カテゴリー「 新書 」の記事

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公開講座の文字起こし書籍化で、概ね母娘の支配とか共依存とかそこから来る自責感っていう本だった。
ページターナーズで自己肯定感という単語は実はよくないという話で気になってちょっと気になって読んでみたけど、わたしはその部分が読み取れなかったので、わたしは読む時期を逃したか、その時じゃないんだと思う。
まあね、わたしはもう母とは話すことも触れることもできないところまで離れてしまったので。

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いくら本を買ったところでもう誰に何を言われることもなったので、漫画(単行本)以外については紙の本に回帰している今日この頃。文喫東京でうきうきしながら買った本だ。

国語に関する世論調査では63%の人が月に1冊も本を読まないと回答する一方でSNSなどで活字には毎日触れると回答した人が約75%いるという。電子書籍の普及が顕著のこの頃では現代の「読書離れ」は実際のところは「読書形態の多様化」で「読書離れ」という表現は必ずしも正確ではないというはじまり。
紙の読書の優位性は日本に限った話ではなくアメリカのバレンシア大学の実験でも紙媒体がデジタルより読解力で勝るという結果が出た(※リラックスした状態での読書ならば媒体による差はないが、時間的プレッシャーがかかる場ではデジタルが読解力が劣る)

「脳が一度に処理できる視覚情報には限界がある」という話で

この1枚目のような状態では、内容の理解度や記憶への定着率が低下してしまう可能性があるということや、耳で聞く読書についてや、「読書の効能」の話が盛沢山だった。読書をすることで「結果的に」頭が良くなる脳科学的メカニズムについても説明されていた。

考察する若者たち 三宅香帆からの2冊目として読もうと思って買ったけど、予想外の展開が来た。

わたしはそもそも倍速再生はまったくせず、映像もの自体疲れるのでもとよりあまり見ないという人間です。異文化コミュニケーションな1冊でした。
「花束のような恋をした」について最後までふたりがどうなるのかを友達に細かく聞いてから見た、2倍楽しめたという話の流れで

もし予備知識なしで観て物語の細かいところが理解できなかったり、細かい演出を見逃したりしてしまった場合、モヤモヤが残ってしまう、それを避けるためには、最初から教えてもらったほうがいい、と

(P56)

twitterやってるオタクなら「(映画名)見るならこれを見て(もしくはこれを見てから行って)」というのを見たことが一度はあるだろうと思うんですが、もしくはこういう意識ゆえの「善良な行動」なのかなあと思って。

十全に楽しむために万全に準備運動をしてから飛び込みたいから、あれが心の底からありがたいと思っている人がいるんだなあと思ったし、「作品に快適だけを求める傾向もまた『観客の幼稚化のひとつでは』(P184)」に焼きマシュマロやないか……と思うなどした。

盛り上がっている話題を邪魔にならないようにただぼーっと聞いていてはいけない。傍観者に徹してはいけない。既読スルーなどもってのほか。積極的に参加し、気の利いた一言で場を盛り上げる、かき回す。もしくは、多くの人がついてこられる程度の個性的すぎない個性を積極的に発信すべし----。

(P139)

冒頭からずっと「理解の範疇外の宇宙人」だったのが、読み進めるにつれてあまりにも生きづらすぎないか……? と思うことが多々あった。いうてわたくし思春期時分にはインターネットがなく、高校生の時には一部の人間のみがポケベルを持ち、LINEはやってないよやる気ないよとでかい声で言い続けてここ数年でようやく触り始めたぐらいの、地方生まれ地方育ちで、どういう環境で生活すればこうなるのかぴんと来ない。
Twitterではたまに見かけるけど、たかだか140文字程度でバックグラウンドを慮るのは失礼な話だし、わたしから遠く離れたところで生きてほしい(アルゴリズム的に「目に入れたくないツイート」に物理的に触るとどぅわっと増えるので、「表示を減らす」か「関連性がありません」をタップしている。

なまじ直近に読んでいたのが考察する若者たちなので、スキップとローファーと、あと「スマホ時代の哲学」が脳の片隅をちらちらしつつ、読んだ。

私に馴染んでいる「考察」は考察する若者たち 三宅香帆 では批評とイコールで、もしやこれはジャンル方言なのか? もうちょっと批評について知ってみようということでkindleの積読から。2021年に買ったらしい。何に惹かれて買おうと思ったのか。

