面白かったね。わたしはブレイクショットといえば「ビリヤードで最初にパッカーンってやるあれ」と思っていたけど、これに出てくるブレイクショットは車で、車にもブレイクショットってあるんだなーと思ってたけど、内容的にビリヤードのパッカーンってやるあれっぽいなと思いました。具体的には突かれた玉がぶつかりあって影響しあっていく感じ。バタフライエフェクト的な。
わたしはツイ廃で一般時に毛が生えた程度にはそこそこ投資もしてる勢なので、「あっ生々しい」と思うリアルな描写があって笑ってしまう。その中のひとつが明らかにリベ大を擦ってるよなというあれやこれやが「ええんかこれ」っていうぐらいあの声で再生された。
この本が紙の本で580ページあってこんなに分厚い本読むの久しぶりだけど大丈夫か??? って思ったけど吸引力すごかった。
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アンソロ形式の本ではないが、まえがきとあとがきがある。
ちなみに本作は「スペース」以来20年ぶりになる駒子シリーズの続編。まえがきでは「ななつのこから始まる、ストレートな続きではない」と書かれているものの、読んでいるとあーはいはいはいとなる感じだ。ミステリの味は薄く、日常の謎というか日常に存在するちょっとした不思議なことに結末がつく。
基本的には犬が物語の中心にいる。宮部みゆきのパーフェクトブルーぐらい犬と人間の物語である。
今年の賞ランキング系を片っ端から取っていくすごいやつ。短編集。
高校生射守矢 真兎(いもりや・まと)が戦う5つのゲーム。ゲームはどれも誰もが一度はやったことがあるだろう、じゃんけんが2種類、坊主めくりとポーカーとだるまさんが転んだ。しかし今回はどれも特別ルールが追加され論理的なゲームとなっている。
これはネタバレですけど、射守矢は勝ちます。その勝ち方が鮮やかです。
元々はAmazonオーディブル用に書き下ろされた作品の書籍化。
都内にある老舗ホテル、三日月ホテルに勤めている続 力(つづき・ちから)は忙しい日々を送っている。
小ぢんまりとしたホテルがゆえに宴会担当専任とはいかず、ある時はフロントを、ある時は荷物を運び、ある時は夜勤もする。その中のひとつとして招待状作成がある。ここぞというときは手書きによる招待状の需要がある。
とあるお別れの会の筆耕として選ばれたのが遠田書道教室の遠田康春氏であったが、氏は亡くなられており、筆耕は遠慮するという連絡があった。それがサンプルと一緒に送られてきたのが今回選ばれた「教室を継いだお子さん」遠田薫氏であった。
康春が跡を継がせた人間なら間違いはないだろうが、万が一のことがあっては困る。薫氏の腕と人物像を見極めてほしいと力は書道教室を訪れた。
書道教室に通う子供からは若先と慕われ、あらゆる筆跡を駆使し代筆を請われる遠田に巻き込まれる形で力も代筆に協力したり食事を共にしたりすることになる。
元々がオーディブルということは耳で聞いて理解できる内容のためか、あっさりした内容で読みやすく、登場人物も限られている。
「宮木あや子が明治ブルガリアヨーグルトをテーマにお仕事小説ともやしもんぽいもの(さらに入れ子としてPixivで細々連載されている乳酸菌擬人化小説)を書いた」というやつ。
岩手県出身で東日本大震災で被災し、今はとある大手食品会社で勤めている朋太子由寿と「悪魔の創造せし国に忍ぶ矜持の器と刃」(乳酸菌擬人化)と仕事の話である。
というと「ハハーン、B面の宮木あや子ね」と思って読むと震災サバイバー、地方も地方出身女子の大学院進学ほか「女性の権利について」、なんかもういろいろ入っているのである。軽そうに見えてそんなに軽くはない。
アフタヌーンティーのところの流れが好きなんだな。
愛じゃないならこれは何の続編。恋愛短編集。
地上波での露出がガンガン増えスターになったばねるりこと赤羽瑠璃。
