最近半径1クリックで断捨離というか片付けが流行っている。各々服を捨てたりペンライトやグッズ系を処分したりなんかいろんなものを捨てている。わたしも去年結構がっつり捨てて、今は毎日5分10分は掃除にかけて何かしら処分している。
オタクと収納は悩ましい問題だろう。本に憑くオタクはあちこちにタワーを作るものだが、わたしもそれに近いものだ。さらにいうならうたプリのオタクなのでグッズを一時期じゃらじゃら買っていたのでなんかいろいろある。それでも地方在住の、物販イベントとはあまり縁のないオタクだったので少ないほうだとは思う。
結論から書くがオタクが一定水準以上の部屋を保つためには「潔く捨てる」しかないと思う。この場合の「一定水準以上の部屋」というのは「部屋の写真を無造作に撮ってSNSにあげられる」というレベルだ。インテリア雑誌に掲載されるようなレベルではない。ちなみにわたしはあげられない。
こんまりさんの本では「自分がときめくものを集めて祭壇を作るといい。おうちにパワースポットができる」みたいなことを書いていた。オタクが祭壇というと生誕祭タグに出現する「クレイジーなレベルで敷き詰められた缶バッジとグッズのおびただしい山」を想像するがそういうものではない。こんまりさんがいうほうの祭壇を作れるレベルにしたい。
「迷子の引き取り手を探す」というのはグッズの譲渡絡みでtwitterを検索していると時折見かける単語だ。
部屋を片付けたい→グッズを減らしたい→フリマアプリとかで売りたいという場合は期間を限定して出すといいと思う。引き取り手があるジャンルならいいが、そうではない場合や既にグッズが飽和しているジャンルもあると思う。つまり期間を限定しなければ永遠にさまよい続けるグッズがある。
心を鬼にして潔く(もしくは今までありがとうございましたという気持ちで)捨てるのだ。
オタクの缶バッジは通貨だからこれで何かと将来的に交換できるかもしれないから置いときたいというものもあるだろう。でも異種交換で特にレアでも何でもない昔のグッズと最新のグッズが交換できるかというと博打のようなものだ。
ここは自分の視線上にあるグッズを見ながら書いた。あの辺どうしようかなあと思っている。グッズを捨てても別に好きな気持ちまでは減らないからいいんじゃないかとは思う。
去年読んだ医師が教える幸せな人がやめている36の習慣で知ったことだが、
自分好みの商品を見ると喜びややる気をつかさどる脳の側坐核が活性化するらしい。そしてそれが高価だと理性的な判断を担う前頭皮質が働いて我慢するように仕向けるそうだ。
そして側坐核と前頭皮質のバランスが崩れて、圧倒的に側坐核が強くなりすぎている状態が買い物依存症だと知った。
この話を見て思ったのは「強いオタク、圧倒的に側坐核が強そう。破滅スレスレのオタクもいるし、すごい絶妙なバランスをとっているオタクもいるだろう」ということだ。
人の財布事情をどうこういうつもりはないが、せめて自分の通販カートぐらいは「これ本当に必要?」「どこで使う?」「どこに収納する?(どう飾る?)」ぐらいは考えて確定ボタンを押したい。ケチ臭いのではなくそういう細かなどうでもいいような出費が積み重なって、ここぞという時に使える資金がないというのをなくしたい。
あとクレジットカードの請求でうっという問題な。おめーまじでクレカ折ってデビットカードに切り替えるぞって思う。
自分が好きなもので囲まれている生活はQOL高そうなのでもうちょっと頑張りたいんだわ。
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