綺麗ごとゼロ。別居で80代後半から90代に入った夫の両親の介護が必要になった、というエッセイ的な本である。
わたしは一昨年の11月(実質9月)で15年ぐらいに渡った介護が終わったので実用書としてはもう必要がない本ではありますが、人の苦労を見るとあの時大変だったなあというのが思い出されます。
きれいごとゼロ、というのは
冷たく聞こえるかもしれないが、これが実の子でない人間による介護のリアルだと思う。そのうえ、プロに任せるのがベストであるのは明らかだ。
(P164)
まあこういうところだ。
理子さんご自身の両親は早くに亡くされご兄弟については警察からご遺体が発見されたと電話がかかってきたのを読んだ。
言ってしまえば他人なのに、すごと思いながら読んだ。私は母は「母」だし、同性だからお風呂に入れるのもトイレの失敗の後始末もできていた。父親はあらゆる意味でできないと常々言っていた。
デイサービスに行ってくれるのいいなあと、思い(カーチャンはコロナ禍以降頑として行ってくれなかった)、男性看護師さんが入ってくることに、の件にあ、覚えがあると思った。もしなんかの気の間違いで結婚して介護案件が発生したとして、またあれをできるかというと、いや無理やでと思う。最後の数か月は3時間程度しか寝られず深夜もトイレ誘導して日中は仕事をしていた。
誰でも通る道を、ゆっくりと進むだけ。横断歩道に差し掛かったら、右を見て、左を見て、安全確認を怠らずに真っ直ぐ渡るだけ。そうやって、ひとつひとつ、しっかりと確認しながら、いつも通りの暮らしを続けていけばいい。いろいろな人の手を借りて、ようやく手に入れた完全に自由な時間を楽しめばいい。なにせ、それが一番大切で、かけがえのないものだから。
(P87)
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