冬としてはこれぐらいが普通と言ってもあまりに寒すぎないか。明日から四大陸選手権なので生活の中心がフィギュアになってしまう。ここ最近は1日1話ハイキューを見ていたがそれもしばらく休みだ。
今はIの悲劇をぼちぼち読んでいる。
ヒプマイのライビュは予想通り県内でもあったが、ゲストがめちゃくちゃ豪華だった。
冬としてはこれぐらいが普通と言ってもあまりに寒すぎないか。明日から四大陸選手権なので生活の中心がフィギュアになってしまう。ここ最近は1日1話ハイキューを見ていたがそれもしばらく休みだ。
今はIの悲劇をぼちぼち読んでいる。
ヒプマイのライビュは予想通り県内でもあったが、ゲストがめちゃくちゃ豪華だった。
紙の日記(複数)に書いてからnoteを開くので書くことがないなと最近思う。頭にある今日の出来事は紙に書くことで全部そっちに写ってしまった感覚だ。
なのでツイログを見ながらこれを書く。
日プの結果発表みたいなやつが終わってから日プにはまった友達が情緒をいわしているので眺めている。フォロワが推しに狂っているのはタイムラインの風物詩みたいなものだ。24時24時ってずっと言ってるから転がる様を見てから寝ようかと思ったけど、昨晩は何もなかったらしい。
木曜から四大陸選手権が開幕するのでタイムラインの一部が慌ただしくなってきた。四大陸選手権の開催地は韓国で、時期柄マスク義務化37・5度以上は入場禁止と運営も大変そうだ。
鳩のタイムラインでもっとも刺激が強めなのは推しに狂ってるフォロワで、あとはまあまあのどかだと思う。行かないイベントの詳細は見に行かない、公式アカウントにつくリプライは見ない、政治方面への言及があるアカウントはフォローしない(政治ツイートがよくないっていうわけじゃないんだけどね、見たくないものが流れてくる可能性のほうが高いんだなこれが)、推し関連情報源であってもRT多い人はRTオフにして流量をセーブする(必要なものは別方向から流れてくる)、猫の写真をタイムラインに流している人は積極的にフォローする。動物の写真が多いアカウントも以下同文。これを書いていてそうだちょっとタイムラインを整理しようと思ってフォローをばんばん切った。
最近思うことはソシャゲのイベント中はツイッターをしないしかといってゲームに気がいくわけでもない(オート勢なので本を読んでいる)ので、twitterから離れるのは割と簡単だと思う。
国民の彼氏感あふれる翔ちゃんのイベントを回している。Shining RomanceはバックでMVが流れるのでそれをずっと見ているけど、とんでもなく出来が良く飽きの来ないMVだなあと思っている。
1月読んだ本は18冊
mediumは相沢沙呼だーーって思って読んでたらすごいものを読んだ。最後らへんはどうしても一気に読みたかったので(移動中に読んでいた)降りて人の流れから外れてすみっこの方で立ち読みした。
今月は久しぶりに刀ステのライビュを見に行った。あれはすごく、すごかった。よかったー。なんで幕間に個人ブロマイドを買えないのかと叫び、帰ってから通販してたのを見つけたのでぽちった。送料調整にランブロ1枚かったら南海先生が来た。
今年の正月はめっちゃソシャゲする堕落した正月休みだったので(年末働いた反動)、自分がどのぐらいかけ持ちできるか分かったし(正直イベントかぶると2個が限界)
今月最大なのはプリライがとれたことです。自分で取れたのは5年ぶり。
問題なのはコロナウィルスで、いろいろ困っている。春の頃には多少なりとも落ち着いているといいですね。
失意のどん底ですが仕事です。でも失意なので友達に「(推し)のエロい話をしてくれ」というリクエストをした。本当にエロい話が帰ってきた。ちなみにエロい話と言っても年齢制限がつく方向のエロい話ではない。
