同時期に原稿零枚日記と全裸を読んだのでお題「作家」で本を並べるんだ! という電波を受信した……
フィクションのような自伝のような
ゴージャス/篠原一(角川書店)
椎名憧子、普通の女子高生だったが彼女は17歳史上最年少(当時)で文学賞を受賞する。
自伝的小説である。自伝とはいっても執筆は大学生の時点、内容は高校2年の1年間。
ちなみに憧子とは(仮名)のようで本名はまた違う。
小説に関わる話は比較的少なくどちらかというと友達との交流の話が多い。
東大進学率20%を誇る進学校で過ごす3年間。友達の話がよい。
おかげで僕は僕を僕と呼ぶようになった。これもまた逆説的にひとつの象徴である。そしてもうひとつの結果として僕は嘘が上手くなった。そのあために、またひとつの結果として、妙にスカした理屈屋になり、イマイチ論理家に徹するには足りなかったのか、恥ずかしいことにロマンティストだったのか、それとも必要以上にウェットだったのか——その辺の補助的な要因はさしあたりおいておくにしても、とりあえず生来の何かがこれまた一本ハズレていたために、十七歳ではからずも小説家、というオソロシイ事態に今度は両足を突っ込むことになってしまったのである。
(P7-P8)
バカが全裸でやってくる/入間人間(メディアワークス文庫)
小説家を目指す僕は大学に入学して、コンパでひとり寂しくのところを突然現れた全裸の男に絡まれた。
見た目はどう見ても変質者だけどコンパの参加者である。
「僕」の話がずっと続くのかというとそうではなく、語り部を変えゆるくリンクする小説家の物語。
俺はこういう人に憧れて小説家を志したのだから。
華々しく見えた。遠い空の向こうの出来事に思えた。それでも目指して幸運で辿り着いて、夢の正体を知った。夢の本質は今の俺を取り巻く環境だ。(略)
俺の心は本の中の世界に浸かっている。きっと現実も同じなんだ。
今の俺は夢に囲われている。
夢は外側が光り輝いて、内側は真っ暗なのだろう。(P237-P238)
小説の中の小説家
ファミリーポートレイト/桜庭一樹(講談社)
母親のマコと娘のコマコ。コマコ5歳からはじまる逃避行を描いた第1部。
母親を失ってから、とりわけ物語を生み出すものとなったマコの半生を描いた第2部。
幼いコマコの本屋との出会いのシーンが好き。というか本に関するエピソードが自分の読書履歴を引きずり出していく。面白い。
「少女」だったり「母と娘」だったり「家族」だったり桜庭一樹作品にあったような要素が渦巻いてる集大成みたいなとても読み応えのあるものがたり。
「自分がものを表現するのは、世間から賞賛されたいわけでも、なにが欲しいわけでもなくて、たったひとりで孤独に震えてる、誰かの、夜にやさしく滑り込みたいからだ、と言っていたやつがいた。ぼくはそれ、わかんないけど、わかるなぁと思ってね。だからいま、君が、ぼくのつくった本を無心に読んでる横顔を見てちょっとだけ幸せな気持ちになれたよ。それを書いた作家はとっくに野垂れ死んでるけど、ま、死にがいもあったってもんだ」
(P286)
ストーリー・セラー/有川浩(新潮社)
有川浩作品にしては珍しい「ハッピーエンド」に終わらない。
あるサラリーマンの夫と小説家の妻、彼らを襲った過酷な運命の話。
「とても泣ける話である」という感想をよく目にしましたが私は「理不尽ホラー+愛」だと思います。
あと「小説家の夫」の描かれ方が「空から美少女が降ってくる」並に現実離れして「よくできた旦那」だと思います。
「『読む側』の俺たちは単純に自分の好きなもんが読みたいんだよ。だから自分の好きじゃないもんに当たってもそれは外れだったってことで無視するだけなの。ベストセラーでも自分にとって外れのこともあるし、その逆もあるし。(以下略)」
(P48)
スロウハイツの神様(上)(下)/辻村深月(講談社ノベルス・講談社文庫)
10年前、快晴のある日。チヨダ・コーキの小説のせいで人が死んだ。
猟奇的なファン発案、「死にたい」と思ってた人たちによる小説を模倣した命をかけた最後のゲーム。
10年後、「日本で一番忙しい脚本家」赤羽環は元旅館を改装したアパートにクリエイター志望の友達たちに「一緒に住まない?」と持ちかけ共同生活を送り始めた。
その中にはチヨダコーキも存在する。一時筆を置いていた彼はある新聞記事を機に復活して今は前線で活躍している。
スロウハイツで暮らす七人の物語。
