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2014年05月

小料理屋聖川

 駅前から少し奥に入ったところにその店はあった。ここが料理屋だという主張は控えめなもので気付かなければそのまま素通りしてしまうかもしれない程度だった。夜になるとその提灯には自動で明かりが灯る。提灯には達筆な筆文字で「聖川」と書かれている。夕方からほんの数時間だけ開店する小料理屋だ。
 暖簾をくぐり障子のような木枠の引き戸を開けるとこじんまりとした店内が見渡せる。カウンター席と奥には座敷があるのだろうか。脱ぎ捨てられた靴と赤い座布団が見える。カウンターの内側には常連客のものと思しき札付きの一升瓶やボトルが並べられている。
「いらっしゃいませ」
 凛とした声が聞こえた。
 芸能界から退いても年老いても張りのある良い声だとトキヤは思った。かつては同じ学園に通い同じ時期にデビューをした同期だったが真斗は家業の都合である時期から少しずつ仕事を減らしていき最後に主演舞台とコンサートを行って芸能界を引退した。数十年前のことだ。去年真斗から一通の手紙が届いた。
「ご招待いただいていたのに伺うのが遅くなってすみません」
「来てくれるだけで十分嬉しいぞ。まあ座れ、いや今日はもう仕舞おう」
カウンターを抜けて真斗は暖簾を下げ表の提灯も消灯した。
「すみません」
「構わん。道楽でやっている店だ」
「でもあちらにはどなたかいらっしゃるのでは?」
「黒崎さんだ。ありがたいことにうちを贔屓にしてくださっている。今日は神宮寺も来ているのだ」
 黒崎と聞いてトキヤは思わず立ち上がって座敷のほうへ向いた。
「黒崎さんならご挨拶をしておかなければ」
「行かないでおいてくれ。黒崎さんは今ご息女の結婚が決まったから傷心なのだ。今神宮寺が絡まれ……慰……お相手をしている」
 制止されてトキヤはまた席に座りなおす。そういえば時々座敷のほうからは地を這ううめき声のような何かが聞こえてくる。あれは蘭丸の声なのか。
「レンは頼られると嬉しい人だからどんな目に遭ってもきっと本望でしょう」
「違いない。何か食べるか。いや料理屋でその質問は妙だな。品書きはそこにある。まあここに書いていないものでも作れるものはあるが」
 真斗が差した先には達筆な筆文字で書かれた「今日のおすすめ」がある。文字のかすれ具合からすると印刷ではなく頻繁なペースで書き直されているものではないかと思われる。一点に目がいってトキヤは思わず噴出した。
「なんだ。笑う所などないだろう?」
「すみません、この『今日の味噌汁』が懐かしくて」
「そうだろう? 俺が店をやるならば味噌汁は必ず毎日提供したいと思ってな」
「今日の味噌汁は何ですか?」
「今日は油揚げとわかめだな。油揚げから出る旨みが味噌と合わさっていい味を出している」
「若い頃に戻ったような気分です。ではお味噌汁と魚料理を何かお願いします」
こぼれる様な笑顔を落としてトキヤは注文を告げた。
「一ノ瀬は相変わらず小食なのだな。この前一十木が来た時は何でもいいから美味い肉! と言っていたぞ」
「あれと一緒にするのはやめてください」
「仲が良いのはよいことだ。準備するから少し待て」
「はい」
 カウンター越しに包丁が動く音がする。インスト曲も流れていない店内にはよくその音が響いた。

那月で『Marry me?』

「僕のお父さんはイギリスでチーズ追いかけ祭に参加して、足をひねって処置室に運ばれてその時に出会ったのがお母さんで。一目ぼれして結婚してくださいって言ったんだって」
「坂道を転がるような恋ってやつだね」
「お前んちの父さん熊みたいなのにロマンチストだな」
「おチビちゃん無視しないで!?」

音也で【 うしろ姿 】

トキヤがキッチンに立っているところを見るのはとても久しぶりな気がする。
「約束だったでしょう? 舞台が終わったらカレーを作ると」
と言われて散歩に誘われた犬みたいにしてついてきた。ブログ用の写真を撮っても怒らなかったし背後から見ていても一目で分かるぐらい今日のトキヤはご機嫌だ。

ワールドカップが始まる時期となりました。

「俺この日のために画面でっかいスマホに買い換えた! これで移動中にワールドカップ見られるよ!」
「でかしたぞ音也!」
そしてワールドカップが始まってからというものの音也と翔は暇さえあればふたりで音也のスマートフォンをもって体を寄せ合って画面を覗き込んでいる。騒々しいことこの上ない。

 

「翔ちゃーん」
「おう」
「翔ちゃんったらー聞いてるー?」
「うっせえ那月いまいいところなんだおぶ」
随分と大きななにかにぶつかった。謝ろうと顔をあげた瞬間翔は凍った。
「……美風のところの愚民風情が、よくも……」
カミュの足元ではソフトクリームが無残な姿を晒していた。 #歩きスマホ危険

 

「あなたの辞書には配慮とか遠慮とか言う言葉はないんですか。大体私はサッカーにはさほど興味がありません。勝敗を朝のニュースで知れればいい程度です毎晩毎晩電話をかけてくるのはやめてください翔に言えばいいことでしょう」
「でも俺の好きなことだしトキヤにも知ってほしい!」
「結構です!」

