考察する若者たち 三宅香帆からの2冊目として読もうと思って買ったけど、予想外の展開が来た。
わたしはそもそも倍速再生はまったくせず、映像もの自体疲れるのでもとよりあまり見ないという人間です。異文化コミュニケーションな1冊でした。
「花束のような恋をした」について最後までふたりがどうなるのかを友達に細かく聞いてから見た、2倍楽しめたという話の流れで
もし予備知識なしで観て物語の細かいところが理解できなかったり、細かい演出を見逃したりしてしまった場合、モヤモヤが残ってしまう、それを避けるためには、最初から教えてもらったほうがいい、と
(P56)
twitterやってるオタクなら「(映画名)見るならこれを見て(もしくはこれを見てから行って)」というのを見たことが一度はあるだろうと思うんですが、もしくはこういう意識ゆえの「善良な行動」なのかなあと思って。
十全に楽しむために万全に準備運動をしてから飛び込みたいから、あれが心の底からありがたいと思っている人がいるんだなあと思ったし、「作品に快適だけを求める傾向もまた『観客の幼稚化のひとつでは』(P184)」に焼きマシュマロやないか……と思うなどした。
盛り上がっている話題を邪魔にならないようにただぼーっと聞いていてはいけない。傍観者に徹してはいけない。既読スルーなどもってのほか。積極的に参加し、気の利いた一言で場を盛り上げる、かき回す。もしくは、多くの人がついてこられる程度の個性的すぎない個性を積極的に発信すべし----。
(P139)
冒頭からずっと「理解の範疇外の宇宙人」だったのが、読み進めるにつれてあまりにも生きづらすぎないか……? と思うことが多々あった。いうてわたくし思春期時分にはインターネットがなく、高校生の時には一部の人間のみがポケベルを持ち、LINEはやってないよやる気ないよとでかい声で言い続けてここ数年でようやく触り始めたぐらいの、地方生まれ地方育ちで、どういう環境で生活すればこうなるのかぴんと来ない。
Twitterではたまに見かけるけど、たかだか140文字程度でバックグラウンドを慮るのは失礼な話だし、わたしから遠く離れたところで生きてほしい(アルゴリズム的に「目に入れたくないツイート」に物理的に触るとどぅわっと増えるので、「表示を減らす」か「関連性がありません」をタップしている。
なまじ直近に読んでいたのが考察する若者たちなので、スキップとローファーと、あと「スマホ時代の哲学」が脳の片隅をちらちらしつつ、読んだ。
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