高速バスをキャンセルするために帰りに高速バス乗り場方面へ行き、2月だしなとお参りに行き(ルーチンになった)、図書館へ行き、ロフトと紀伊國屋へ行った。紀伊国屋もキャッシュレス還元対象店になってびっくりしたわ。
昨日23時にはもう寝ていたがまったく起きず10時にやっと起き、ごはんを食べてまた横になり、横になったままデイケアに旅立つ母を見送りスカーレットを見て、買い物に行こうかと思ったが縦になる勢いがなかったのでCOCOON 月の翳りを見ていた。調子が悪くても環境映像にはならないTRUMPシリーズ。粒ユンケルと合わせて経口&目から栄養を摂取して16時前にようやく縦になった。ちなみに熱はない1日だ。
さて冬アニメが始まって約1カ月経つ。
毎週ちゃんと見ているのはNumber24だけだ。
友達が関わっているという下駄があるにしろ、面白くなかったら視聴続かないしな。別に見なかったというだけで友情にヒビが入る仲でもあるまいし。原作が大好きという下駄があっても1話でこれはあんまり……って思った(そして見る手が止まった)宝石商リチャードという例がある冬アニメ。
ちなみにラグビーの知識はほぼない。去年ラグビー人気で日本が盛り上がっていた時の名残で、トライという得点関係の何かがある、ノーサイドが「試合終了」の意味合いである、ぐらいの知識量だ。
ちなみに今期見ている番組は相棒・スカーレット・鉄腕DASH・Number24・NHKのニュースで、見たり見なかったりにうたコンが入る。スカーレットはいいぞ。
ちょっと残しておきたいと思ったので。
さっきタイムラインで「創作する人は『語彙力欲しい』っていうけど一般人がよくわからない単語を使って小説を書くことはその作品にとってプラス? マイナス?」っていうアンケートが流れて来ていた。
そもそも前提からしておかしくないかと思うんだけど、「語彙力が高まる」ことと「一般人がよくわからない単語を多用して小説を書くこと」はイコールではない。きらびやかな文章はそれが似合っているならOK! ただし平易な一般人でもよくわかる文章でも語彙が足りてないとお粗末な文章になりませんか? わたしは思います(自作を掲げながら)
例えば「焼肉を食べる」っていう動作でもどういう店? どういう場所でどういう肉を食べてる? 網の上にあるあれも換気扇でいいの? 箸使ってる? トング使ってる? 口に入れたらどんな味がする? タレ何使ってる?
そういう脳内で思い描いている「こういう感じー」っていうイメージ図を文字として伝えるためには語彙がいるんですよ。
語彙を増やすためには「分かりやすい文章」を書きたいなら「自分が分かりやすいと思う文章を写経する」、「絢爛豪華なきらびやかな文章」を書きたいなら「自分がきらびやかだと思う文章を写経する」をすればいいと思います。うまくすれば推し作家のよく使う単語やこういう展開が好きっていうのがちらっと分かったりします。
文章で食べていくんじゃなければ「自分が好きな文体」を貫けばいいと思う。自分含めて誰かには刺さるから。あ、ビジネス文体はまた別。
ちなみにファンレターは語彙力のなさをあまり嘆かなくてもいいと思う。とりあえず「読みました、好きです!」だけで大丈夫。もうちょっと書けるなら「どこが好き」って書けばいいと思う。ちなみにわたしは今月初めに書いたファンレターで「○○のシーンが最高で〜〜〜〜こっちもすごく良くて最高だった! さっきから何回最高だって繰り返すのかと自分でも思いますが、この感情を伝えるにはこの単語しか知りません」と書き連ねて便せん2枚ぐらい讃えた。
プリライの飛行機予約どどん!
