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那月と翔と万年筆

 誕生日がやってきた。
 0時ともに翔のスマートフォンは次々にメールを受信している。さっきまで薫と電話していたがその間もメールの着信を知らせる振動が多かった。薫は今電話しても大丈夫かという伺いのLINEが届いて大丈夫だと返事をするとものの5秒もしないうちにかかってきた。今年は大学が多忙で一緒に誕生日パーティができないからせめて1番にお祝いがしたいと言っていた。いつもなら那月を交えて3人で祝うが今年は久しぶりに那月と2人でパーティだ。カレンダーの6/9のところには大きく赤い丸がついてその下には「なつき 20時」という文字がピヨちゃんとともに躍っている。以前那月が来たときに自分で書いていった。
 翔はカレンダーを見ながら昔を思い出す。10年ぐらい前の、成人することは難しいかもしれないと聞かされていた自分はどれだけこの日を迎えられると信じていただろうか。いくら見ても今日は6月9日で20歳になってしまった。成人だ。
「もうちょっと嬉しいもんだと思ってたけど実感沸かねえもんだなあ……」
 いろんな人が誕生日を祝ってくれて嬉しい。でもそれはいわば毎年のことだ。今年はなんか劇的な変化があるのではないかと思っていたがどこにもそんな要素はなかった。とりあえず明日も仕事だ。今日よりはゆっくりめに出られるから助かる。届いたメールに返信をしてベッドに入った。

