カテゴリー「 読了 」の記事

2005件の投稿

created by Rinker
¥1,320 (2025/12/23 05:18:38時点 楽天市場調べ-詳細)

お察しの方もいるだろうが、今めっちゃ本を読んでいる。何か読めている。でも小説は読んでなくて新書とかなんかそういうフィクション以外の何かばっかりだ(例外が廃王国の六使徒の少女文学版の1巻)。
その昔休職していた時、外出訓練と称して汽車に乗って離れたところの図書館に行って、社会人なりたて向けのビジネス書を2時間ぐらいで20冊とか読んでた。これは速読とかじゃなくて、知ってるところはさくさく飛ばすしあまり知らないところはゆっくり読むということをしていた。あの時のような重湯のような読書だ。

そしてこれは本が読めなかった時にタイトルで買った本を今読んでいる。読みながらびっくりしたのがここだ。

 読書でも試してみていただきたいのは「ゆっくり」読むことです。「ゆったり」といった方がよいのかもしれません。
 速く読みたければ速く、遅く読みたければゆっくり、眠たくなったら、そこで本を閉じる。そんな当たり前の読書です。 
 本を読むのに最適な速さなどありません。その人に合った速さがあるだけです。
 速読という言葉の背後には、多読がよいという価値観が潜んでいます。速く多くの本を、たしかに読むことができれば、それは素晴らしいことです。しかし、なかなかそうはいきません。
 どんなに速く、多く読んだとしても、そこにたしかな手ごたえがなければむなしいのではないでしょうか。
読書において養っていかないとならないのは、「たしかな」感覚です。

何がびっくりしたってわたし今まじでこの2行目みたいな読み方してるんですよ。読みたいだけ読んで、ここつまらないなと思ったら割と読み飛ばすみたいな感じで、急にじっくり読み始めて、おかわりしたり、寝たり。

リルケが詩人になりたい若者に掛けた言葉で「多くの人が歌い上げるものではなくて、どんな素朴なことでも自分にとって切実なことを言葉にしなくてはならない」ということがあったり、人生の1冊は外を探しているだけでは見つからない、自己との対話をはじめないといけないとかいってて、この引用元は読まないといけないのではと思った。

公開講座の文字起こし書籍化で、概ね母娘の支配とか共依存とかそこから来る自責感っていう本だった。
ページターナーズで自己肯定感という単語は実はよくないという話で気になってちょっと気になって読んでみたけど、わたしはその部分が読み取れなかったので、わたしは読む時期を逃したか、その時じゃないんだと思う。
まあね、わたしはもう母とは話すことも触れることもできないところまで離れてしまったので。

created by Rinker
¥1,045 (2025/12/22 23:57:37時点 楽天市場調べ-詳細)

いくら本を買ったところでもう誰に何を言われることもなったので、漫画(単行本)以外については紙の本に回帰している今日この頃。文喫東京でうきうきしながら買った本だ。

国語に関する世論調査では63%の人が月に1冊も本を読まないと回答する一方でSNSなどで活字には毎日触れると回答した人が約75%いるという。電子書籍の普及が顕著のこの頃では現代の「読書離れ」は実際のところは「読書形態の多様化」で「読書離れ」という表現は必ずしも正確ではないというはじまり。
紙の読書の優位性は日本に限った話ではなくアメリカのバレンシア大学の実験でも紙媒体がデジタルより読解力で勝るという結果が出た(※リラックスした状態での読書ならば媒体による差はないが、時間的プレッシャーがかかる場ではデジタルが読解力が劣る)

「脳が一度に処理できる視覚情報には限界がある」という話で

この1枚目のような状態では、内容の理解度や記憶への定着率が低下してしまう可能性があるということや、耳で聞く読書についてや、「読書の効能」の話が盛沢山だった。読書をすることで「結果的に」頭が良くなる脳科学的メカニズムについても説明されていた。

考察する若者たち 三宅香帆からの2冊目として読もうと思って買ったけど、予想外の展開が来た。

わたしはそもそも倍速再生はまったくせず、映像もの自体疲れるのでもとよりあまり見ないという人間です。異文化コミュニケーションな1冊でした。
「花束のような恋をした」について最後までふたりがどうなるのかを友達に細かく聞いてから見た、2倍楽しめたという話の流れで

もし予備知識なしで観て物語の細かいところが理解できなかったり、細かい演出を見逃したりしてしまった場合、モヤモヤが残ってしまう、それを避けるためには、最初から教えてもらったほうがいい、と

(P56)

twitterやってるオタクなら「(映画名)見るならこれを見て(もしくはこれを見てから行って)」というのを見たことが一度はあるだろうと思うんですが、もしくはこういう意識ゆえの「善良な行動」なのかなあと思って。