小料理屋聖川

駅前から少し奥に入ったところにその店はあった。ここが料理屋だという主張は控えめなもので気付かなければそのまま素通りしてしまうかもしれない程度だった。夜になるとその提灯には自動で明かりが灯る。提灯には達筆な筆文字で「聖川」と書かれている。夕方からほんの数時間だけ開店する小料理屋だ。

カミュで『独り占め』

本日は私カミュがリリースいたします新曲の試聴を公開致しました。1曲目はいつもの雰囲気の中にもう少し華美なものを取り入れ、2曲目は新しい私をお見せできているのではないでしょうか。雰囲気は違えどどちらも私でございます。お嬢様方の耳を独占できるその日まで今しばらくお待ちください。

*カミュドルソン試聴公開

那月で『甘えてよ』

「きょうは全部僕に甘えると思ってくれていいですよ」
胸を張る那月に対して翔は不安そうだ。
「本当に大丈夫なのかよ」
「ルートはトキヤくんも一緒に考えてくれたから大丈夫です!」
那月主導の街頭ロケがハプニングもなしに終わったことはない。ましてここは特に雑貨屋の多い地域だ。先が思いやられる。

askより: 「防水」「スプレー」「黒」

 赤い、目立つ、信号機みたいだと言われる音也だがいつも着ているランニングウェアというのは地味なものだ。音也自体がとても目立つ存在だと思われているため地味な格好をすると途端に雰囲気が変わってしまうようだった。
 走りこみ自体は劇団シャイニングの頃からの名残だ。蘭丸は日常的に筋トレは欠かしていないというし、ステージ上やスタジオで走り回ることの多い音也にとって続けておいたほうがいいだろうと習慣になった。ただトキヤはそのことについてあまりいい顔をしていない。まだ走っているんだよと言ったときのトキヤはファンに顔バレをしたらどうするのかと、ジムで走ればいいのにと、まるで心配性の母親のようだった。
 ジム通いもまだ続いている。外を走るのは自転車といっしょでもはや音也の趣味のようなものだ。説得される気配はないと悟るとトキヤは小さくため息をついた。
「ならせめて皇居ランはやめなさい。あそこは人が多いですから」
「大丈夫だよちゃんと変装するし」
「あの辺は車通りも多いですからあまり空気はよくないんですよ。だいたい変装した所であの量の人の目を欺けるとでも思っているのですか。思ってるならあなたアイドルのオーラなんて1ミリも出ていないということですからアイドルなんて辞めてしまいなさい」
「トキヤひどい!」

 そんな風にして音也のウェアは上下とも黒くなって、自転車に乗ってるときも使っている鞄だけが赤くてたすきの様にいつもかけられていた。
 走っているときは無心になるという話を聞いたことがあるが音也が土手沿いを走りながら考えるのは次の曲のこと、この後食べるごはん、トキヤとやっている料理番組へのリクエスト料理について、これからの夢、いろんなことが形になっては消えていく。
 今イヤホンから流れている音楽もこれからレコーディングする予定のデモ曲だ。ハイテンポの、音也にしては珍しくダンスナンバーとなる予定だ。新しいことに挑戦できるのは楽しい。ひとつできるようになれば今まで考えようもなかった新しい道と解法が見えてきて、それらを全部ためしていくには時間が足りないと、焦りと楽しさで世界は溢れている。
 何だか急に薄暗くなった気がすると思えば霧吹きのような細い雨が降り出した。この辺は雨宿りできる所も少ない。音也は軽いジョギングから本気の走りに変えた。鞄の中のスマートフォンはともかく服の外にぶら下がっているお気に入りの音楽プレイヤーは防水ではないのだ。
 この辺唯一のコンビニに辿り着いた頃雨は勢いを増した。ぎりぎりセーフだった。
「このコンビニ来るの久しぶりだなあ」
レジの裏側に広めのイートインスペースが設けられたこのコンビニはこの冬音也たちが毎日通った劇場の近くにある。よくここで翔と肉まんを食べたりしていた。さすがに肉まんはもう売られていないが、セシルと半分ずつ食べていた和菓子のコーナーは今も健在だ。
「セシルはこの豆大福が好きだったよなあ……。そういや最近ラーメン食べてないや」
 あまりにも濃い時間だったから思い出すと驚くが天下無敵の忍び道の幕が下りてからまた3ヶ月程度なのだった。あの舞台のおかげで優れた身体能力が求められるバラエティ番組からオファーが来たりしている。だいたい翔もいっしょだ。
 雨はほんの10分ほど降り続いてからりと止んだ。虹がどこかで出ているかもしれない。音也は虹を探してコンビニを出た。

寿嶺二で『たとえばの話』

100歩譲ってね、仮に君が言うとおりあのオーディションが出来レースだったとしてもぼくは全力を費やすのはやめなかったと思うよ。未来の自分がみて目を背けたくなるようなことって死ぬほど後悔することになるよ。ぼくはそのことを知ってるから、もうここしかないから。実家は究極の逃げだよね〜

そうだ、京都へ行こう

「秋の京都なんてとても宿がとれると思わないですが一度行ってみたいものですねと雑談中に少し話したらですよ」
「ああ、聖川じゃなくても自分の育った町がいいところだって言われたら嬉しいもんな」
「私のオフにあわせてご招待していただきました。すべて聖川さんの案内付ですよ。至福の一時でした」

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