 今日のパーティの店は翔が選んだ。那月は普段から「いい匂いがしたから」とか「軒先にいた猫が可愛かった」とかで店を選ぶことが多くて、しかもその立ち寄る店のほとんどはスイーツ系ばかりだ。元々ジャンクフードが嫌いということもあるがふつうにごはんが食べられる所となると那月の手札は少ない。そこで店のセレクトは翔が担当することになった。「翔ちゃんが選んだ店ならたぶん美味しいと思う!」と全幅の信頼を寄せられ、そこまで期待されれば応えなくてはいけないと念入りにリサーチしたが結局よく行く半個室の洋食屋になった。誕生日プランはホールケーキを用意してくれるとのことでこれなら那月も喜ぶはずだ。翔は先に店にやってきて、 スマートフォンを触りながらぼんやりしていたら席を区切るロールカーテンがあげられ待ち人が到着した。
「翔ちゃんお待たせしました!」
「おお、お疲れー。撮影どうだった?」
「スムーズに進みましたよぉ。久しぶりだったからはじまるまではちょっと緊張したけどカメラマンの方はいつもの方だったのでリラックスして臨めました。公開していい時期になったら翔ちゃんには一番に見せるね。翔ちゃんは」
「俺はいつものラジオ番組の収録だけ。収録終わりでケーキが出てきてさ。聖川がわざわざ作って持ってきたんだってよ」
「ええ~僕も真斗くんのケーキ食べたかったです」
「すんげえ美味かったぞ。スタッフの皆で全部食べた。俺が一番苺が乗ってるところ切り分けてくれてさ。聖川のやつケーキまで作り始めて将来は店でも開くつもりか? って言われててさ」
 那月との話は大体いつも最近の仕事の話から始まる。だからお互いの仕事と今後についてはやたらとよく知っている状態になるがこれが音也に言わせると「那月と翔はいつでも仲がいいね」ということになるらしい。
 コース料理は進んで行きケーキまでたどりついたところでプレゼント交換となった。今年はいつもよりもいいものを選んだという自負があるのかリボン付の袋を手に那月は目を輝かせている。
「翔ちゃん、誕生日おめでとうございます!」
「誕生日おめでとう、那月」
 お互いの祝いの言葉とともにプレゼントが渡される。那月からのプレゼントは袋の割に思ったより軽い。中に入っている箱もスマートフォンより少し大きい程度だ。那月は時々手元を見ながら翔の動向を伺っている。餌を目の前にした犬のようで翔は思わず噴き出した。
「開けていいぞ」
 許可されて那月は包装紙を破らずテープのひとつひとつをそっと取った。包装紙はもっとびりびりに破いたっていいのにと言ったことがあったがそのときの那月は「この包装紙だって翔ちゃんからもらったものだから綺麗に置いておきたいんです」と言っていた。実際歴代の包装紙も那月の部屋で丁寧に保管されている。大きめの包装紙の中から出てきたのは那月が大好きな黄色いひよこだ。
「わぁ! この前出たピヨちゃんだ! 嬉しいな、まだお店に見にいけてなかったんですよ。思ってたよりしっかりしててお膝の上でぎゅうってするのにちょうどいいサイズですねえ翔ちゃんありがとう」
 新しいピヨちゃんぬいぐるみが出るというのは随分前に那月から聞かされていた。写真も幾度となく見せられていたが、スケジュール的には誕生日より前に那月が買いに行くことは出来ないだろうと分かっていたから今年のプレゼントは随分前に決まっていた。ぎゅうぎゅうと抱きしめながら笑顔でお礼を言われるとこちらまで心が暖かくなる。
「おう、じゃ今度は俺があけるぞ」
「今年は何にしようかなって悩んだんですけど、トキヤくんにも協力してもらいました」
「へぇ、いつも自分で決めてるのにトキヤって珍し……うお、すっげえ……」
 リボンを解いて箱を開けると中には柔らかそうな布が敷かれておりその上に筆記用具が置かれている。深い緑色をしている。ふつうのボールペンのようなものをかと思えば中が多少透けて見えるところから察するとこれはペンではなく万年筆だ。
「俺万年筆とかそういや持ったことねえな。トキヤのやつが使ってるところはよく見たよ」
 よく見ると軸の部分にはSHO KURUSUと書かれている。翔は万年筆を持つのは初めてだが、実際に持ってみると大きさと重さが手にしっくりとなじむことがわかった。ペン先を眺めたりくるりと手の中で回してみたりして思わずため息をついた。
「すっげえ……大人って感じするわ……。那月サンキューな。お前ってプレゼントのセンスは毎年すっげえいいよな」
「喜んでくれてよかった。20歳だからうんと特別なものがよくって、翔ちゃんはかわいくてかっこよくておしゃれさんだからそういうのがいいなって思って、何本かはトキヤくんに選んでもらってあとは僕が決めました。この子はパリの森の奥で職人さんが1本1本手作りしたんだって。子どもの頃を思い出したらこの子にしよう!って思ったんです」
 那月は腕の中のぬいぐるみを脇において翔の目をまっすぐに見つめて、とろけるような笑顔を浮かべた。
「20歳の誕生日おめでとう。生まれてくれて、僕と出会ってくれてありがとう翔ちゃん」
 今とても幸せだとばかりに目がきらきら光っている。好意を全身で伝えてくる那月を直視するには照れが勝って目を逸らす。
「なんだよ大げさなやつだな」
「大げさなんかじゃないですよぉ。生まれて来た時は元気じゃなかったかもしれないけど今の翔ちゃんは元気いっぱいで誰よりもキラキラしたアイドルさんで、僕の親友ですから。翔ちゃんと仲良くなれてよかったなあって僕は事あるたびに思ってますよぉ」
 翔は目の奥がじんわりと熱くなっていることが分かった。それでも顔を隠すための帽子は脱いで椅子の縁にかかっているし感情のままに流してしまうのもプライドが赦さず変に天井を見たまま話し始める。
「……俺さ、20歳になったらもっと嬉しいもんだと思ってたけどそんなこともなくって、変わんねえんだなって思ったけど、そうやって喜んでくれるやつがいてようやく実感わいたわ」
「翔ちゃんは自分が思ってるよりずっとずっと周りの人に愛されてるから明日もいっぱいおめでとうって言われるよ。今日もいっぱいメール来たでしょ?」
「おい那月、その辺で勘弁しろ俺もうすげえ泣きそうだから」
「ケーキが美味しくて泣いちゃったって言えばいいんですよ」
「その言い訳だれが信じるんだよ」
 翔が食べたそのショートケーキは甘かったはずなのに少し塩辛かった。