批評というのは何をするものなのでしょうか? これについてはややこしい議論がいろいろあるのですが、ものすごく雑にまとめると、作品の中から一見したところではよくわからないかもしれない隠れた意味を引き出すこと(解釈)と、その作品の位置づけや質がどういうものなのかを判断すること(価値づけ)が批評が果たすべき大きな役割としてよくあげられるものだと思います

(プロローグより)

批評に触れた人が、読む前より対象とする作品や作者についてもっと興味深いと思ってくれればそれは良い批評ということです<

(プロローグより)

ここで注意していただきたいのは、深く考えないで作品を見て楽しむというのも十分価値ある体験で、深く考えた批評を行うといいう体験と優劣はつけられない、ということです。楽しみ方はひとつではないので、なんにも考えずに頭をからっぽにして楽しみたいという時もあえれば、よくわからないものを深く掘り下げたいという時もあると思いますし、この楽しみの体験はどちらも素晴らしいものです。この本でとりあげるのは後者のようなことをやりたい時にどうしたらいいか、ということです。

(プロローグより)

取り上げられる作品(映画、小説、演劇)はなじみないものが多かったけど、興味深く読んだ。
批評をするときは自分の性的な嗜好 (異性愛同性愛等と異なり、もっと広い意味で人の性に関わる雑多なこだわりを指せる言葉、と書かれている))や趣味はきちんと理解しておきましょう(批評する側のバイアスに関わります)のくだりよかったですね。自分の欲望に率直に!

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今年解釈が合わんオブジイヤーだった三宅香帆さんがいうところの「考察」と、わたしが思うところの「考察」はそもそも定義が違うということが判明したので、ちょっとその話からします。

わたくしSound Horizonファン(ちなみにファン呼称はローランと言います)歴22年寄りの21年の人間なのですが、SoundHorizonは考察文化とレポの文化が大変盛んな国です。
例えば「星の綺麗な夜」という曲は19世紀に農夫をしていた男がジャガイモ飢饉で食い扶持を失い、海を渡ってアメリカにたどり着き、傭兵をしたりゴールドラッシュやなんやかんやを経験して、愛する女性と出会い、子どもができ、いつ死んでもいいと思いながら生きてきたのに、男に刺され嫌だまだ死にたくないと呻きながら死んでいった男の一生が歌われた曲です。
曲中では正確な名前が分からない1のにも関わらず、曲を読み解いていくと男の命日が判明します。
星の綺麗な夜の歌詞を検索してもらうとわかるのですが、大変ルビが多い歌詞となっています。ちなみにこれは誰かの耳コピの歌詞で、「100%正確」なものではありません。
このルビの「正しい歌い方」について、もう歌手活動を引退した方がどのように歌唱指導されたかについてツイートされ、界隈がざわついたことがあるのですが、間もなくこのツイートは削除され公式にお触れが出されました。
Information | Sound Horizon official website
ざっくりいうと「公式が正解を振りかざすべきではない」と公式が言うのである。
唯一の正解など存在しない。「聴き手による解釈の自由」はこの国において最も尊重されるべき権利なので、それを奪う可能性につながることは控えてくださいというのである。

そういう文化にどっぷり浸かって20年経つ人間が「考察=作者が提示する謎を解くこと」「考察には正解がある」という始まり方をする本をよしとできるわけないのである。
それが本を読んでいくと

私はもともと、批評が好きだった。なぜなら批評は皆と違う感想を言っていい場だからである。作品を読んだり観たりして、そこからどんな影響を受けて、どんな感情になったのか、感想はその人固有のものである。同じ作品を見ていても感想は違う。人によって見えている世界はこれだけ異なるのだ、と他人の感想を見ると何か世界の豊かさに触れた気分なのである。

(P208)

こっこれだーーー! ってなったわけだ。わたしがこれまで慣れ親しんだ「考察」は三宅香帆さんの語彙では批評なのである。言葉の定義が違うのだから解釈が違うのは当たり前で、どちらが合ってるとか間違ってるとかではなくて、そういうものなのである。
育ってきた環境が違うから〜とSMAPも歌ってるしあまりにもbaroqueである。

感想はその人固有のものだって本当に分かる。わたしが何千回と聞いた石畳の緋き悪魔だって志田さんみたいな感想は出てこない。

ここまでたくさん星の綺麗な夜の話をしたので、聞けるリンクを置いておきます。

  1. シェイマスだかウィリアムだとかいう名前 []

