年明けてしばらくしたぐらいから、なんかずっと頭がすっきりしている感じがあって多少ミスすることがあってもつらくない、頭が重たくならない、相変わらず口で説明することは苦手だけど「頭が……真っ白になって……」みたいなことが随分と減ったと思う。
業務量もプライベートも特に変わったことはなくあえていうなら「紙の日記を書き始めた」で、あれでいい感じに整理されているんだろうか。今度それでエントリを書こうと思っていた矢先にこの本を読んだ

「貧困と脳」といういつもだったら絶対チョイスしないタイトル本だったけど、kindle unlimitedにあったので……。たぶん幻冬舎plusでちらっと読んだことがあるんじゃないかなあ。

筆者は貧困の当事者を取材し、沸き起こる「何故?」を封じつつ、貧困とはそういうものだと言い聞かせてきた。しかし高次脳機能障害を伴う脳梗塞を発症し不自由な脳を抱えるようになってはじめてかつての取材対象者のことが分かったという興奮があったという。

貧困とは「不自由な脳」(脳の認知機能や情報処理機能の低下)で生きる結果として、高確率で陥る二次症状、もしくは症候群とでも言えるようなものなのだ。

瑞葉さんの言葉の中でたびたび繰り返されたものに「頭が白くなる」「紅茶にミルクを落としたようになる」と表現された部分がある。彼女はその状態になると、人の話が聞き取れなくなったり、資料を読んでも意味が頭に入ってこなくなったりすると言ったが、これは「脳性疲労」の症状で間違いないだろう。

ものすごく身に覚えがあってぞっとした。
前職で、定時を過ぎたあと、重い業務を切り上げた頃、当時のストレス源たるリーダーから甲高い声でぎゃんぎゃん畳みかける電話があった。「何も分からない。何も聞き取れない」と役職者に電話代わってくれとお願いしたことがある。
ここから中村氏が体験している脳性疲労の症状が語られたが、「なぜこの人はちょっと前のわたしの状態をここまで的確に言語化できるのだろうか」と思うほど実感を伴うものだった。
前職のリーダー氏については「嫌なあいつが忘れられない」の項で語られたものも頭をがくがく振るレベルで同意する内容だった。

苛酷な環境とストレスは不自由な脳を招く。そしてそれは、ボディブロー的に後から効いてくる。

私はかつてパワハラや職場いじめで休職した経験があるし、ワーキングメモリの弱さから発達障害を疑って心療内科を受診したこともある。なんだったら長年介護に明け暮れ、コロナ禍は最前線にいた1し、2年ほど前に相次いで両親を亡くし、相続で駆けずり回り父方と相続バトルもあったが、そういうのから解き放たれて、ちょっと落ち着く自分だけを気にしていたらいい時間が取れるようになった。ぐちゃぐちゃしていた脳が手書きの日記である程度ましになったんだろうか。頭がずんと重くなることはあるが、以前よりずいぶんとマシになった。
読みながらわたしが日頃しているあれは発達系ライフハックなんかなあと思いつつこれは脳の個性として割り切って生きていくしかない。

長く苦しんでいたあれやこれから遠ざかったのち名前がついたのでなんかほっとした気持ちではある。

「どこに何が書いてあるのか理解できない! 必要な申請用紙を持ってきてほしい! それで、あらゆる記入場所を指さして、そこに何を書けばいいのかひとつひとつ指示してほしい!」という叫び

これわたしものすごく心当たりがあるんですよ。身内が亡くなった際の手続きをしたことがある人は分かると思うんですが、いろいろすることがあるんです。死亡届を出す際に「おくやみ窓口を使わせてほしい」と依頼したら「そんなの使わないで皆さん自分で行かれてますよ」と言われたので「頭死んでるので無理です使わせてください」ともう1回伝えて、後日苦情の手紙(感情に寄り添えとは言わない、使えるものは使わせろ使わせたくないなら表に出すな)と送った事案があるんですけど。
これを見て改めて思ったけど、おくやみ窓口は使った方がいいです。絶対。父親の時もなんか渋られたけど絶対使えと思う。
わたしは一切動かず、対面に座る人がくるくる入れ替わり、わたしが申請書を提出しないといけない課の人が来てくれる。
「○○課の××です。これが○○の用紙です。ここに〜〜の名前を、ここは今日来られている人のお名前を、ここに印鑑を。次は○○課の者が参ります」忘れ物をしても「じゃまたこれをもって〇番窓口にきてください」と言ってくれる。
という話はここでしたんですよ。年金事務所のポカに突き合わされ、親戚対応ほんましんどかったもんな。

そういう意味で、この本とてもありがたかった。

  1. 文字通りの意味である。毎日陽性者を接していた []