ちょっと前kindle unlimitedで壇蜜日記 (文春文庫) Kindle版を読んでいた。壇蜜さんは時々テレビで見る高級そうなバーが似合う感じの、二次創作で見るにっかり青江みたいな人だが、彼女の日記やエッセイはテレビから受けるイメージとはまるで違うから面白かった。なので別の本を読んだ。

先日、ラジオ番組収録中に、男性アナウンサーからこんな話を聞いた。
「子供のころに何かやって褒めてもらった経験は、いつまでも心に残る。結果、無意識のうちにその『褒められた何か』の延長線上にあるような職に就くことが多い」と彼は言うのだった。

(P149)

壇蜜さんは褒められた記憶を呼び起こして「通信簿には苦労してひねり出しただろう褒め言葉が並んでいた」ということを書いていたので、自分もなんかあったかなあと思い出そうとしたが、まじで思い出せない。家庭環境が悪かったとかなんかそういうのはないと思う1
抜きんでた技術や特技はない、普通の子だった。
自転車に片手離しで乗れることがステータスだった時代だから両手離しにも果敢に挑戦し、図工の課題は終わらず常に放課後まで居残りを強いられ、図書室の貸し出しカードの色がひとりくるくる変わる人間だった。

この年齢まで生きてきて特に表彰されたことはないかなと思ったがあれがあった。小学校の時には本をたくさん読んだ子には無条件で賞状が授与された。どこで「たくさん読んだ」と判定されたかといえばページ数だ。
「運動場を走った周数をキロに換算して日本のどこまで走ったか」で表彰する2機会が卒業までの間でたびたびあったがあれの読書版だ。

表彰対象者は全校朝会で名前が呼ばれる→立つ→代表者が賞状を受け取る→座るという流れだった。その制度が生まれてから卒業するまで毎回表彰されていたと思う。最終的には代表者にもなった。あれが人生単位で「卒業式以外で壇上で何かを授与された」機会だ。

何度か同じ話をしているような気がするけど、母親はわたしを「本を読む子に育てたかった」と言っていた口で「まだ読めんだろうに英語の辞書読んでて気持ち悪かった」とも言っていて、特に本が多い家ではなかったし読み聞かせをしてもらったか本なら何でも無条件に買ってもらえたとかそういう特別な記憶もない。ただ読み聞かせの専用カセットを自分で選択して再生し、「病院は退屈3だから持っていく絵本を厳選しようとして結果リュックに入るだけパンパンに詰めていく」幼稚園児だった。

仕事にはなっていないが、そういう記憶が20年ちょっと本の話とかいろいろをするブログをやっているのか? とはちょっと思う。はと文庫オンラインはまじで天啓で、友達に「わたし読書系のウェブマガジンやろうとおもうんだけど」って言ったんですよね。
はと文庫オンラインはじめます! | はと文庫オンラインに書いたとおりです。
その辺が仕事になったらいいけどなー。

  1. まああえてよそさんと比較したことがないので分からないが []
  2. 表彰第1の都市が兵庫県明石市だった。同じクラスの男子が北海道まで行った覚えがある。運動場を走る時間は朝の活動時間として設けられていたがわたしのように大半の時間を歩く人間は明石までたどり着くことはなかった。自己申告だが、不正はたいてい帰りの会で吊るされるのでなかっただろうと思う。 []
  3. 誰の病院だったのかは分からないがたぶん母方の祖母だと思われる []