カテゴリー「 単行本 」の記事

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わたしとトムおじさん

小学生の私、帆奈(ハーフ)と20代後半の斗六(トム)おじさんの日常。
明治大正昭和の古い建物が移築されてそれぞれ明治大正エリア・昭和エリアと分かれて、その時代に合わせた店や旅館か理髪店なんかも入って村として実際に運営している<明治たてもの村>が舞台。
ちょっと児童文学的。

トムおじさんは元引きこもりで、今は修復がメインの(具体的な名前は知らないんだけどもハチクロで竹本くんが自分探しの旅の途中でバイトしたお寺とか直すあの)仕事をやっている。今もあんまり人と話すのは得意ではない。

対する帆奈は両親が別居することになり、両親とも忙しく親の務めを果たしたいけど無理。悩む親を見て日本の祖母の家で暮らすことを決めた。そうしたらトムおじさんと会えるからだ。
ずっとニューヨーク暮らしで、日本の小学校の暮らしになじめず「ハーフ×背が高い×目立つ×転校生」といういじめにあう典型で、それなら学校になんか行かないでいいわと小学校自主休業中。

トムおじさんと交流を深めるうちに帆奈は学校に行ってみようかなと思うようになる、とかそういう話ではありません。割とホームドラマっぽい。本当に日常の話だった。
最初の展開だけ見ると最後に紗絵があらわれて帆奈がトムの背中を押して幸せになるオチだと思ったのであれーーーとおもった。
坂木司の引きこもり探偵をちょっと思い出した。あれとは違ってちゃんと男と女の組み合わせですが。

ビロウな話で恐縮です日記

ブログの書籍化。
鉄板の面白さである。

「男性作家が書く女性キャラ、女性作家が書く男性キャラは、だいたいにおいてドリームである」
と書いたが、MAさんから、
「『オキャマ作家が書く女性キャラ』は例外ではないか」
という大変有意義なご指摘をいただいた。おおー、たしかに! たとえば○○氏(生物学的には男性)の書く女性キャラは、ドリームなんて一片たりともないものな。

(P51)

この辺がこの前ついったーでうららさんと真宏さんが話してた気がする……! とおもった。

「小汚いイエス・○リストみたいな感じで!」でリクエストに応えられる(ようにがんばる)美容師さんはすごいとおもった。さすがプロだ……とかおもった。

少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)

なんと後味の悪いラストかー(※褒め言葉です

「人が死ぬ瞬間が見たい」
そう思い由紀は病院へボランティアに行き、難病の少年と会う。
敦子は特別養護老人ホームの手伝いに行きたくさんの老人に囲まれ、妙に無愛想な男性と組むことになる。

由紀と敦子はお互いを親友だと思いつつ、気まずかったり距離を置いてたりする。
一人称で視点が2つ。由紀と敦子が交互にやってくるんだけどもたまに「今どっちが喋ってるんだったっけ」って分からなくなるので一人称チェックをしていた。わたし=由紀 あたし=敦子 なのだ。
目的は一緒だけど違う方向に向かって歩き出して、微妙にニアミスを続けてなかなか合流には至らない。
こんな出来事がそれに繋がるんだ!とかそこで終わらないんだ!?みたいな。

冒頭にマイフレンド・フォーエバーが出てくるので懐かしいなーっておもった。私も体育館で見た。

そんな初湊かなえでした。

骨董屋の盃手帖

えりんぎゾーンだ!と思って借りてくる。
タイトルの通り盃がいっぱい載ってる本。カラーで焼き物の説明が軽く載っている。
常滑が出てきたのでこれがそうか!っておもった。

ブラザー・サン シスター・ムーン

1話は「三月は深き紅の淵を」の4章「鳩笛」を思い出すような文体だった。
あのエッセイか小説かよく分からない感じの。読みやすいけどすぐ過ぎ去って、特に余韻とかいい本だったなあとかはない。3編とも「ここで終わりなんだ!?」ていう終わり方だったから1冊かけて盛大に予告編やったみたいな本だったなー。

やっぱり、面白くなきゃ嫌。
小説は、読んで面白くなきゃ。本の中に入り込んで、自分がページに没入してるのを感じられるくらいでなきゃ嫌。振り回されたい。圧倒的なテクニックや、強烈な世界観に。小手先の性悪女じゃなくて、ファム・ファタルに巡り合いたいってことなんだろう。

(P28)

「本の雑誌」炎の営業日誌

日記本。今も炎の営業日誌として更新が続いている日記の2004年から2008年5月までの一部(全部を収録するのはできないから選んでちょっと書き直したりもしてるらしい)

本屋めぐりをする営業マンとして・熱狂的浦和レッズファンとして・2児の父として。
本と本を取り巻く環境について。2004年は本屋大賞が始まった年で、それに関することもたくさん。

