ワイヤレスイヤホンの使い方を確認してイヤーピースを交換してこれで一安心じゃと思っていたころだ。ふと昔の記憶がよみがえったのだ。

思春期のころのわたしには好きな漫画や小説は多かったが、「憧れの作家」はいなかった。
作品につくオタクでインターネットがない時代で小さい本屋と学校の図書館が世界のすべてだったので「作者」という概念が非常に薄かったころだ。でもそういえば例外がいた1なあ、と思ったのだ。
「あんなふうになりたい」「同じものを持ちみたい」と憧れを抱いた人だった。

兄が購読していたファミコン通信(現:ファミ通)でドラネコシアターという漫画が連載されていた。餅月あんこさんという、さして年齢が変わらない方(10代だ!)が1ページの半分のスペースで週間連載をされていた。これは当時にして思えばエッセイ漫画的な要素もあったと思う。担当さんの作った歌詞がときメモの○○のキャラソン2ですね、みたいなことを書いていた覚えがある。
ドラネコシアターは切り抜いていたしコミックスも買った(正方形みたいで横にちょっと長い変形サイズだったと思う)。

ドラネコシアターDXが完結後、ひょんなことから週刊アスキーで餅月あんこの花咲ぺんぺん草という連載を持っていることを知った。当然単行本は買った。
思えば私はあれを読んでホームページを作ったような覚えがある3し携帯なんぞ持ち合わせていなかったから当時ポケベルを打つ子が多かった中、PHSにあこがれた。

その後オルトアールの書籍でメールのやり取りをしているのを面白おかしく読んで、わたしのラグナロクオンラインのプレイ日記の初期はオルトアールでやっていた。
saraソロ集会で知り合った人たちはダイアリーノートで続々と日記を開設していたが、わたしはオルトアールにいることにしたしその後さくらで有料サーバーを契約しSBに移行した。オルトアールは今でいうとnoteみたいなところだったと思う。オルトで出会ったROユーザーも、文体でうっかり見破ったPBCの元相方もいた。

いやそんな昔話はいいんだわ。
花咲ぺんぺん草が終わり、オルトアールの書籍のあと、餅月あんこさんはぴたりと見なくなった。20年ぐらい前の話だ。

昔この人にあこがれていて、とこの話をTwitterでしていて、ふと思い出したのは感染症医の忽那賢志さんと漫画家の羽海野チカさんの再会の話だ。
漫画家と感染症専門医の「奇跡の出会い」がイラストに|サイカルジャーナル|NHKオンライン

いやまさかなあと思いながらググった。
餅月あんこ / Anko Mochitsukiさん (@ankooq) / Twitter

おるやんけ。あのころいくら検索してもまったく足取りがつかめなかったのに。

「ファミ通マンガ大賞」入賞を経て、1991年に14歳にして『週刊ファミコン通信』(後の『週刊ファミ通』)にてプロデビュー。「女子中学生漫画家」と呼ばれる。6コマ漫画『ドラネコシアター』を約10年に渡り連載した。
その後もエッセイ、イラストレーション、ネットラジオのMCなど、幅広く活動した。2000年代後半からは表立った活動がなくなり、一児の母として主婦業に専念していた。
2019年9月に『週刊ファミ通』にて隔週連載『ドラネコシアター リプライズ』を開始した[1]。

ということを書いていたらご本人からいいねがついていた。まじか。
生きてたらマジいろんなことがあるなあ。

  1. 宮城とおこさんはファンロードであこがれていたが、「この人が生み出すものが好き」でちょっとちがったのだ []
  2. 館林美晴だった気がする []
  3. いやでもドラネコシアターでHTMLをたたいてたら8月が終わった、みたいなシーンがあったような覚えがあるからぺんぺん草ではないかもしれない []