本日6月10日はわたしが人生初のライブの、SoundHorizonのライブへ行った日です。
ちょうどいい具合にお題もあるのでだらだら思い出話をしましょうねえ。
マイお題「初めて○○のコンサートに行った日」を作りました - ラッコの海水浴

2006年6月10日、大阪のSUN HALLというライブハウスでした。
後にも先にも「オルスタのライブハウス1」に行ったのって多分これが最初で最後だと思います。
ライブは本日10周年ですが、はじめてSoundHorizonに触れたのは2004年6月ごろ。メジャーデビューの直前、『Chronicle 2nd』が初めてです。とらのあなというものがあるらしいというのを知ったのもこのころ2
当時わたしはRagnarokOnlineというMMOをやっていたのですが、そこでのギルメンの人がこういうグループがあって……というのをいっていて同人音楽をたくさん聞いていた嫁の人3に聞いてみると「それならクロセカを聴くといいよ」とChonicle 2ndをおすすめされたのでした。4

メジャーデビューして、STARDUSTでごんと落ちて、楽園パレードへようこそ(DVD)を経てはじめて現場を踏んだのが第1次領土拡大遠征大阪です。

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あの日もらったもの。
このツアーは友達のFC先行で行ったのですが感謝祭に行きたかったのではじめてのファンクラブに入りました。

ご存知の方は相当古いローランと思いますが、この一次領拡というのはSoundHorizon1期と2期の狭間の、非常に複雑な時期です。
それまで歌から語りまでひとりでこなしていたAramaryが脱退し、作詞作曲などは担当しているものの、歌うことはなく楽団のひとりとしてギターとかバクパイプとかを演奏する非常に地味なポジションだった領主様(現陛下)がフロントに転身せざるを得ない時期でした5

そんな時期に踏んだ大阪公演。場所はアメリカ村のはずれ、地下2階。200人も入ればいっぱいだろう小さなライブハウス。
地下へ続く階段で並んで開場を待っていました。前後には首輪をつけたゴスロリさんだったり、「碧い眼の海賊」のレティシアのコスプレをしている人だったり、馬の仮面をかぶったりラフレンツェのポストカードを突然配り始める男性がいたりしました。

今でこそ女性ファンが大半を占めるSoundHorizonですがこのころは男性ファンが圧倒的に多かったです。わたしは友達と二人で行ってて、友達は男性・背は高いほうでちょっと背伸びしたり飛んだりしたら天井に手が届くような場所でした。
そういえばこの後わたしはこの友達と何回も何回も日本各地でSHのライブへ行くのですが、ふたりで遊んだのはこの時が初めて6で、待ち合わせかなんかしていた喫茶店では何を話したらいいか分からなくてコーヒーをごくごく飲んでいたなあと思いました。懐かしい。

あの公演を知っている人なら誰しもが口をそろえて言うと思うのは「天井が低い」「音響が悪い」「酸素が薄い」だいたいこの3つにつきます。
「サンホラはオルスタでもモッシュどころか押されることもない」「詰めない」「むしろ下がる」とか言われてるんですけど、この公演はものすごい勢いで押されました。すごかった。圧倒的男性率なので壁がすごい。かといってステージに段差があるわけでもないので(たまに姿が見えたのはなんかの台に載った時)何も見えない。
「後ろの方大丈夫か」とステージから声がかかった時「何も見えへ〜ん」と、何も見えない私よりさらに後ろから女の子の物悲しそうな声がしたのはとてもよく覚えてます。じまんぐが「その場で3周まわれ」っていわれてみんなぐるぐると回って人と人の間隔があいてちょっと楽になって、でも酸欠でばたばた人が倒れていった。領主様(当時。現陛下)は個人サイトで「沢山の脱落者を出してとても悔しい」と言っていたなあ。