十全に楽しむために万全に準備運動をしてから飛び込みたいから、あれが心の底からありがたいと思っている人がいるんだなあと思ったし、「作品に快適だけを求める傾向もまた『観客の幼稚化のひとつでは』(P184)」に焼きマシュマロやないか……と思うなどした。

盛り上がっている話題を邪魔にならないようにただぼーっと聞いていてはいけない。傍観者に徹してはいけない。既読スルーなどもってのほか。積極的に参加し、気の利いた一言で場を盛り上げる、かき回す。もしくは、多くの人がついてこられる程度の個性的すぎない個性を積極的に発信すべし----。

(P139)

冒頭からずっと「理解の範疇外の宇宙人」だったのが、読み進めるにつれてあまりにも生きづらすぎないか……? と思うことが多々あった。いうてわたくし思春期時分にはインターネットがなく、高校生の時には一部の人間のみがポケベルを持ち、LINEはやってないよやる気ないよとでかい声で言い続けてここ数年でようやく触り始めたぐらいの、地方生まれ地方育ちで、どういう環境で生活すればこうなるのかぴんと来ない。
Twitterではたまに見かけるけど、たかだか140文字程度でバックグラウンドを慮るのは失礼な話だし、わたしから遠く離れたところで生きてほしい(アルゴリズム的に「目に入れたくないツイート」に物理的に触るとどぅわっと増えるので、「表示を減らす」か「関連性がありません」をタップしている。

なまじ直近に読んでいたのが考察する若者たちなので、スキップとローファーと、あと「スマホ時代の哲学」が脳の片隅をちらちらしつつ、読んだ。

私に馴染んでいる「考察」は考察する若者たち 三宅香帆 では批評とイコールで、もしやこれはジャンル方言なのか? もうちょっと批評について知ってみようということでkindleの積読から。2021年に買ったらしい。何に惹かれて買おうと思ったのか。

批評というのは何をするものなのでしょうか? これについてはややこしい議論がいろいろあるのですが、ものすごく雑にまとめると、作品の中から一見したところではよくわからないかもしれない隠れた意味を引き出すこと(解釈)と、その作品の位置づけや質がどういうものなのかを判断すること(価値づけ)が批評が果たすべき大きな役割としてよくあげられるものだと思います

(プロローグより)

批評に触れた人が、読む前より対象とする作品や作者についてもっと興味深いと思ってくれればそれは良い批評ということです<

(プロローグより)

ここで注意していただきたいのは、深く考えないで作品を見て楽しむというのも十分価値ある体験で、深く考えた批評を行うといいう体験と優劣はつけられない、ということです。楽しみ方はひとつではないので、なんにも考えずに頭をからっぽにして楽しみたいという時もあえれば、よくわからないものを深く掘り下げたいという時もあると思いますし、この楽しみの体験はどちらも素晴らしいものです。この本でとりあげるのは後者のようなことをやりたい時にどうしたらいいか、ということです。

(プロローグより)

取り上げられる作品(映画、小説、演劇)はなじみないものが多かったけど、興味深く読んだ。
批評をするときは自分の性的な嗜好 (異性愛同性愛等と異なり、もっと広い意味で人の性に関わる雑多なこだわりを指せる言葉、と書かれている))や趣味はきちんと理解しておきましょう(批評する側のバイアスに関わります)のくだりよかったですね。自分の欲望に率直に!

created by Rinker
¥950 (2025/12/22 18:14:58時点 楽天市場調べ-詳細)

今年解釈が合わんオブジイヤーだった三宅香帆さんがいうところの「考察」と、わたしが思うところの「考察」はそもそも定義が違うということが判明したので、ちょっとその話からします。

わたくしSound Horizonファン(ちなみにファン呼称はローランと言います)歴22年寄りの21年の人間なのですが、SoundHorizonは考察文化とレポの文化が大変盛んな国です。
例えば「星の綺麗な夜」という曲は19世紀に農夫をしていた男がジャガイモ飢饉で食い扶持を失い、海を渡ってアメリカにたどり着き、傭兵をしたりゴールドラッシュやなんやかんやを経験して、愛する女性と出会い、子どもができ、いつ死んでもいいと思いながら生きてきたのに、男に刺され嫌だまだ死にたくないと呻きながら死んでいった男の一生が歌われた曲です。
曲中では正確な名前が分からない1のにも関わらず、曲を読み解いていくと男の命日が判明します。
星の綺麗な夜の歌詞を検索してもらうとわかるのですが、大変ルビが多い歌詞となっています。ちなみにこれは誰かの耳コピの歌詞で、「100%正確」なものではありません。
このルビの「正しい歌い方」について、もう歌手活動を引退した方がどのように歌唱指導されたかについてツイートされ、界隈がざわついたことがあるのですが、間もなくこのツイートは削除され公式にお触れが出されました。
Information | Sound Horizon official website
ざっくりいうと「公式が正解を振りかざすべきではない」と公式が言うのである。
唯一の正解など存在しない。「聴き手による解釈の自由」はこの国において最も尊重されるべき権利なので、それを奪う可能性につながることは控えてくださいというのである。