行きやすい時間か早起きするかで悩んで、現地での移動時間が怖いので頑張って起きることにした。羽田からどこへ行くのでもなんか1時間はかかる印象。長期戦に備えてご飯は食べたいし西武ドームは遠い。
来月のカード請求額はやばい(確定)なのでクレカは概念的に折って暮らします。
明日の多摩地方は積雪超注意ということだったが、こっちは雨が強い。あと今年はノー降雪かもしれないし、白菜と大根がめちゃくちゃ豊作だけど暖冬で鍋需要が低いからあんまり売れてないし農家も出荷するほど赤字といっていた。
さっきふと思い立って今日もまた長文めのエントリを書いてきた。
ここ数年140文字以上の文章の書き方を忘れた、一時期はあんなに小説(2次創作)を書いていたというのにどうなってるんだという感じがあったのでnoteでリハビリとして長らく壁打ちしていた甲斐があった。
今日の片づけは買った新聞を即解体。昨日は万年筆インクの箱をノートに貼って残りはばさっと捨てた。
最近半径1クリックで断捨離というか片付けが流行っている。各々服を捨てたりペンライトやグッズ系を処分したりなんかいろんなものを捨てている。わたしも去年結構がっつり捨てて、今は毎日5分10分は掃除にかけて何かしら処分している。
オタクと収納は悩ましい問題だろう。本に憑くオタクはあちこちにタワーを作るものだが、わたしもそれに近いものだ。さらにいうならうたプリのオタクなのでグッズを一時期じゃらじゃら買っていたのでなんかいろいろある。それでも地方在住の、物販イベントとはあまり縁のないオタクだったので少ないほうだとは思う。
結論から書くがオタクが一定水準以上の部屋を保つためには「潔く捨てる」しかないと思う。この場合の「一定水準以上の部屋」というのは「部屋の写真を無造作に撮ってSNSにあげられる」というレベルだ。インテリア雑誌に掲載されるようなレベルではない。ちなみにわたしはあげられない。
こんまりさんの本では「自分がときめくものを集めて祭壇を作るといい。おうちにパワースポットができる」みたいなことを書いていた。オタクが祭壇というと生誕祭タグに出現する「クレイジーなレベルで敷き詰められた缶バッジとグッズのおびただしい山」を想像するがそういうものではない。こんまりさんがいうほうの祭壇を作れるレベルにしたい。
「迷子の引き取り手を探す」というのはグッズの譲渡絡みでtwitterを検索していると時折見かける単語だ。
部屋を片付けたい→グッズを減らしたい→フリマアプリとかで売りたいという場合は期間を限定して出すといいと思う。引き取り手があるジャンルならいいが、そうではない場合や既にグッズが飽和しているジャンルもあると思う。つまり期間を限定しなければ永遠にさまよい続けるグッズがある。
心を鬼にして潔く(もしくは今までありがとうございましたという気持ちで)捨てるのだ。
オタクの缶バッジは通貨だからこれで何かと将来的に交換できるかもしれないから置いときたいというものもあるだろう。でも異種交換で特にレアでも何でもない昔のグッズと最新のグッズが交換できるかというと博打のようなものだ。
ここは自分の視線上にあるグッズを見ながら書いた。あの辺どうしようかなあと思っている。グッズを捨てても別に好きな気持ちまでは減らないからいいんじゃないかとは思う。
去年読んだ医師が教える幸せな人がやめている36の習慣で知ったことだが、
自分好みの商品を見ると喜びややる気をつかさどる脳の側坐核が活性化するらしい。そしてそれが高価だと理性的な判断を担う前頭皮質が働いて我慢するように仕向けるそうだ。
そして側坐核と前頭皮質のバランスが崩れて、圧倒的に側坐核が強くなりすぎている状態が買い物依存症だと知った。
この話を見て思ったのは「強いオタク、圧倒的に側坐核が強そう。破滅スレスレのオタクもいるし、すごい絶妙なバランスをとっているオタクもいるだろう」ということだ。
人の財布事情をどうこういうつもりはないが、せめて自分の通販カートぐらいは「これ本当に必要?」「どこで使う?」「どこに収納する?(どう飾る?)」ぐらいは考えて確定ボタンを押したい。ケチ臭いのではなくそういう細かなどうでもいいような出費が積み重なって、ここぞという時に使える資金がないというのをなくしたい。
あとクレジットカードの請求でうっという問題な。おめーまじでクレカ折ってデビットカードに切り替えるぞって思う。
自分が好きなもので囲まれている生活はQOL高そうなのでもうちょっと頑張りたいんだわ。