カテゴリー「 エッセイ・ガイド 」の記事

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四十の手ならい 和心暮らし

この前twitterで「お茶がやってみたい……」「ああお茶とかお花は何歳になっても『やれ』って言われますよね」「1日体験教室ですね」「この本気になる」とか言ってて、図書館うろうろしてたらこの本を発見したので借りてみた。百聞は一見にしかずといいますが私の周りには気軽にお茶体験できそうなところがありません。

「三味線ざんまい」みたいな四苦八苦体験エッセイを想像してたら「スローライフとはいうけど実際今までのライフスタイルを捨てて田舎暮らしをするのは難しい」「古きよき日本人の心を思い出そう」「和の心はセルフヒーリング!」「自然回帰!」「地球環境保護!」とかそういう始まり方をしました。
文中何度も「私たちの世代はやったことがある(記憶にある)」という文が出てくるので想定読者年齢は40前後なのかなと思いました。

「まずは浴衣を着てみましょう」にはじまり着物の手入れや必要な道具・着付け・お茶・写経・座禅などがありました。大きくページを割かれているのは着物関連とお茶。着付けとかお茶の作法とかは文章で事細かく書かれ、章の終わりにイラストが付いてました。

「高い着物とかいりません!」とか金銭面的にはハードル低い感じでした。ヘタレにやさしい。

司書はなにゆえ魔女になる

エッセイ。
3部構成で、1部は図書館司書を取り巻く環境とか司書関連、2部・3部は本と映画のレビュー。
どれも大体2ページ以内でまとまる短い話。特に司書の話は馴染みの薄い話なのでちょっと興味深い。

タイトルが気になるんですが1「司書は○○魔女になる」というのは定型タイトルのようなので、おそらく1冊目を読まないと意味が分からないと思った。

  1. 魔女? []

整形前夜

エッセイ。面白いのでちまちま読んでいた。
139ページの「書き出し」はまさに書き出しからにや!っとしていた。ガレオンきたこれとおもった。

子供の世界では些細なことが簡単に絶体絶命に繋がってしまう。現実体験の少なさゆえに、「図書館の本をなくす」ことがどれぐらい致命的で取り返しのつかないことなのか、客観的に判断できないのだ。

(P74)

思い当たりがありすぎる。

熱中していた作家について、あ、なんか、このひとの本はもういいかもと感じる瞬間がある。作品がつまらなくなったというのならわかるのだが、相変わらず面白いけど、でも、なんか、もういいかも、と思ってしまうところが不思議だ。

(P134)

とりあえず小説ではこのパターンで読まなくなることはまだない、と思う。
漫画だと確実に面白いのはわかってるけど、なんか手が出ないというのがある。1
ずっと買ってたけど突然もういいかなと思うこともある。2

外出の間際になって、慌てて本を探すことがある。電車の中やちょっとした待ち時間などに読む本を鞄に入れるためだ。(略)そのときの気分や外出の内容などによって本が決まってくる筈だが、自分でも何が最適なのかわからない。どれも微妙にずれているようで「これ」という感じがしないのだ。

(P136)

何の本持っていくかで悩む。どれも気になって、今日はこの本じゃない気がする……とか置いたりまた選んだり、悩むモードでぎりまで本を読んだりする。そして次は1冊で足りるのかと思ったりする。
大概足りるかどうかとか考えているときは確実に足りるんだけど、保険にもう1冊文庫を追加したりする。

過去の仕事の何パーセントに目を通していれば書評する資格あり、ということになるのだろう。文庫解説などの場合はどうか。以前、書評家の豊崎由美さんとお話しする機会があったとき、ずっと訊きたいと思っていたこの疑問をぶつけてみた。
「一般的な書評の場合、その作者にもよりますけど初期作品と近作を数冊ずつ、それから代表作をおさえていればまあいいんじゃないでしょうか」というお返事だった。(略)
「作品を褒めるんじゃなくて批判する時はどうですか」
「その場合はほぼ全作に目を通してないとまずいですね」

(P157?P158)
  1. ex:陽だまりのピニュ []
  2. ex:D-Grayman []

水曜日の神さま

エッセイ。
3部構成で話は旅関係が多めです。1部は「旅と読書」とか「旅とごはん」とか「貧乏旅行」とかで、2部は硬めで長めの旅行記。3部は本の話や日常の話やタバコとか割りとごった煮風。

三味線ざんまい

三味線四苦八苦エッセイ。
三味線をはじめようと思った理由は生きる読書に書いたと冒頭にあったのでここでは省くとあったのでそのうち読むべきなのか……とおもうなど。

私は土地柄三味線はよく聞くのでもうちょっと具体的に知れた。
三味線は実際十年弾いて芽が出るやどうやという話をきいたのでとてもびびった。
でもよしこのはとても好きなので何回かやろうかと思った。今は回りまわって三線を弾いている(今2ヶ月半
三味線の人はどうなのだろうと思いつつ読んだ(三線四苦八苦エッセイとかあったら読みたい。できたら沖縄とは無関係だったり縁が薄い人が書いたのがいい。)
三線を買ったり調弦で悩んだり名取になったり演奏の会に出たりしている。