前提として、わたしはこの本をブックガイドとして読んだため「話が面白い人は何をどう読んでいるのか技術を公開します」の本としては読まなかった。

新潮社のPR誌の連載と三宅さんの有料noteからの加筆修正本である。いろんなジャンルの本(概ね日本の本で、漫画もあるし小説もあるしドラマの話もちょっとある)の話が読める。
正直三宅さんが何を読んで、どういう読書ノートを書いているのか、どういうふうに紹介するのかとかはYouTubeのページターナーズを見ればいいと思う。どうやって読んでるのかの動画もあったりするので。

高殿円さんの息子さんがつい先日成人(18歳)されたらしい。
わたしは高殿さんのファンを長らくやっているので、オーダーメイドダーリンを読み、育児エッセイ(同人誌)を読み、冬になれば柏餅になり、外へ行けばエレベーターを乗りまくりという様子を遠巻きに遠巻きに眺めていた。
そんな息子さんもスキンケアや容姿に気を遣うようになり、夫(父)さんも同じようにスキンケアをするようになったという。
そんな「自身のパートナーと息子の変化」から、資生堂の広報さんに話を聞いてみよう、男性向け美容クリニックに話を聞いてみよう、「なぜ男は着飾らなくなったのか」、実際に早川書房の男性社員にスキンケア1か月体験をしてもらおうと身近な視点から歴史上の話へという実に新書っぽい内容である。基本エッセイのような語り口なので読みやすさはある。
スキンケア1か月は30代〜50代の男性3人、提出されたレポートがそのまま掲載されている。中には「塩の人」と桜庭一樹読書日記にも登場していた塩澤快浩さんがいる。

「レーザー脱毛は白髪では利用できない(髭脱毛をしたければ毛が黒いうちに)」という一文を読んで、おうそうやったんかと思ったので、誰かに言いたいなあと思って「こういう知見を得たが、言う相手がいないのでYOUに投げつける」と友達にLINEした。友達は旦那さんに言うとくと言っていた。

「(略)もっと厳しく言えば、社会が男性の美容を許さないみたいなプレッシャーにさらされ、とても男性がキレイに整えていいんだ、という考えにたどり着かない人が多いと思うんです。」
情報にアクセスできないことは大きな格差の種である。しかも、ことこれだけSNSが発達してしまうと、「やろうと思えばだれでもも調べられるのに、それをやらなかった自分が悪い」ちおう暗にな自己責任論で片付けられてしまうのだ。
(P102)

なおこの本は2025年3月時点の「何からやったらいい人向けのここからスキンケア」おすすめ商品が載っている。

綺麗ごとゼロ。別居で80代後半から90代に入った夫の両親の介護が必要になった、というエッセイ的な本である。
わたしは一昨年の11月(実質9月)で15年ぐらいに渡った介護が終わったので実用書としてはもう必要がない本ではありますが、人の苦労を見るとあの時大変だったなあというのが思い出されます。

きれいごとゼロ、というのは

冷たく聞こえるかもしれないが、これが実の子でない人間による介護のリアルだと思う。そのうえ、プロに任せるのがベストであるのは明らかだ。

(P164)

まあこういうところだ。
理子さんご自身の両親は早くに亡くされご兄弟については警察からご遺体が発見されたと電話がかかってきたのを読んだ。

言ってしまえば他人なのに、すごと思いながら読んだ。私は母は「母」だし、同性だからお風呂に入れるのもトイレの失敗の後始末もできていた。父親はあらゆる意味でできないと常々言っていた。

デイサービスに行ってくれるのいいなあと、思い(カーチャンはコロナ禍以降頑として行ってくれなかった)、男性看護師さんが入ってくることに、の件にあ、覚えがあると思った。もしなんかの気の間違いで結婚して介護案件が発生したとして、またあれをできるかというと、いや無理やでと思う。最後の数か月は3時間程度しか寝られず深夜もトイレ誘導して日中は仕事をしていた。

誰でも通る道を、ゆっくりと進むだけ。横断歩道に差し掛かったら、右を見て、左を見て、安全確認を怠らずに真っ直ぐ渡るだけ。そうやって、ひとつひとつ、しっかりと確認しながら、いつも通りの暮らしを続けていけばいい。いろいろな人の手を借りて、ようやく手に入れた完全に自由な時間を楽しめばいい。なにせ、それが一番大切で、かけがえのないものだから。

(P87)