前日譚トキヤと那月と万年筆

那月で『Marry me?』

「僕のお父さんはイギリスでチーズ追いかけ祭に参加して、足をひねって処置室に運ばれてその時に出会ったのがお母さんで。一目ぼれして結婚してくださいって言ったんだって」
「坂道を転がるような恋ってやつだね」
「お前んちの父さん熊みたいなのにロマンチストだな」
「おチビちゃん無視しないで!?」

ワールドカップが始まる時期となりました。

「俺この日のために画面でっかいスマホに買い換えた! これで移動中にワールドカップ見られるよ!」
「でかしたぞ音也!」
そしてワールドカップが始まってからというものの音也と翔は暇さえあればふたりで音也のスマートフォンをもって体を寄せ合って画面を覗き込んでいる。騒々しいことこの上ない。

 

「翔ちゃーん」
「おう」
「翔ちゃんったらー聞いてるー?」
「うっせえ那月いまいいところなんだおぶ」
随分と大きななにかにぶつかった。謝ろうと顔をあげた瞬間翔は凍った。
「……美風のところの愚民風情が、よくも……」
カミュの足元ではソフトクリームが無残な姿を晒していた。 #歩きスマホ危険

 

「あなたの辞書には配慮とか遠慮とか言う言葉はないんですか。大体私はサッカーにはさほど興味がありません。勝敗を朝のニュースで知れればいい程度です毎晩毎晩電話をかけてくるのはやめてください翔に言えばいいことでしょう」
「でも俺の好きなことだしトキヤにも知ってほしい!」
「結構です!」

那月で『甘えてよ』

「きょうは全部僕に甘えると思ってくれていいですよ」
胸を張る那月に対して翔は不安そうだ。
「本当に大丈夫なのかよ」
「ルートはトキヤくんも一緒に考えてくれたから大丈夫です!」
那月主導の街頭ロケがハプニングもなしに終わったことはない。ましてここは特に雑貨屋の多い地域だ。先が思いやられる。