万人に推される星になったばねるりの北極星は変わらずめるすけだ。地下アイドルの後列で埋もれていた自分を見つけてくれためるすけのアカウントを今日も眺めている。
本作はめるすけこと名城渓介の恋人牧野冬美の物語やばねるりの元同僚でvtuberに転生した羊星めいめい=長谷川雪里、同じく東京グレーテルの同僚希美、そして満を持してのばねるりである。
いやーどの短編もタイトルのセンスがいい! ばねるりや冬美の心情描写もキレッキレでとても良い。
頭脳明晰の杜屋譲と瞬間記憶能力を持つ和登尊の中学生バディもの。
ノリとしては青い鳥文庫に混ざっていても不思議ではない。読了感がはやみねかおる作品のそれ。
中学校や塾の気に入らない(生徒を威圧する態度をとる)先生をこらしめてやる、ていうのが本題で、ものすごく頭がよかったり、記憶能力がとにかく優れているというだけでそれ以外のチート能力はなさそうで普通の中学生であるところは良かった。
いうて杜屋は「目的を達成するためには人をだますことはいとわない。中学生という立場を利用している」ダークヒーロー的な素材なのかな、と思うけどはやみねかおる感ある作品なので、「わたし10代だったらわくわくしながら読んだだろうな」という気持ちで読める。
ドラマのノベライズ。虎に翼の脚本をやっている吉田さんが書かれていたので読んだだけでドラマは未試聴。
Kindle unlimitedにあったので読んだ。
「恋愛や性的な話を振られてもよくわからない」咲子は「いつかぴったりの人と出会うよ」というアドバイスに悩んだり「好きな人と恋に落ち結婚して子供を産む」という「普通」を求められている実家に息苦しさを感じ親友とルームシェアのつもりで実家を飛び出した……。
のもつかの間ルームシェアは始まる前に破談になった。「アセクシャル・アロマンティック(他人に対して恋愛感情も性的欲求も持たない)」という概念を知り、私これなんでは?? ということを知った。そういう性志向があることを気付かせてくれたブログの中の人が実はものすごく近くにいる男性で、なんやかんやでその人と同居することになった、という話。
「あなたを確実に傷つけて、心にできたかさぶたを、事あるごとに悪気なく剥がしていくような人たち」とは今週の「虎に翼」の心に残ったセリフですが、恋愛に疎い、というより興味の範疇外の咲子や咲子と同居することになった高橋の前にもそういう人たちが次々と現れる。
なんやかんやあって前に一歩進んでいく物語です。
ちなみにわたしはSound Horizonが好きなので、アロマンティックと聞くと「《無恋愛者(アロマンティック)》
姫子 君の苦悩には 何処かの誰かが 名前をつけて 分類した 」と歌いだすようになっているのだ。(恋では花は散らせない)
壁にはまだ余白がある。そこは私のために開けられたスペースだ。私が結婚して出産した際の写真を飾る予定の場所である。この空白を見ると、切り取ってどこかに投げ捨てたくなる。
家族のことは大好きだ。お父さんお母さんは愛情たっぷりに私を育ててくれた。いい歳して親離れ子離れできてない感もあるが、いつも私のことを心配、気遣いしてくれる人たちとの生活に安らぎを感じていたのも事実だ。でもこの何年か、ずっと圧のようなものを感じている。
面白かったとか共感したとかうっかり言えない怒りを感じる本だった。
主人公の井沢釈華は生まれながらの難病で筋組織の形態が異常だった。具体的には背骨が右肺を押しつぶす形で湾曲している。40を過ぎた今は両親が残したグループホームで暮らしている。働かなくても食べていけるだけのお金はあるが、時にこたつライターをやり、R18の小説を書き、大学生もやっている。
釈華のライター仕事である風俗店体験レポで始まる本作は100ページにも満たないとても短い物語だ。生々しい重度障碍者1の生活の描写と怒りの色が見える物語は突然に幕が切れた。
厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、ほかのどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、----5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。
(P27)
- 市川さんが人工呼吸器や気管カニューレを使っているまさに当事者だ [↩]
桜庭一樹の私小説。
「少女を埋める」は去年話題になった作品だ。いい意味で話題になっていたのではなく、朝日新聞で「誤読もしくは独自の解釈」が「あらすじ」として書評が掲載されていたからだ。
「少女を埋める」のこと | colorful
わたしが読んだのはこの件を受けて少女を埋める|桜庭一樹|noteで公開されていた3分の2の部分で、全部読んだのはこれが初めてだが驚くほど重い内容だった。3分の1??? 加筆されたのではなく??? と読み終わってあれこれ見ていて思った。文体がヘビーなのではない(そこは桜庭さんの読書日記とほとんど変わらない)内容だ。
これまで長く(20年弱)著作を読んできた作家の生い立ち、プライベート、久々の帰省に7年ぶりの母との再会、父の死、去年起きた嵐のような一件の顛末について丁寧に語られるのだ。
「少女を埋める」
2021年2月、7年ぶりに聞く母からの電話で父がもう余命僅かであることを知った冬子は、東京から感染非拡大地域の地方へ行くことに葛藤もあったが、PCR検査で陰性を確認した後鳥取へ向かう。父はまもなく息を引き取り母と2人で葬儀をあげる。
地方で生まれて育つということ、家父長制、共同体、毒親という単語ではあまりにインスタントで不適切ではないのかと思うけど読んだだけで希死念慮を抱かせるような文章を送ってくるのは……と思いながら読んだ。
赤朽葉家の伝説が鳥取で書かれた理由、ファミリーポートレイトに関する背景、私の男のテーマの出元についても語られている。
「キメラ」
2021年8月。
「少女を埋める」を発表後、「母が老老介護の中で父を虐待した」という誤読もしくは独自解釈があらすじとして朝日新聞で掲載された。故郷鳥取でも多くの家庭で購読されている。そして高齢者は、母と同世代で周りにいる人々はNHKと朝日新聞のいうことを信じやすく小さな町での噂話の伝播速度はすさまじい。
冬子は母の名誉を守るために手を尽くす。
GOSICKの新シリーズは久城とヴィクトリカの間には一人娘がいた世界線があった(完成版には残っていない)ことを知る。東京ディストピア日記が2020年1月〜2021年1月のコロナ禍の東京や世界の模様なら、キメラは2021年夏の「少女を埋める」をめぐる模様だ。評論や渦中にあった冬子の心情、件の書評を書いたC氏はなぜそう書いたのだろうと考え、その時の生活について語られている。
「夏の終わり」
キメラよりさらに後。2021年9月〜10月。
読書日記で「らったったと鳥取へ帰る」と書いたが本当は父が倒れたと連絡を受けて駆け付けたのだと書かれていてひっくり返る。私が桜庭さんのご両親について「ちょっとだけ知っている人のご両親」のように感じているのは読書日記1冊目では割とよくでてきたからだ。転ばないようにいきなさいという母、飼い犬と娘を間違えて呼ぶ父。
すごい本を読んだな、という感じだ。
印象強く残っているのは冬子が実家を訪れることに対して強い拒絶を示す母だ。40代後半の娘をもつ女性はおそらく80に手が届くぐらいの年齢ではないかと思われる。困ることが何もないとはちょっと思えないが、それを上回って冬子を、実子を家に入れるがそんなにも嫌う何かがあるのだ、と思う。そしてそれはここ数年の話ではなく、赤朽葉家の伝説が書かれた2006年のころには始まっていたようだった。「家にはこないでね」と、1行2行ほどで語られるそのことのバックグラウンドがどれほどものか想像もつかない。