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数十年後のBLOODY SHADOWS

 ずいぶんと永く生きてしまった。
 


 私が若い頃、村には生贄の風習があった。最後の生贄が私だった。私は当時の婚約者に助けられ、吸血鬼は村から去り生贄を捧げる風習から解き放たれた。対価として彼は吸血鬼に身を落とし人間としての生を失ってしまった。
 彼は村長の息子で私は村で一番の大地主の娘、その地位を固めるための家同士の結婚だったけど彼と過ごした時間は幸せなものだった。花嫁衣装を着ることはなかったけど、彼と結婚したものだと思っている。
 私は「この塔に入った娘は二度と帰らない」とされた生贄の塔から生き延びてしまった。家に戻った私の顔を見て家族は幽霊を見たように恐怖に顔を歪ませ叫ばれてしまった。
 死んだはずのかつての「誰からも愛される美しい娘」は屋敷の奥深くで息を潜めて生きることになった。私が生きていることを知っているのは昔から家に仕えるごく僅かな使用人のみで、父はほとぼりが冷めてから私を村から遠く離れた修道院に放り込んだ。ていのいい厄介払いだ。あれから一度も帰らなかった。
 
 あっという間に年老いてしまった。
 寝る前にいつも思い出すのは生贄の塔でのあの夜のことだ。婚約者と手を握りあって笑顔でいてほしいと言われたことだった。ふと気がつくと窓辺でカーテンが揺れている。年若いシスターが退室の際に閉めていったはずだ。こつりと足音が聞こえる。
「ご婦人、夜更けに失礼する」
 そう声をかけてきたのは落ち着いた男性のものだ。不思議なことだが若いようにも聞こえるし深みと年月を重ねた壮年の男性のような声色をしていた。
「どちら様、かしら……。ここは男性が立ち入る場所ではありませんよ」
「重ね重ねご無礼申し上げる。どうしてもご婦人に一目お会いしたく……」
「こんな年老いた私にどんな御用……あら、あなたは」
 蝋燭に照らし出された青い髪と白い容貌に息を呑んだ。もう何十年前になるだろう。あの生贄の塔で別れた婚約者があの時の姿のままで立っていた。
「…………あなたは、変わらないのね……」
「覚えていてくれたのか。お前は年を重ねても綺麗だな。……できれば一緒に年を重ねたかったが」
「ごめんなさい、耳が少々遠くなってしまってね。もう少し近くに来ていただける?」
 あの時繋いだ手が今また目の前にある。そっと触るとひどく冷たくて一度止まってしまったがあの時のように強く絡めた。
「驚いたか? 俺はもう人間ではないから温もりもなにもない」
「この手のことを忘れたことはないわ。あなたの温もりは私が覚えている。私の方こそ皺々の手になってしまって恥ずかしいけど、会いに来てくれてとても嬉しい。今夜は私が眠るまで傍にいてくれる?」
「そのつもりだ」
 それから月が隠れるまで私は彼とこれまでのことを話し続けた。
 彼に置いて行かれた私が、もうすぐ永遠に彼を置いていく。
 

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