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負 「夢の中で」「交差点」「カンカンカン」

 昨日すごい夢を見たんです、と那月は少し疲れた顔をして言った。Tシャツの背中の部分が汗で貼りついている。
 ST☆RISHツアースタートが近づいている。初日は7月大阪城ホールだ。ずっと関東での公演のみだったがはじめてのツアーで決めることも覚えることも増えてあわただしい日々が続いていた。
「もうずっと追いかけられている夢を見てて、もう駄目だーっていうときにピヨちゃんが降ってきて、僕の後ろを追いかけてた何だかよく忘れましたけど、それをぷちって潰してました」
 那月はダンスを覚えるのがそんなに早いほうではない。お前はやればできるんだからやれよ、ということで那月との仕事が終わった後そのまま翔も一緒にスタジオにやってきた。シャイニング事務所持ちのスタジオがあるということはしみじみありがたいことだなと思う。練習場所を考えなくてもここに来ればいいのだ。体格はまるで違うが動きぐらいなら翔が実演することだってできる。練習用のDVDをおいて確認していく。
今日の練習はまだこの後あるからあまりやりすぎてはいけない、と壁にもたれかかって休憩タイムに入って那月が話し始めたのが今だ。
「どんだけ追い詰められてるんだよ。ツアーはまだはじまってもないし今年はついに揃ってカウコンだって出られるんだぜ? 去年は寿先輩と黒崎先輩が出てるのをテレビで見るだけだったけどさあ」
「でもね、そのピヨちゃん中から翔ちゃんが出てきたんです。夢の中でも翔ちゃんはかわいいスーパーマンでしたよ」
かわいい、といわれて翔は思わずタオルを握る手に力が入る。
「うるせえ可愛いって言うな褒めたいならかっこいいスーパーマンって言え」
「だって可愛いピヨちゃんの中から翔ちゃんが出てきたらそれは可愛いって思うんだけど。翔ちゃんはどんな夢見る? 僕が出てきたりとかしない?」
「夢なあ……」
 聞かれて翔は最近の夜を思い起こす。ここ最近は熟睡してしまって、夢そのものは見ているのかもしれないが起きるまでその夢を覚えていることがなかった。
「最近はあんま夢見た! っていうのは覚えてないけどデビューしたての頃は俺だけ行き止まりの夢をよく見たなあ……」
 早乙女学園在学中に鳴り物入りでデビューしてうたプリアワードを獲得してとんとん拍子でステージを進んでいったST☆RISHだったが、翔は他のメンバーほど天性の才能を持ち合わせているわけではなかった。「親しみやすい翔ちゃん」が人気の理由だが、周りと比べて不足を感じないわけはない。
「7人揃って歩いてて、交差点が見えてきて、踏み切りじゃないはずなのに俺にだけ遮断機が下りてきて、皆は普通に歩いていってるのに俺だけそこで止まってるんだ。待っても遮断機は全然あがらなくて、名前を呼んでも音がうるさくて誰も振り返らなくて」
 昔は不安なことがあったら入院していたころの夢を見ていたのに、そういえばいつからかあの夢は見なくなった。代わりに見るようになったのがこの夢だった。なまじ繰り返し見るものだから「この前の続きだ」などと思ってしまうこともあった。
「翔ちゃん僕の名前もちゃんと呼んでくれました?」
夢の中の話だというの那月は若干不満そうな顔をしている。
「お前なんか隣歩いてたはずなのに一番最初に追い抜いていったっつうの」
「今度はもっとちゃんと呼んでください。走って戻って踏み切りぐらい僕が持ち上げますよ」
「いらねえよ。もうあの夢見てねえから。覚悟が出来たって事じゃねえの? この世界で勝ち上がって、7人そろってトップアイドルを目指すぞ。その手始めがこのツアーだ。持ち歌シャッフルとかもあるんだからしっかりしろよ」
「僕はレン君の歌を歌えるのが楽しみです。闘牛士になったつもりで頑張りますよぉ」
「よしその調子だ! 気合入れていくぞー! 再開だー!」
「おー!」
翔はスポーツドリンクを一気飲みして立ち上がった。

那月で「頑なに拒む両手」

翔の手はしっかりと両手で那月の腕を掴んでいる。同性とはいえ那月の力なら余裕で振り切って逃げられるだろう。でもさっき正面から翔の顔を見てしまった。説明するまで俺の前から消えることは許さないという気迫に溢れていた。もうすぐ藍も追いついてしまう。潮時だ。翔のあの瞳には勝てない。

四ノ宮那月で『生き方は似ているのです』

手元の楽譜に目を落とす。いつもなら音符が踊って見えるのに今日は皆どこかへ隠れてしまっている。
「朝起きてごはんを食べて音楽を作ってピヨちゃんたちを日向ぼっこさせて」
楽譜で顔を大方隠しながら目だけ向かいを見る。
「でもここには翔ちゃんがいないから似ている生活でも全然違う。寂しかった」

那月で『四十五秒以内の逢瀬』

手元にある最新の那月はスマホの中だ。ある日動画付きのメールが送られて来た。45秒少々のその動画は最初はひたすら地面を映しておりこれで大丈夫?などという那月の声が聞こえ、ようやく顔が映る。しかしそれもやたらアップで「翔ちゃん、僕はいま」で終わっている。ちゃんと教えておけばよかった。

那月で『どんな言葉よりも』

どんな褒め言葉よりも翔ちゃんに褒められた時が一番嬉しいと言っていた那月は今ここにいない。犬が散歩に行くみたいにして準備を整えてお気に入りのスーツケースを転がしてちょっと行ってきますと言ったまま帰ってこない。そういえば行き先を言われなかったなと気付いたのは少し経ってからのことだ。

那月で『普通の尺度』

「普通の尺度では測れない」という那月への評価は誰しもが通過するところだったが、翔にとっての那月はもっと身近な存在だった。確かに理解しがたい行動は多かったがお互いによき理解者で無二の友人だった。2人はずっとこのままなのだろうと思っていたがある日その均衡は崩れることとなる。

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