楽しくなかったかといえばそうでもなくて、音は悪かったけど白の幻影とかハジクロとか聴けて、突発で替え歌の領民歌を歌ったり、Jakeが無茶ぶりの結果80年代フォークで歌った誰も聞いたことない新曲が披露されたり、ライブハウスならではのワンドリンクの名前が「檻の中の鉄観音」とか「ABYSSビール」とか曲名でひとひねりされたものとか、今も変わらず存在するもの、今に続くものありました。
そんな環境の悪い中でもREMIが歌った「La ragazza col fucile e poca felicita」は絶品で、あれがもう1回聞きたいと事あるごとに呟いてたんですよ。でもこれはSoundHorizon名義の曲ではなくてガンスリンガーガールのイメージアルバムに収録されている曲7で、可能性は限りなく低いと思ってたんですよ。

でもそこから7年後、2013年にさいたまスーパーアリーナで開催されたRevo's HaloweenParty 8で、SoundHorizon・Linked Horizon両名義の曲をやった上でさらに古いRevo名義の曲も何曲かやりまして、その時この何度も聞きたいと願った「La ragazza col fucile e poca felicita」も含まれていました。
アレンジも歌い手も場所も環境もまるで違ったんですけど、あの曲だ! と一瞬で分かるとともに込みあげるものが多すぎて泣きすぎて次の曲全然見られなかった9

この10年、「これからも楽しいことをやっていきますのでよかったら応援してください」とあくまで選択はこちらにゆだねる感じの言いかたをしていた陛下がHaloweenPartyでは「これからもついてきてください!」と言い、Nein大楽公演では

「諸君が僕についてくるのなら、この平和な時代に、音楽で革命が起こるところを見せてやるよ。それが10年間やってきた末に、辿りついた答えかな。Revoっていう名前で始めたんだもんな。革命が起こるところを見せてやるよ。でも、そんなすぐには起こんないかもしれない。だから皆、長生きしてくれよ。また会おうね」

と、そう言いました。
うちの王様は自由への進撃トーク&ライブのころから「死ぬな」「長生きしろ」と言うようになりました。あれだけ人が死ぬ歌を作っているのに10

わたしはSoundHorizonが「ずっといちばん」で「最優先」でそれ以外は全部「2番」だ「バカンス地」だって言ってるんですけど、ここが原点で色んなもののきっかけなんですよ。
帰るところが決まってるから新しい世界の扉もどんどん開いていけるしいろんな世界が見られるしいろんなものを知ることができる。そして何年かに1回、コンサートがあるよライブがあるよという時に各地に散らばっている王国民が一斉に帰国するという感じです。

わたしが単推しじゃなくて「2番」をいっぱい作るのって理由があって根も葉もない言い方をするとリスクヘッジです。
「このままSH依存傾向が高まるようなら陛下の身にもしものことがあったら……」と思って好きな物を増やしたぐらいにはちょっとアレな人なので、そのぐらいでいいんだと思います。大げさだと思いますけど、わたしHide11の時のあれこれをリアルタイムで見ているので、わたしはああはならないと言い切る自信がない。

SoundHorizonは宗教性はひたすら高いですが、壺と印鑑の代わりに物語と音楽を売ってます。
浅いところでも十分楽しめるし深入りしようと思うならどこまででもずぶずぶ沈んでいけるのがこの国です。

10周年おめでとうわたし。
今年の6月19日が楽しみだ。でも6年ぶりに休日だから今年は生誕祭やってくれると思ったんだけどなアアアア。

ところでそのサンホラというのはどういうもんやという人はこれを再生していってね。

  1. notZEPP []
  2. とら専売でした []
  3. 友達です []
  4. ちなみにわたし同人音楽は志方あきこ→霜月はるかという順で知りました。 []
  5. 相当病んでいたそうで、めっちゃやつれていた []
  6. このころはネットを介して誰かとリアルで会うケースがまだ少なかったので……。 []
  7. CDはまた歌い手が違う []
  8. 一般販売を待たずFC先行とモバイル先行で500レベルで埋まってしまった。リストバンド型サイリウムの点灯式で灯った約15000の光がとてもきれいで、開演前に泣き出す羽目に []
  9. 円盤にも収録されている。死刑執行ともどもよく聞いている []
  10. かつてついていた異名は「人殺しソング界の貴公子」 []
  11. X JAPAN []