きのう仕事中にわけあってメンタルがクラッシュした。今日はどうしても体が動かず、前職のわたしはしんどいけど熱がないなら行かなくてはと無理やりにもいっていたけど、そうやってきた結果何度か休職して退職もして加齢もしたいまのわたしは自分を最優先にする。
多少の事務作業はするが、あとはおいしいものを食べて映画。おいしいものはレストランフロアをぐるぐる回って焼肉ランチ(自分で焼くやつ)にした。映画はハイキュー2回目にしようかと思ったけど52ヘルツのクジラたちにした。奇しくも今日初日である。
初日とはいえ、ついでにいうなら1日とはいえ平日である。気持ち小さめのスクリーンに10人強。
これはものすごい映画だった。150分と書かれていたけど没入感があって、体感短かった。体感100分ぐらい。
とはいえ本作は万人に向けてめっちゃお勧めです、というのはちょっと憚れる。
というのも虐待、ヤングケアラー、ネグレクト、DV等暴力の描写およびその暴力を受ける弱者の表情や生気のなさがあまりにも生々しい。あと友達に「これこれこういう暴力の描写があるので、その辺が地雷でなければ見てほしい」というと「春のメンタルであれは死んじゃう」と返ってきた。
いうてわたしも休職した前後にここから飛び降りたら楽になるだろうか、半端に生き残ってしまうだろうかと考えることがあったので、この映画はどうかと思ったが、昨日何をしてもメンタルが浮上しなかったので毒を以て毒を制すみたいな選択をした。

この映画は小説原作で、平べったくいうと「再生」「生まれなおす」「見つける」物語だ。
できたら公式サイトの登場人物紹介は見ないで映画を見てほしさある。

貴瑚(きこ、あだ名はキナコ)は東京から大分の漁師町にある亡祖母の家へ逃げるようにして引っ越してきた。
テラスを直してもらっている工務店勤務の男性が「三島さんて風俗嬢って本当ですか、町のみんなが噂しています」とドストレートに聞いてきた。ある雨の日、キナコは長い髪の男の子にあった。キナコはどこが家だとも言わなかったその子を家に連れ帰り、お風呂に入れようと服を脱がすと背中には痣が各所にあった。
貴瑚は思い出す。かつて自分も義父から暴力を受け、雨の日に外に放り出され、母は愛を囁くが、義父が脳疾患で倒れた後は貴瑚に介護を放り投げていた。
物語は時折過去にさかのぼり、貴瑚がこの祖母の家で暮らすようになるまでのことを語る。
母にムシと呼ばれ暴力を受け言葉を失っていた少年の叫び声を貴瑚が聴いたように、貴瑚にも貴瑚の声にならない叫びを聞いて助けてくれた人がいた。

第1に言いたいこととしては志尊淳のひげがとにかく似合わない。びっくりするほど似合わない。似合わないんだけど、この髭は必要な髭である。

「手が柔らかい」で引っかかりを作ること、安吾と新名の表情をかわるがわるアップで移すこと、安吾の部屋に安吾の母と一緒に入った貴瑚が見たもので、これから安吾の母が見るものを想起させたりの演出がとてもうまい。
丁寧に作られ積み上げられた物語と、役者の表情がとにかく秀逸。感情の吐露がすさまじい。とにかくメンタルの状態が悪い時に、引きずられやすい人が見るのはちょっとおすすめできないと思うほど登場人物が生きている。悲しみや苦しみがそこにある。その分時々見られる笑顔にぐっとくる。
映画が始まる前、2つぐらい隣に座っていた10代男子2人組が予告の間ずっと喋るタイプの人間で、あっこれは席ガチャ失敗したかなと思っていたら物語の中盤からは鼻を盛大にすする音が聞こえていた。
エンドロールのところでは見ている人数の割にあちこちから鼻をすする音がした。
先日「生きてさえいてくれればそれでいい」というエントリを書いたばかりで空港?のあのシーンはさすがに耐え切れず涙した。
とてもいい映画を見た。