星兎以来久しぶりに寮美千子作品を読む。すごく幻想的な物語でした。
マミコは海辺の小さな別荘地でおじいさんと二人で暮らしていた。
ある日マミコは海岸で「おじいさんお気に入りの流木」が流されていることに気付いて流木を探しに海岸を走った。流木に見えたものは木馬だった。気がつくと時間が止まった海岸にいたマミコは影が動き出し、影は「世界の果てにあんたの名前と木馬の角を捨てに行く。何もかもを忘れるために」と言い走っていった。
世界が多重になってる感じです。ふわっとします。
この作品は楽園の鳥 —カルカッタ幻想曲—の作中作だそうなので、こちらも気になる。
毎日、老人といっしょに海岸を散歩して、小石や貝殻を拾うほどに、マミコのなかで、ある美学が育っていった。昨日までいちばん美しいと思われた欠片が、きょうはもう、そうは思えなくなる。もっと美しいものを見つけてしまったからだ。その度に、箱の中身は徐々に入れ替えられ、ほんとうに美しいと思われるものだけが残っていった。やがてそれは、箱の中身を無造作につかみとって床にばらまいただけでも、息を呑むような美しさを見せるほどに、洗練されていった。
(上巻P93)
少女だったり老婆だったり、顔かたちも違ったが、それが同じ一人の女であることが、男にはわかった。なぜなら男はその女と、いくつもの人生をともに歩んできたからだ。世界の果てから果てへ、時の荒波を越えて出会い、別れまた出会ってきた。ばらばらに生まれ落ちても、必ず互いを探し出し、手を握りあってきた。
(上巻P314)
愛されることは閉じこめられること。必要とされることは立ち去れなくなること。そうやって、老人は少女を閉じ込めてきた。そして、ふいに姿を消してしまった。
(下巻P250)