ある日、ひとりの人気お笑い芸人が死を選んだ。不倫を報じられ、SNSで苛烈な誹謗中傷を浴びた結果だった。その死を悼み、復讐を実行した人間がいた。「踊りつかれて」というブログで、宣戦布告という記事、そして天童ショージの死について重罪認定した83人について個人情報が詳細に公開されていた。かつて自分が天童に対してしたように、同じように誹謗中傷を浴び、職場や大学へ電話が鳴り続け社会的にも制裁を受けた。
どのように不倫記事はでっち上げられたのか、人はどのように誹謗中傷を浴びせるようになるのか、という話と、このブログ上で個人情報をばらまいた人間は早々に逮捕され裁判にかけられることになる。
この復讐の鬼が瀬尾という音楽プロデューサーだが、彼には天童ショージ以外にももうひとり、中傷記事で表舞台から消えた好きな芸能人がいた。奥田美月という歌手だった。瀬尾と天童と83人についての話で進んでいくのかと思ったが、美月のバックグラウンドが相棒の3時間スペシャルか? と思うほどヘビーだった。そこだけちょっと別の本を読んでるみたいだった。
これは直木賞候補だった作品で、ブレイクショットの軌跡もそうだったけどSNSと発信が引き起こす罪の重さを書く小説が出てきたなと思う。
私たちはもっと、情報を公にすることの重みを感じなければなりません、
家族や友人が膨大な言葉の暴力を受けたときのことをどれだけ現実的に想像できるのか。気軽に公にするその投稿は、本当に必要なものなのか。
「一瞬で広まり、永遠に残る」ことの深刻さと向き合わない限り、社会はより殺伐とし、人々は相互監視に委縮していく一方です。
重箱の隅をつつくような正義と、この世の果てのような邪気が洪水となって滝壺を作る。そこの滝壺に落ちた人は二度と出てこられません。(P276)

トラックバック URL
https://chestnut.sakura.ne.jp/wp/read/lit/2025/12/12105/trackback/