またネットやメールによって「現在の若者たちほど習慣的に活字を読みかつ書くような若者がこれほど大量に出現した時代っていうのは多分なかったはずだ」というのも納得できる。ただし、である。
だから何なの? と疑問を感じてしまう。
なぜなら僕は出版社で働いているからだ。出版社の商品は活字ではなく、あくまで本や雑誌なのだ。どれだけ若者がメールやネットで文章を書こうが読もうが、彼ら彼女らが、本を買わなければ、僕らに利益は生まれないのだ。(略)
僕が憂えているのは、そういった活字という原材料のことではなく、本離れ、あるいは単刀直入に本が売れないことなのだ。

(P46~P47)

書店員さんの待遇はもう使い捨てといって良いような状態で、意欲があって、能力もある書店員さんが生活のため辞めていかれるのはしょっちゅうだし、ベテランの書店員さんなんていうのは、ほんとうに少なくなってきている。本来書店員という仕事は、経験職のはずなのにこんなことで良いのだろうかと思うけれど、そういうところに追い込んでいるのは僕たち出版社なのかもしれない。

(P103)

編集デザインの教科書 第3版

私編集の仕事はしてませんしする予定もないですが興味がむくっと湧いたので。
多分ついったーで原稿部の人の呻くような呟きとかフォントの話とかで盛り上がりがち+soundseaさんが紙見本ーとかデザインーとか言ってる聖だと思うよ!電波自動受信してるよ!(ちょー名指し
実践編のがおもしろかったー。製本とか装丁とかはとても興味あるところなのです。

勝てる読書 (14歳の世渡り術) (14歳の世渡り術)

14歳の世渡り術シリーズブックガイド。翻訳ものが多めです。

本を好きになるきっかけの1冊、その1冊を見つける手助けになるようなブックガイド。押しつけでも恫喝でもなく、本を手に取ってみたくなるようなブックガイド。それがこの連載を始めた意図なんであります。

(P19)

しかし中学生新聞に連載されていたのならまだしも連載元は文藝。
リアル14歳向けではなく「かつて14歳だったあなたへ」でも十分なんではないかと思うぐらい固めの本が多く揃ってます。14歳が読んで即戦力になるっていうよりかは、大人になって振り返ってみて「14歳であの本よく読めたなあ」みたいな。

必読書150の紹介で

あえて入門書めいたものはリストからはずし、最初から誰にも文句のつけようのない高い山を提示し、その山を登るための正規のルートとは異なる、ときには危険でもあるようなとんでもないルートを各自が発見していけばいい、というのがこのガイドブックの意図ということは伝わるし(以下略)

(P17)

ラノベでいうとキノの旅とかを外して入門編寄りのところにされ竜が手招いているところを想像した。

京都てくてくはんなり散歩

タイトルどおりの内容です。
これの東京バージョンは早々に挫折したんだけども、これはベタな観光地がメインである(行ったことあるところが多い)ので行ったときのことを思い出しつつ見た。
春先の平安神宮晴れてるときに行きたいなあとか思った。上映会の時は小雨だったからなー。
ガイドブックとしては使いにくいので(るるぶ1冊買えば網羅できて、より詳細な地図がついてくる)
観光客が思うところの京都っぽい風景が集まった写真集+エッセイという感じでしょうか。

北緯14度

セネガル旅行記。
セネガルという国はアフリカの北側西端の国で、首都ダカールはパリダカのダカのほうである。
言葉はフランス語で宗教はイスラム教らしい。でも本読んでるとフランス語よりウォルフ語喋れないのが大変そうだしキリスト教もあった。
いつもは紀行文とか読んでもどんな国なんだとか調べないんですが、セネガルはこの本読むまでは名前さえも知らない国で、せめてどこにあるどんな国なのかぐらいの情報は必要である……とwikipediaを読んでた。そしたらこれを読み始めた日の世界街歩きがセネガルだった。何たる偶然。

そこまで書いていいんかって思うぐらい内面書いてあった。最初はセネガルまでの同行者の編集氏に心の中で悪態ついてるところまで書いてらしたので後で気まずくなったりしないのかと思った。キャラクターズを初めて読んだ時のような気分だ。豚キムチはさらっと読めたけどこれはちょっと時間がかかった。

今、たった1ヶ月余で、もはや私には日本が本当に「在る」かどうか——あるに決まってるんだけど——その実感を失ってしまいました。もちろんメールのやり取りはできるし、日本のニュースもネットで見ています。でも、それはパソコンの中でしかなくて、どんどん架空めいてくるのです。もちろん私は日本語で喋るし、書きます。でも、セネガル人と喋っているとき、稚拙な会話しかできないくせに、日本語は自分の中から消えてしまうのです。

(P160)
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