子どもいないけど読んだ。子どもを取り巻く本の環境についての本。
まず本を2つのタイプに分けていた。空想系(小説とか創作物全般)とリアル系(エッセイとか図鑑とか伝記とか政治ものとか本当にこの世にあるもの全部)
驚愕!だったんですが(でも考えてみれば、当たり前なんだけど)
"低学年は、まだ"リアル系"と"空想系"の区別はついていない!"
んですね。これは"著者"というコトバを解説したときに気がつきました。
小学四年生までは作者という概念がわからないのです。五年生はね、わかるのよ。でも、
"サンタクロースはほんとにいるっ"と思っている人たちにとっては空想系の本もリアル系!なのです。(P32)
思えば確かにそのぐらいまでは「作者」という概念が希薄だった。「モモ」は「モモ」であって「エンデ作」ではなかった。それ考えると初めて作者を意識したのって折原みと・小林深雪あたりかもしれない……
あとケータイ小説とかYAとか学校図書館の作り方とか古い本が読めなくなる理由とかそんなかんじだった。
きていた。
屋根裏物置 - 少女小説感想サイトの一覧を作ってみたからいらっしゃった方こんにちは。
少女小説的にはビーンズとコバルトに重点を置いている読書日記サイトです。
全体で見るとあっちこっちのジャンルをつまみ食いしている読書日記サイトです。
あと少女小説系では2008少女小説系新人作品紹介エントリやりました。
大正浪漫で異能です。
「結ぶ」という行為に特別な能力を持つ一族がいた。
代々女系に受け継がれるその力をもつ娘はムスビと呼ばれ京で帝につかえた。動植物や紋をあしらった花結びを守りとしたり空間を結んで魔を封じ込めたり結びを呪術的に使うことで陰陽師とともに都を守ってきた。
保泉可也はそのムスビの一族和久家の血統の最後だ。
女系を保つために婿をとって血をつなげてきた和久家は、維新後も天皇に使えるため京都から東京へ一族で移ったが当時の巫女(可也の曽祖母の妹)は移動した後亡くなった。「前時代のもの」である巫女一族は徐々に居場所をなくされ可也の母は祖母を連れて保泉家に入った。千年を超えて続いた和久の名前はここで絶えた。
恋愛要素はありますが、可也の周りの人です(メインではない
明るかったりコメディな方向ではないです。
ちょっと封殺鬼を思い出した。可也には友達いるし当主でもないですが、雰囲気的に?
舞台は東京ですが京ことば女子もいます。
図書館へ行った帰りに本屋をどうろうろする。
ティアラ文庫が確実に入荷しているだろうところをちょろちょろしてみた。
1軒がなにか封入でもされていたのか全冊シュリンクされていたので紀伊国屋の新刊コーナーはとても荒れていた(表紙反り返っている
やばいと噂のヴァンパイアプリンセスをぺらっとしてみる。
本のあっちこっちからきしみ音(婉曲的表現)が聞こえてくるようだった。EROI。
とりあえず積み本の現状と聞こえてくる感想をあわせるとティアラはとりあえず今月はスルーでいいかなあと思ったので買うのはやめる。
あと影木栄貴のエッセイマンガ
これがえらいプッシュされていた。POPではDAIGOが全面に押し出されていた。
このPOPを見た後買うのは何故か恥ずかしかったので別の本屋で買う……
中身はじーちゃんと私みたいな家族ネタ(おもにじーちゃんとDAIGO)のエッセイマンガです。
すごくでっかくつだみきよがいますがほとんどでてきません。
巻末に影木さんとDAIGOの姉弟対談(フルカラー)がのってた。
ぼく、オタリーマン。4ぺらっとしてたら俺妹とハルヒが見えた。
これ見てるときに横ふと見てたらすごく友達に似た人が立っていたのですごくびびった。2回見た。
これの前に置いてあった20歳の原点の帯が桜庭一樹と中村航だった。
日記本のようだ? 横書き。新潮文庫でも同じのが出てて、これは新装版で3冊あった。
本のラストに略歴が載ってたので見ると私が生まれるずっとずっと前に自殺していた。
なんとなく卒業式まで死にません—女子高生南条あやの日記 を思い出す。
講談社Birthをはじめてみた。なんかぱっと見の印象は箱がなくなったBOX。
頼りない表紙だなあ。いろんなものと鞄に入れてたらすぐぐちゃってなりそうな感じだ。
白いほうの三浦しをん。林業を営む人々とそこで働くことになった勇気の成長の話。
勇気は高校卒業したが進路は決まっていなかった。大学には行かず、かといって就職する気もなかった。
適当にフリーターをやるつもりが、担任と母の陰謀と「緑の雇用」制度によって林業の世界に放り込まれることになった。
行き先は横浜を遠く離れた三重県の山奥、神去村。
住人の多くは60歳以上、携帯の電波は村では基本的に入らない、手紙ひとつ出すのもいちいち面倒な不便を絵に描いたような過疎村だ。
100年サイクルの林業を営む人が多く夜は遊ぶところもなくこの村の住人の気質はおっとりしている人が多い。神去弁でいうところの「なあなあ(ゆっくり行こう・落ち着け・今日はいい天気ですね)」「なっともしゃあない(なんともしかたがない)」を地で行く神去住人はときどきワイルドすぎて冷たい。
冬から始まって冬に終わる1年の物語だ。3章が超好きだー。
「オオヤマヅミさん(山の神さま)」とか「大祭の年」「誰にも見られず深夜ひっそりと行われる祭りの準備」とか白いへび眠る島を思い出したけど、雰囲気はこっちのほうが格段に明るい。
夏祭りで山太(5歳)が勇気のところに走ってくるところの
「なあ、勇気」
「呼び捨てにすんな」
「ゆうちゃん」
「なんだよ」(P178)
ちゃんづけはありなんかwwwとかおもった。
神去川のプール(岩を集めて作る)がいいなあと思った。私は海と山が近いので川遊びはほとんどしたことがない。祭りで使われるメドが直球でえろすぎてふいた。
山の神さまに対する村人の態度が加門七海の怪のはなしを思い出した。
怪のはなしは実録怪談集なのだけど(うろ覚えなので詳細は違ってるかもしれませんが)「祭りが見たくて役所に紹介して貰って山奥の村へ行った。『この子は神さまの子なんだ』と紹介されたり村人が並んで、声をかけるわけでもなく山のほうをいっせいに向いた。山から走る火の玉が」みたいな話があったので、神去村ももしかしたらそういう村なのかもしれないとか思った。
「静かに」
清一さんがささやいた。「大丈夫だ。じっとして」
俺は地面に立てていた釜の柄を強くつかむ。大丈夫だ。ちゃんとここにいる。霧の中で呼吸を整え、動揺を鎮める。
ドーン、ドーンと、太鼓のような音が低くした。神去村が鳴っている。ついで、かすかな鈴の音が響く。幻聴かと思ったけど、ちがう。シャンシャンと澄んだ音が、西の山の尾根から下りてきて、俺たちのすぐ横を通り抜けた。俺はもう体がすくんでしまって、指一本動かせない。まばたきもせず、立ちすくんでいた。(P136?137)
気温と湿度の上がる夏の山は、ほんとに危険でいっぱいだ。
だけど、木陰と朝夕は涼しい。斜面に生えた木のねもとに腰を下ろし、青い空と緑に覆われた神去村を眺める。ひぐらしの鳴く声にうながされ、オレンジ色に染まった薄い雲の下を歩いて帰る。そんなとき俺は、「ああ、きれいだなあ。楽しいなあ」と心の底から思うことができた。(P149)
紙のままおいてたらなくしそうだ