コウちゃんことチヨダコーキのデビュー作「V.T.R」は講談社ノベルスから刊行されてます。おいすごいな。
→V.T.R. (講談社ノベルス)
私は虚構と現実がごっちゃになったりしていないし、自分の現実をきちんと捉えたその上で、チヨダブランドを読むのが何よりの幸せです。いつも、続きが楽しみです。読んでいる間、キャラクターたちと一緒に泣いたり笑ったりします。読み終えた後は、ちょっと気を抜くと涙が出そうになるぐらい感動します。そんな気持ちに毎回させてくれるのは、チヨダ先生のチヨダブランドだけです。
私は自殺を考えたことがあります。(略)死んでも惜しいことは何もないって考えた後で、だけど、来月チヨダ先生の新しい本が読めるかもしれないんだなぁと思うと、簡単に自殺の決心が壊れました。(上巻P199-P200)
原稿零枚日記/小川洋子(集英社)
「あらすじ」の名人で、自分の原稿はまるで作家の私。タイトルは日記ですが小説です。
取材に出向き、子どもはいないが子泣き相撲や小学校の運動会にひっそりと参加し、新人賞の下読みをする。またある時は「本編よりあなたが書いたあらすじのほうが明らかに面白いのでそれは困る」という理由で仕事をなくし、時々妙に幻想あふれる展開になりまた現実に戻る。
時折原稿枚数は数枚書けるもすぐにまた零枚になり(原稿零枚)が日記の締めの毎日。
「どうもありがとうございました」
形だけお辞儀をして、編集者は部屋を出て行った。
いいか、お前の話を聞きたがっている人間などこの世に一人もいないのだ。付け上がるんじゃない。
取材の後必ず自分に言い聞かせる戒めを、今日も高らかに唱える。(原稿三枚)
(P33)
ちなみに日記体小説とかそれに類するものが気になる方は「にょっ記」(穂村弘)とか「東京日記」(川上弘美)1とか読むといいかも? 以前のyomyomでも日記特集が組まれていました……
現役作家に話を聞いてみた。
タイトルだけ見ると実に「お前実はワナビなんじゃねえの?」「ちゃうねん!」枠。
五代ゆう&榊一郎の小説指南
創作関連のことについて延々と語り合ったり企画書とか小説とかが載ってたりします。
雰囲気としては
Togetter - 「小説としての体裁と構造をどう構築するか」がもうちょっと砕けた感じ。たぶんとぅぎゃったーのまとめが面白いなあと思った人は作家志望じゃなくても面白いと思う。たぶん。
ライトノベルを書く!—クリエイターが語る創作術
多分まだ単行本未収録だろう乙一の短編とそのメイキング日記が掲載されてます。
主にインタビューです。ガガガ文庫が創刊されるちょっと前に出たもので、文学少女が出始めたころの野村美月とか賀東招二とか川上稔とか新城カズマとか(以上敬称略)とか登場しています。
私こういうインタビューとか対談の類が好きで結構ごろごろしてます。
ライトノベル作家のつくりかた〈2)とか高殿円・須賀しのぶなど少女小説系で活躍されている作家インタビューにがっとページが割かれているのですごく良いと思います。
小説家という職業/森博嗣(集英社新書)
森博嗣っぽい創作に関する本です。
「小説家になった経緯と戦略」「小説家になった後の心構え」「出版界の問題と将来」など。
書評サイトに対する言及もありました。ここと「小説にテーマはいらない」が好きです。
ちなみに小説家になるためのノウハウ本ではないと思います。
作家志望の人は何を目的にして作家になろうとしているのだろうか? 「プロになりたい」という言葉は聞くけれど、それは「お金を稼ぎたい」という意味なのか、それとも「広く沢山の人たちに認められて人気者になりたい」という意味なのか。どちらだろう。これは尋ねてみると後者であることが多いようだ。もし、本気でそう考えているならば、本書はまったく参考にならないだろう。
(P52)
作家の日常
作家の日常。日記の書籍化。最近はブログの書籍化を一時ほど見なくなりましたね。
左から桜庭一樹日記(桜庭一樹)
ビロウな話で恐縮です日記(三浦しをん)
いしいしんじのごはん日記(いしいしんじ)
これは虚構なしの普通の日記です。桜庭一樹日記にはGOSICK誕生秘話も載っているよ。
- ただし東京日記は実話ベースの嘘っぽいもので、同作家「椰子・椰子」は基本嘘 [↩]
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