名取って長年修行を積んで師匠にそろそろ名前を取ってみないかといわれたり、師匠の推薦を受けて名取の試験を受けたりするもんだと思ったら違うようだ。まあ○○会みたいなので違うのかもしれないけど。

「もしもお名前を取るのであれば、つまりお名取さんですね。そのように手続きをしますけれど、どうなさいますか。それについてはお金も必要になりますから、こちらからは無理にお勧めはできないんですけれど」
名取をいただくとなると春日会の本部に行って、会長じきじきにお盃をいただく名取式が行われ、記念写真も撮影し、それ相応の儀式がある。

(P142?P143)

文芸百物語

97年に東京・根津の古旅館にて行われた「百物語」怪談会の記録集。
井上雅彦、加門七海、菊地秀行、篠田節子、霜島ケイ、竹内義和、田中文雄、森真沙子による実録怪談。
100本のろうそくは木造旅館なので火災防止のためなし。
ガチで結界張ります、そのため途中退席・途中参加・通信機器の使用は厳禁。
死者を冒涜する発言は慎み、結界(盛り塩とお香)だけでは不安な人は各自お守りを持参すること

一つ一つの話は短いです。大体1ページ?3ページが多い。
少し不思議なちょっとええ話系から身に危険が及ぶ怪談まで。途中ずっと加門七海のターン!がある。
怪談中に奇妙な現象が起きていたようなんですが、章扉でさらっと流されます。
途中読み続けてたらまじでふらっとしたり、足の裏がぞわぞわしたり、血の気が下がったのか貧血っぽいことになったりした(ので飲みかけのコーヒーに砂糖を入れた)
読むのにとても体力を使う本です。
読みにくいとかそういうことはまったくなく、むしろのめりこんでしまう。時々本から戻ってくる→疲れる。

女の旅じたく

エッセイ。
旅行時の収納裏ワザではなく軽装の旅勧め本でもなく、旅行の前準備で右往左往したり何を持っていくか考えたりいかに荷物が少なくするかを考えラベルグッズやネット予約や路線検索に感心したりする内容の本。

わたしはライブとか行く時は基本的に泊まり前提なのですが「荷物が少なすぎて逆に不安になる」ことがたまにある。自分が知らないだけでなにか大事なものを忘れているような気になるのだ。まあ大概そんなものはないんだけど

最近はこういう本も出ているので迷子的にありがたいです。絶対持っていく。
京都歩く地図帳 ’09-’10 (Jガイドマガジン)
るるぶで必要な部分はコピーしてこれにはさんでいく。あとは地元では乗換えの概念がないに等しいので「○○駅で降りて○○線に乗り換える」とかいうのを全部ノートにメモっていく。あと本は絶対1冊2冊は持っていく。読まなくても持っていく。読み終わったら新しいのを買う。

ミッキーたくまし

エッセイです。
何回も死にそうになった。もの食べてる時に笑いのツボにがたんとはまる。
深夜帯読みは真面目にやばい。

しかし、自転車ですれ違いざまに見てみると、なんとその女の子は、大爆笑していたのです。しかも、面白すぎて声が出ない状態。わかりますか? 私はそれを「笑いのミュート」と呼んでいるのですが、とにかく彼女は、もう何が何やら、楽しすぎて、動けねぇ! といった様子。

(P55?P56)

そうか笑いのミュートか……今度どっかで使おう……とか思った次第。

「卵」と「玉子」が混じって「卵子」。
私とマイティ、「卵子チェックしろって」「これセクハラやろ」と脱力。

(P166)

天然にはまじで勝てません。
どんだけおもろいこと言うたろうと思っても天然が全部もっていく。

チクタク食卓〈上〉

毎日の食卓を写真(時々ピンボケ)や絵で。あと時々レシピ付だったり文字はフォントだったりガチで手書きだったり。
食卓拝見は面白いんですが、時々写真もっと大きくならんかなあって思いました。(クリックして拡大的な
この本は基本写真メインなんですが、日々ごはん(エッセイ)と合本したものがでたら最強だなあと思いました。ちなみにこの本と対応する日々ごはんは6・7・フランス日記です。

子どもに本を買ってあげる前に読む本—現代子どもの本事情

子どもいないけど読んだ。子どもを取り巻く本の環境についての本。

まず本を2つのタイプに分けていた。空想系(小説とか創作物全般)とリアル系(エッセイとか図鑑とか伝記とか政治ものとか本当にこの世にあるもの全部)

驚愕!だったんですが(でも考えてみれば、当たり前なんだけど)
"低学年は、まだ"リアル系"と"空想系"の区別はついていない!"
んですね。これは"著者"というコトバを解説したときに気がつきました。
小学四年生までは作者という概念がわからないのです。五年生はね、わかるのよ。でも、
"サンタクロースはほんとにいるっ"と思っている人たちにとっては空想系の本もリアル系!なのです。

(P32)

思えば確かにそのぐらいまでは「作者」という概念が希薄だった。「モモ」は「モモ」であって「エンデ作」ではなかった。それ考えると初めて作者を意識したのって折原みと・小林深雪あたりかもしれない……
あとケータイ小説とかYAとか学校図書館の作り方とか古い本が読めなくなる理由とかそんなかんじだった。

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