昨日は全FFを見ていた。わたしが好きなFFは7と9と6なんだけども、FF7については2/12更新のカレー沢薫さんのエッセイの

ファイナルファンタジー7が発売したのは1997年である。
つまり今の10代は知っているどころか生まれてもいないという事実にBBAはまず1回死ぬのだが、当時私は14歳、つまりリアル中二である。中二の時の経験というのはもはや「ふれる」というより、「ほられる」に近いのだ。ケツをどうにかされたという意味ではない、それも忘れ得ぬ思い出になるとは思うが、尻よりももっと奥、つまりS字結腸、ではなく「心に刻まれる」という意味だ、そう簡単に消えたりはしない。
よって、すでにゲームを卒業ぎみな者ですら当時を思い出して「7だけははやらねば」と言っていたりする。
しかし、ファイナルファンタジー7は、我々、エヴァと椎名林檎を死ぬまで引きずる中年世代だけでなく、生まれてもいなかった若人がプレイしてもそこまで古臭さを感じないゲームだと思う。

この辺がすべてを物語っているだろう。わたしもそうだ。7だけはやらなくてはいけない。放送ではリノアが「あざとい女」と不評気味に言われていたのが10年(ぐらい?)経っていても同じなのだなと思った。あの番組はどう考えてもオタクしかいなかったから「わかるーーー」ボタンの連打だった。

「ファイナルファンタジー7」をやるかどうかはシド次第|カレー沢薫の廃人日記 〜オタク沼地獄〜|カレー沢薫「ファイナルファンタジー7」が完全リメイクされると聞いてから3億年ぐらいたった気がするが、ようやく3月に発売するそうだ。www.gentosha.jp

まあ昨日の話はその辺でさておき。

今日は図書館へ行き、帰りに喫茶店へ寄り「漫画喫茶で得られたあの謎の万能感は他でも可能なのか?」の実証実験に行った。周りに人がおらずもたれる壁もある席を選んだがあの謎集中感は再現できなかった。やはりあの暗さと半個室と無音の環境か。読書は進んだ。

そのあとは普通に買い物に行った。普段であればものすごい勢いでトイレットペーパーが積まれている店だったが閉店前か? と思うレベルで棚が空いていた。あかんのはトイレットペーパーと生理用品だけかと思えば、ティッシュペーパー、おむつもなかった。ということはペットシーツもやばないか? と思った。乳幼児の親と老犬猫の飼い主の平穏を祈るしかなかった。レジはものすごい勢いで稼働していた。まるで年末か台風直撃前日のようだった。

帰宅後は親戚から謎なレベルで「はよ病院行けすぐ行け何故行かないのか向こうは待っているぞ」と、詰問口調で毎日病院へ行っているわたしをなじり、なぜか毎日病院へ行っているわたしに向かって母の現状を報告してくるので、毎日行っているので言われなくても全て知っていること、この電話を受けたことによる被害状態を説明した。まだ訳の分からないことを言うのでいよいよ怒鳴り散らしたら向こうから突然電話を切った。のでこっちも着信拒否をした。少なくとも退院するまでは解除しない。ちなみに本日の母は痛みと不眠により生きる事に対して投げやりかつ非常に気性が荒く、すごい勢いで八つ当たりをされたが9時ごろ、「今から寝る」と穏やかな感じの電話がかかってきた。

今日は全体的に散々な休日だったが、万年筆に新しいインクを入れ、漫画と生活tipsの本を読み、日記を書き、今は酒を飲んでいる。エンタメはガタガタのメンタルを救う。酒はどんよりとした気持ちを押し流していく。
鬼丸は来ないまま資材が尽きた。