ジャニーズ事務所所属アイドルは運よく顔がよく生まれ、運よくジャニーズに選ばれ、運よく人気を得た「特別な星の元に生まれた選ばれしものたち」だと思っていたけどその活躍の裏側に地道な努力の積み重ねがある、という本。

第1部 努力の16人
中居正広、木村拓哉、長瀬智也、国分太一、岡田准一、井ノ原快彦、堂本剛・光一、櫻井翔、大野智、滝沢秀明、風間俊介、村上信五、亀梨和也、中島健人、伊野尾慧
第1部のまとめ
第2部 ジャニー喜多川論(育てる力)

という流れで、ここで名前が出てない人も出るには出てるけど、ページを割かれている、となるとこの辺になる。
ソースの表記がすごく多い。例えば中居くんの「話すのは、正直苦手なんですよ(*2)」のように参考文献が明記されている。だいたい雑誌のインタビューで、2008年以降。
合間を縫って毎日本1冊読んで映画3本見る(10代の岡田くん)、とか移動時間を利用してガンガンインプットする(太一くん)とか、映像作品の編集は必ず立ち会ってがっつり関わる(光一くん)とかこの世界で生きていくためにしている努力がすごい。
そら蜷川監督も「なんでジャニーズの方が努力してんだよ! お前らより売れてる奴らがよ! 全然説得力ねえよ!」っていう1

「ジャニーズの場合は、ジャニーさんが、きっかけを作ってくれて、あとは自分のことは自分で磨いていくというか、だから、ジャニイズム2は人の数だけある。(中略)みんなちがっていいし、だからこそバラバラな個性がグループになったらおもしろくもなったりする」

才能とは死ぬ気で身につけるものである、という本。
彼らはどういう道のりを辿っていまの位置にいるのかということを、陰謀論や過剰な思い入れ抜きで膨大な資料からまとめられているので、「エンタメでプロフェッショナルの仕事」が好きな人によい本なのではないか。

  1. NHKのドキュメンタリーでの話。自分の劇団所属で、まだ売れてない若手俳優に檄を飛ばす []
  2. ジャニーさんはショービジネスは楽しいという風に教えてくれる。この世界でやっていく欲を叩きこむのではなく引き出してくれる、という滝沢秀明が語るジャニー喜多川の教育姿勢 []

「お金の増やし方」について書いて欲しいと依頼されて書いた本がこれである。
何故そんな依頼をしたのだろうか、自分はお金を増やした経験などない。庭に線路を敷いて自分が乗れる鉄道を走らせたかった。もっと儲かるバイトはないものか、でも土日も出勤しているし勤務時間の倍ぐらいは仕事をしている。でも夜は空いている。小説を書いてみた。売れた。年収1億超えても普通に出勤して16時間ぐらい勤務していた。印税収入が20億超えてもマックのハンバーガーセットぐらいしか外食をしていない。別荘地を買って自分が乗って鉄道は走らせる夢は実現させた。
と、そういうはじまりをする。そんな人おらんやろと思うけど、書いているのが森博嗣なので、森博嗣ならまあそうなんだろうなと思う。
この本はお金との付き合い方との本だ。

収入に応じた生活のデザインをする(森家は収入の1割はそれぞれ自分のしたいことにお金を使おうという約束をした。)
「どれくらい必要か」ではない「どれくらい欲しいか」だ。これは必要なものだという認識でお金を使い切るのは贅沢だ。
「お金がないから、時間がないからできない」という人は、実は本当にやりたいことが分かっていない。具体的に質問していくと答えられない。本当にやりたい人はなんとか工面している。自分が好きなことをやっている人は時間とお金が潤沢にあるのではない。実際は苦労して生み出している。目的のためには犠牲が必要である。

損を先に、得は後からする。

小説を書いたことに対して、好きなものを仕事にしなかった。小説家には憧れていなかった。パソコンがあればできる仕事だと次の日に書き始めて睡眠時間を半分にして書いた。好きなものは得意になるかもしれないが、僕(森氏)が観察した限り客観性を持て自分を見られている人は少ない。

音楽を聞く・演劇を見る・スポーツを観戦するというのは突き詰めれば簡単な消費である。楽しいし、仲間もできるかもしれない。その時間が終われば何も残らない。そこでもう少し探求・研究という場面に踏み込むと話は違ってくる。消費ではなくなる。自分に何らかの知識を得たりレベルアップする。レベルが高くなると周囲に何かを依頼されたり指導してほしいと頼まれたりするかもしれない。

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