない!とか言ってるのに段々聞き取れるようになってるのがすごい。「?とスペイン語だが言われた気がした」でその通りになってるのでびっくりした。スパルタ英会話教室。
深夜に、ふと続き物の漫画を読み始めてしまった。弟の所有物だ。だがどうしても最終巻だけがない。きっと弟の部屋だ。彼は爆睡している。明日を待つのが理性だ。でもどうしても最終巻が読みたい!!
と私は懐中電灯が無かったので蝋燭の火を灯し、弟の部屋でそっと最終巻を捜索していた。
しかし、丑三つ時、彼は捜索の気配に気付いてか目覚めてしまった。
「ひっ……っ!」
目覚めると深夜の暗闇に蝋燭の火がぼうっと浮かび、誰ともわからぬ人影が。
「起こしたら悪いと思って」
と言い訳すると、
「夜中に目が覚めて蝋燭もった人が立ってるの見たこっちの身にもなれ!」(P260)
ひとり、時々複数人で関東甲信越やセネガルでキャンプをしてみた。
サバイバルというかアウトドアです。読んでる途中豚汁がとても食べたくなりました。
神奈川県三浦市でキャンプの章もありました。
名前を出すわけにもいかないので便宜上彼のことを「宇宙人」と呼ぶことにする。
ふーんと思いながら次のページ、「宇宙人が懇意にしているという魚屋『まるいち』」
どう考えても宇宙人=いしいしんじじゃないかああああああああと思った。意外なところでの邂逅。
日頃霊感なんかはない。怖い思いなんてしたことがない。けれどここは、びんびん感じるのだ。
出た、なんてもんじゃない。気がついたらそこかしこに出ている、という感覚。(略)
見えないんだけど本当に聞こえるのだ。
具体的にどんな音かというと、正面からはものすごくスローで暗いディキシーランドジャズみたいなの、男の声、四人か五人歌っている、楽隊もいる、右からは鳩笛、これは女三人ぐらい、後ろからは、ざざ、ざざ、という引きずるような不規則な足音ですよ。(P132)
これがはじめてのエッセイだったらしい。11年前だった。菅野さんまだ27歳だった。
わたしがエッセイでなにを愛するかというと身内ネタである。家族ネタである。
もっというならきょうだい(姉弟・姉妹・兄姉弟ならなおよい)ネタだ。母と娘もおいしくいただける。
そんなわけで家族ネタが大変多いこの本はとても美味い。
あと11年前の本なのにあとがきで「インフルエンザの日本上陸を阻止します」とかいってて、歴史は繰り返すとかおもった。
今このエッセイを読んでいる読者さんに、純真な中学生はいるだろうか。どうだろう、君の女友達が、君の好きな男の子と二人きりでバイクの修理に出かけてしまったら。女友達は君がその男の子にメロメロだとよく知っているんだ。ちっとはぐれるだろ?
でもね……大人になってしまうとね……昼日中に二人で出掛けたからってなんだっつうのよということになってしまうんだよ……。(P124)
言われてから気づいたよわたしもそんな青い心はいつの間にかなくしてしまったよ!
飲み会にいっても私は青いときの話(誰が好きだったとか)はほとんどしない。そんな話をする子は幼小中高一緒で特に高校は3年間クラスも部活も一緒だったので多少のヒントで特定余裕なのである。やばい。
姉弟の間には、親には絶対に言えない秘密というものが沢山あるのだ。
「き、貴様それを言うか……っ。俺だってみんな知ってんだぞ。おめえは(本人の名誉のため——以下同文)」
「ああっ、それを言ったわね! あんたの補導回数は、本当は2回じゃないのよね!? シンナーだけはやんなかったのが唯一の自慢なのよね!?」
と、喧々囂々姉弟は醜い骨肉の争いを繰り広げた。
気が付くと母が、遠い、遠い空の彼方を見つめている。
「……刑務所にだけ入らないでくれて、本当にありがとう」
「い、いや、そこまで言われるほどのことでは……」
「ついでに、これからも入らないでくれると本当にありがたいんだけど」
「恐れ入ります」
恐縮して姉弟は、思わず頭を下げた。(P183)
荒野のヒース、荒野に咲いた一輪の白い花。たおやかで可憐な白い花のようなその人の名を、それでも憚らずここに記そう。
ウッチャン。う……内村光良である。ウッチャンナンチャンのウッチャン。……ちょっと恥ずかしい。荒野とは主に南原清隆のこと……。(P211)