桜庭一樹の私小説。
「少女を埋める」は去年話題になった作品だ。いい意味で話題になっていたのではなく、朝日新聞で「誤読もしくは独自の解釈」が「あらすじ」として書評が掲載されていたからだ。
「少女を埋める」のこと | colorful
わたしが読んだのはこの件を受けて少女を埋める|桜庭一樹|noteで公開されていた3分の2の部分で、全部読んだのはこれが初めてだが驚くほど重い内容だった。3分の1??? 加筆されたのではなく??? と読み終わってあれこれ見ていて思った。文体がヘビーなのではない(そこは桜庭さんの読書日記とほとんど変わらない)内容だ。
これまで長く(20年弱)著作を読んできた作家の生い立ち、プライベート、久々の帰省に7年ぶりの母との再会、父の死、去年起きた嵐のような一件の顛末について丁寧に語られるのだ。
「少女を埋める」
2021年2月、7年ぶりに聞く母からの電話で父がもう余命僅かであることを知った冬子は、東京から感染非拡大地域の地方へ行くことに葛藤もあったが、PCR検査で陰性を確認した後鳥取へ向かう。父はまもなく息を引き取り母と2人で葬儀をあげる。
地方で生まれて育つということ、家父長制、共同体、毒親という単語ではあまりにインスタントで不適切ではないのかと思うけど読んだだけで希死念慮を抱かせるような文章を送ってくるのは……と思いながら読んだ。
赤朽葉家の伝説が鳥取で書かれた理由、ファミリーポートレイトに関する背景、私の男のテーマの出元についても語られている。
「キメラ」
2021年8月。
「少女を埋める」を発表後、「母が老老介護の中で父を虐待した」という誤読もしくは独自解釈があらすじとして朝日新聞で掲載された。故郷鳥取でも多くの家庭で購読されている。そして高齢者は、母と同世代で周りにいる人々はNHKと朝日新聞のいうことを信じやすく小さな町での噂話の伝播速度はすさまじい。
冬子は母の名誉を守るために手を尽くす。
GOSICKの新シリーズは久城とヴィクトリカの間には一人娘がいた世界線があった(完成版には残っていない)ことを知る。東京ディストピア日記が2020年1月〜2021年1月のコロナ禍の東京や世界の模様なら、キメラは2021年夏の「少女を埋める」をめぐる模様だ。評論や渦中にあった冬子の心情、件の書評を書いたC氏はなぜそう書いたのだろうと考え、その時の生活について語られている。
「夏の終わり」
キメラよりさらに後。2021年9月〜10月。
読書日記で「らったったと鳥取へ帰る」と書いたが本当は父が倒れたと連絡を受けて駆け付けたのだと書かれていてひっくり返る。私が桜庭さんのご両親について「ちょっとだけ知っている人のご両親」のように感じているのは読書日記1冊目では割とよくでてきたからだ。転ばないようにいきなさいという母、飼い犬と娘を間違えて呼ぶ父。
すごい本を読んだな、という感じだ。
印象強く残っているのは冬子が実家を訪れることに対して強い拒絶を示す母だ。40代後半の娘をもつ女性はおそらく80に手が届くぐらいの年齢ではないかと思われる。困ることが何もないとはちょっと思えないが、それを上回って冬子を、実子を家に入れるがそんなにも嫌う何かがあるのだ、と思う。そしてそれはここ数年の話ではなく、赤朽葉家の伝説が書かれた2006年のころには始まっていたようだった。「家にはこないでね」と、1行2行ほどで語られるそのことのバックグラウンドがどれほどものか想像もつかない。