生誕祭2日目にお披露目された海を渡った征服者達。
果たして海を渡った征服者達がCDになるのはいつの日なのか夢見つつ本を読んできた……
読みながらとてもときめいたのでがりがりとメモ。参考元は以下の2冊です。

アステカとインカ黄金帝国の滅亡

歴史を辿れる本。
図書館で「コンキスタドーレス」で検索してあった本を借りてきた本の片割れ。
気難しい感じの本かと思ったらすごく読みやすかったです。

メキシコ/マヤ&アステカ (写真でわかる謎への旅)

図書館で「コンキスタドーレス」で検索してあった本を借りてきた本の片割れ。
カラーの写真がとても多い。そして説明も結構多い。

「海を渡った征服者」の関連を引張ってます。
ちなみにわたしは歴史については素人なので、間違いの指摘とかはありがたいですが内容について質問されても分からないことのほうが多いのでその辺ひとつお願いいたします。

テオティワカン滅亡後、10世紀に入って北方から極めて好戦的なトルテカ人がメキシコ中央高原に侵入し都市を次々に攻略して「トルテカ帝国」を築いたという通説が登場。
トルテカ人は11世紀ごろ侵入を開始したチチメカ人とともに「北方の蛮族」とされているがどう違うのかは分からない。トルテカ=チチメカ人という記述がある本も。

ちなみにチチメカとは「犬の血族」を意味する蔑称で自身でチチメカ人と名乗っていたわけではない。

トルテカ帝国には「ケツァルコアトル」と呼ばれた王が実在したという伝承がある。
文化神であるケツァルコアトルを信奉して平和主義に基づいた治世を行ったが、獰猛な神テスカトリポカを信奉する家臣団によってトゥーラを追放され王は彼に従う者とともに放浪の旅に出る。やがてユカタン半島に。

トルテカとは都市の民という意味だが「トルテカ帝国」の存在を疑う研究者もいる
11世紀以降メキシコ中央高原に侵入したチチメカ人は各地の都市を次々に征服しその高い都市文化を進んで吸収し自らも都市の民(トルテカ人)と名乗った。チチメカ人の行動が歴史を混乱させ強大な「トルテカ帝国」という幻想を生み出したのではないかという。

チチメカ人の中で最も遅れてやってきたのがアステカ人である。
アステカ人の故郷は「アストラン(鷲の地)」と呼ばれているがどこだったかは未だ不明。
信奉する部族神はウィツィロポチトリで勇猛果敢・生贄を求める極めて残酷な神。
もうメキシコ高原はほかのチチメカ集団に分割統治されていたためテスココ湖上の島を埋め立て拡張し都市「テノチィトラン」をつくる

アステカはテノチィトラン・テスココ・トラコパンの三市同盟を基礎にメキシコ中央高原覇者の道を歩き始めるが、中央集権には程遠くアステカへの服従を誓う限りは独立を保障されていた。

1517年2月8日
奴隷狩りの目的でキューバのサンティアゴを出航、バイーア諸島に向かった船が偶然ユカタン半島の北端に辿り着きマヤ文化を発見、メキシコ征服がはじまる。
このときの隊長がフェルナンデス・デ・コルトバ。

コルトバはのちにマヤ人の軍に襲われキューバへ戻るがこのときの傷がもとで死亡する

1518年
ファン・デ・グリハルバ総指揮の元再度出航する
コルドバが上陸しマヤ人と戦った地点まで来た。マヤ軍と交戦したり先へ進んだり色々した後キューバに帰る(9/29のこと)。

グリハルバのもたらした金と情報に興味をしめしたベラスケス総督は本格的探検を決意。
指揮官としてエルナン・(フェルナンド)・コルテスを選ぶ。
コルテスのメシカ(アステカ)遠征従軍記録者にベルナール・ディアス
11/18出航

コルテス上陸前、テノチィトランでは不吉な事態が相次いだ。
不吉の前兆である彗星の出現、神殿の突然の炎上・風もないのに湖が大きく波立つ。
スペイン人上陸後王は直ちに異邦人と友好を築こうと様々な贈り物を届けさせた。

1519年エルナン・コルテスは500人ほどの手勢でテノチィトランに入城。
抵抗らしい抵抗を受けず9代目の王モクテスマを捕らえる。
これはアステカの神話でかつて生贄の儀式を否定してウィツィロポチトリ1に追放されたケツァルコアトル神の伝説による。
ケツァルコアトルは追放される時「一の葦の年」に戻ってきた時再び支配者に返り咲くと言い残して放浪の旅に出たという。
この「一の葦の年」がコルテスが上陸した1519年であるという。

コルテスは先住民に対しスペイン王室への絶対的服従とキリスト教の帰依を要求した。

コルテスはコロンブスのように自分を神の使徒と思わず異教のイスラム教徒と戦う「ローランの歌」2の主人公になぞらえ、聖戦の騎士の意識に燃えていたようである。これは8世紀以来、国土回復のためにイスラム教徒と戦い、征服を繰り返した戦士の姿勢に似ていた。

(アステカとインカ P64)

コルテスがメキシコの地を踏んだ1519年はレコンキスタ終了後27年しか経っていなかった。異教徒に対する戦争の記憶はまだ生々しくスペイン人の脳裏にあった。
イスラム教徒と戦ったスペイン人は敬虔なキリスト教徒であると同時にイスラムの財宝を狙う物欲の人であり中世人コロンブスと違う征服者3という新しい人間がアメリカ大陸へ侵入するのである。

1520年
コルテスはモクテスマを幽閉しウィツィロポチトリの祭礼の日を狙って1万人のアステカ貴族を皆殺しにした。モクテスマもこのとき死亡する。

1525年
フランシスコ会の宣教師による熱心な布教活動が始まる。
先住民の宗教はキリスト教の禁ずる偶像崇拝だった。先住民は強制されてあるいは進んで改宗した。改宗を少しでも抵抗した先住民は悪魔にとりつかれた偶像崇拝者として虐殺の対象となり、宣教師は大手を振って異教徒の神殿から強奪・破壊し火を放ち神官を殺害した。

メモ:

通訳。
マリナリ(マリンチェ・マリーナ)が現地の言葉ナワトル語をマヤ語に翻訳、アギラールがそれをスペイン語に翻訳していた。その後マリナリはスペイン語も覚え通訳をするようになり、コルテスの傍に仕え彼の子供を産んだ

ピサロ……インカ帝国の征服者がフランシスコ・ピサロという

前線指揮官4

  1. トルテカ神話ではテスカトリポカ []
  2. フランス最古の武勲詩 []
  3. コンキスタドーレス []
  4. アデランタード []