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お察しの方もいるだろうが、今めっちゃ本を読んでいる。何か読めている。でも小説は読んでなくて新書とかなんかそういうフィクション以外の何かばっかりだ(例外が廃王国の六使徒の少女文学版の1巻)。
その昔休職していた時、外出訓練と称して汽車に乗って離れたところの図書館に行って、社会人なりたて向けのビジネス書を2時間ぐらいで20冊とか読んでた。これは速読とかじゃなくて、知ってるところはさくさく飛ばすしあまり知らないところはゆっくり読むということをしていた。あの時のような重湯のような読書だ。

そしてこれは本が読めなかった時にタイトルで買った本を今読んでいる。読みながらびっくりしたのがここだ。

 読書でも試してみていただきたいのは「ゆっくり」読むことです。「ゆったり」といった方がよいのかもしれません。
 速く読みたければ速く、遅く読みたければゆっくり、眠たくなったら、そこで本を閉じる。そんな当たり前の読書です。 
 本を読むのに最適な速さなどありません。その人に合った速さがあるだけです。
 速読という言葉の背後には、多読がよいという価値観が潜んでいます。速く多くの本を、たしかに読むことができれば、それは素晴らしいことです。しかし、なかなかそうはいきません。
 どんなに速く、多く読んだとしても、そこにたしかな手ごたえがなければむなしいのではないでしょうか。
読書において養っていかないとならないのは、「たしかな」感覚です。

何がびっくりしたってわたし今まじでこの2行目みたいな読み方してるんですよ。読みたいだけ読んで、ここつまらないなと思ったら割と読み飛ばすみたいな感じで、急にじっくり読み始めて、おかわりしたり、寝たり。

リルケが詩人になりたい若者に掛けた言葉で「多くの人が歌い上げるものではなくて、どんな素朴なことでも自分にとって切実なことを言葉にしなくてはならない」ということがあったり、人生の1冊は外を探しているだけでは見つからない、自己との対話をはじめないといけないとかいってて、この引用元は読まないといけないのではと思った。