そういう文化にどっぷり浸かって20年経つ人間が「考察=作者が提示する謎を解くこと」「考察には正解がある」という始まり方をする本をよしとできるわけないのである。
それが本を読んでいくと

私はもともと、批評が好きだった。なぜなら批評は皆と違う感想を言っていい場だからである。作品を読んだり観たりして、そこからどんな影響を受けて、どんな感情になったのか、感想はその人固有のものである。同じ作品を見ていても感想は違う。人によって見えている世界はこれだけ異なるのだ、と他人の感想を見ると何か世界の豊かさに触れた気分なのである。

(P208)

こっこれだーーー! ってなったわけだ。わたしがこれまで慣れ親しんだ「考察」は三宅香帆さんの語彙では批評なのである。言葉の定義が違うのだから解釈が違うのは当たり前で、どちらが合ってるとか間違ってるとかではなくて、そういうものなのである。
育ってきた環境が違うから〜とSMAPも歌ってるしあまりにもbaroqueである。

感想はその人固有のものだって本当に分かる。わたしが何千回と聞いた石畳の緋き悪魔だって志田さんみたいな感想は出てこない。

ここまでたくさん星の綺麗な夜の話をしたので、聞けるリンクを置いておきます。

  1. シェイマスだかウィリアムだとかいう名前 []

ある日、ひとりの人気お笑い芸人が死を選んだ。不倫を報じられ、SNSで苛烈な誹謗中傷を浴びた結果だった。その死を悼み、復讐を実行した人間がいた。「踊りつかれて」というブログで、宣戦布告という記事、そして天童ショージの死について重罪認定した83人について個人情報が詳細に公開されていた。かつて自分が天童に対してしたように、同じように誹謗中傷を浴び、職場や大学へ電話が鳴り続け社会的にも制裁を受けた。
どのように不倫記事はでっち上げられたのか、人はどのように誹謗中傷を浴びせるようになるのか、という話と、このブログ上で個人情報をばらまいた人間は早々に逮捕され裁判にかけられることになる。

この復讐の鬼が瀬尾という音楽プロデューサーだが、彼には天童ショージ以外にももうひとり、中傷記事で表舞台から消えた好きな芸能人がいた。奥田美月という歌手だった。瀬尾と天童と83人についての話で進んでいくのかと思ったが、美月のバックグラウンドが相棒の3時間スペシャルか? と思うほどヘビーだった。そこだけちょっと別の本を読んでるみたいだった。
これは直木賞候補だった作品で、ブレイクショットの軌跡もそうだったけどSNSと発信が引き起こす罪の重さを書く小説が出てきたなと思う。

私たちはもっと、情報を公にすることの重みを感じなければなりません、
家族や友人が膨大な言葉の暴力を受けたときのことをどれだけ現実的に想像できるのか。気軽に公にするその投稿は、本当に必要なものなのか。
「一瞬で広まり、永遠に残る」ことの深刻さと向き合わない限り、社会はより殺伐とし、人々は相互監視に委縮していく一方です。
重箱の隅をつつくような正義と、この世の果てのような邪気が洪水となって滝壺を作る。そこの滝壺に落ちた人は二度と出てこられません。

(P276)
created by Rinker
¥1,870 (2025/12/22 23:13:23時点 楽天市場調べ-詳細)

北九州連続死体遺棄事件をめぐる、「あの時ああしておけば」の連続の物語。
途中からノンフィクションドキュメントを読んでいるような気分になった。序盤は男女が死体を埋めるシーンで幕を開ける。
飯塚みちるはその山中に遺棄された死体の件で取材をはじめた。飯塚みちるは一時は東京で記者として働いていた。今は彼女は出身地北九州でタウン誌のライターとして働いている。彼女を変えたのはかつて取材したいじめと称される凄惨な性暴力だった。それが元職場から今回の死体遺棄事件からの誘いで埋められていた死体は誰だったのか、を調べ始めた。

Twitterでは時々目に入る単語がある。身体的、精神的に障害をもった子どもが支援学校ではなく公立校へ進学し、「お世話係」として近くの席の子や「面倒見がいいと思われた子」が任命される件。支え合って生きていくことを学ぶことは間違いではないが、大人の都合を押し付けられて自分の意思とは反して「お世話係」としての役目を果たす子どもは「ヤングケアラー」であるというシーンにため息をついた。
町田そのこ作品ではしばしば生きづらい人たちが語られてきたが、「あの時こうしておけば」もっといえば「選択を誤った」「見殺しにしてしまった」「取り返しのつかないことをしてしまった」とどうしようもないところまできて悔やむ人たちをたくさん見ることになる物語だ。

九州は男尊女卑がなかなか……と聞かれることだけど、「早く結婚して子供を産まないと後悔する」と親に言われるシーンもあって、令和ァ! と思ったけど、数年前に某女子アナがご結婚された時に「はよ子ども産まなあかんねえ」とごく当たり前のこととして言うのも聞いたので、そういう価値観はある……。しかし、崇周囲の人間の生育環境ほんまきっつと思う。
ヘビーなので、休憩を入れながら読んだ。

前提として、わたしはこの本をブックガイドとして読んだため「話が面白い人は何をどう読んでいるのか技術を公開します」の本としては読まなかった。

新潮社のPR誌の連載と三宅さんの有料noteからの加筆修正本である。いろんなジャンルの本(概ね日本の本で、漫画もあるし小説もあるしドラマの話もちょっとある)の話が読める。
正直三宅さんが何を読んで、どういう読書ノートを書いているのか、どういうふうに紹介するのかとかはYouTubeのページターナーズを見ればいいと思う。どうやって読んでるのかの動画もあったりするので。

武道館既読者でyoutubeの筆者インタビューを見ていたらこれは面白そうだなあと思って買った。
主な登場人物は3人。
久保田慶彦(47)アイドルグループの運営に関わることになった。澄香の父。
武藤澄香(19)内向的な女子大学生。自分の性格に嫌気がさしているところにとあるアイドルと出会う。
隈川絢子(35)契約社員。舞台俳優を熱心に推していた。

推し活ビジネスを構築する者、推し活ズブズブの者、かつてズブズブだった者、という雰囲気に惹かれて読んでいたものの途中から「もしかしたら隣のタイムラインであったかも」「自分の身に降りかかっていたかも」と思う生々しさ。

まとまりがない感想を書いたが、今出力できる感想を書いたらこうなった。恐ろしい本を読んだ(面白い本です。CDやカレンダーやチケットをガンガン積んだりする趣味がある人におすすめです)

絢子周りが本当に怖かった。俳優の三浦さんの話をしているのかなと思った。ある程度長い間Twitterやってる人間はハッシュタグデモやってるところ見たことの一度や二度あるだろう。そしてわたしは割と最近に近親者を亡くしてグリーフケアの本に手を伸ばした。

オタクと話してるときってその人の職業とか家族構成とかどうでもいいし、年齢も本名も気にならないからさ。必要な情報って、どの界隈で誰担か、くらいだし

(P151)

わかるわー。
あと陰謀論ってほんまこのぐらいある日突然に、つけこみやすいところを狙ってくるんかって思う。

いやこれはフィクションやし、創作やけど「心の拠り所だった神のような存在がよく分からないままに突然この世を去って、朝も夜もないような状態で一人過ごし、かつて同じ時間を長く過ごしていた人が久しぶりに訪ねてくる」そしてその人が連れてきて、ある程度の時間を一緒に過ごした後、ある日突然に「私は新型コロナウィルスがきっかけだった」って滔々と「この世界の真実」について話し始めたとして、私はその人をちゃんと拒絶できるだろうかって考える。絶対受け入れてはいけない。youtubeならアプリを落としてしまえばそれで終わる。でも対面である。3人でいるのである。そして絢子は。

澄香もわかる。わたしは2次元だったけど10年ちょっと前はオーディションにずぶずぶだった。デビューさせたいってTwitterで選挙活動をしていた。慶彦はこれからわたしが行く道を歩いている。誰のことも「この感情わかる」と思いながら読んだ。こんなヤバい本なんで朝井リョウは書けるのか??? と思いながら読んだ。劇薬みたいな本なので、1章というか1視点ごとで切って読んだりしていた。
ひとりがわーーーって話してる横で、自分はひとりでちょっとパニックになっている、みたいなシーンがちょいちょいあるけど、わたしはその場所が見えるような気がした。聞こえているけど聞こえないふりをしている、今更そんなことを言われなくてもわかっているみたいな。
あの寄る辺ない感じがなんでこんなにもビジュアル化されているのかと思う(※文字なのでビジュアルはない)

読みながら、「こわい」「それはだめだ」「こわい」と言いながら読んだ。
CDをいっぱい買ったり「この界隈の人はみんなやさしい」「みんなでがんばろうね」とかいうのが普通になっている人たちにはちょっと読んでほしい本だった。いや「これが推し活の真実だ」みたいなことをいうわけではなく「中毒症状があるほうが苦しくないのだ、人生は」も正しいと思うし、「幻覚を守るためには強い物語が必要」もそう。わかりみが強すぎる本なんだ。人によっては劇薬。
すごい勢いで「エコーチェンバー」「フィルターバブル」ってこういうことなんかと思う本だった。
これが日経新聞で連載されていたのも驚きだ。すごい本を読んだ。

PAGE TOP