カテゴリー「 エッセイ・ガイド 」の記事

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海馬が耳から駆けてゆく〈3〉

エッセイ3冊目。このシリーズはすごく飛び飛びで読んでいるのが分かったので間を埋め中。
ウリナリがやっててケディがでたところですごく時代を感じた。毎週見てたよー。

スペイン旅行の章で、スペイン人に英語で話しかけて、英語が通じず(今は知らないけどスペインではつたない英語は異国語らしい。)スペイン語で返されてなんだか分からない!とか言ってるのに段々聞き取れるようになってるのがすごい。「?とスペイン語だが言われた気がした」でその通りになってるのでびっくりした。スパルタ英会話教室。

深夜に、ふと続き物の漫画を読み始めてしまった。弟の所有物だ。だがどうしても最終巻だけがない。きっと弟の部屋だ。彼は爆睡している。明日を待つのが理性だ。でもどうしても最終巻が読みたい!!
 と私は懐中電灯が無かったので蝋燭の火を灯し、弟の部屋でそっと最終巻を捜索していた。
 しかし、丑三つ時、彼は捜索の気配に気付いてか目覚めてしまった。
「ひっ……っ!」
目覚めると深夜の暗闇に蝋燭の火がぼうっと浮かび、誰ともわからぬ人影が。
「起こしたら悪いと思って」
と言い訳すると、
「夜中に目が覚めて蝋燭もった人が立ってるの見たこっちの身にもなれ!」

(P260)

絲的サバイバル

ひとり、時々複数人で関東甲信越やセネガルでキャンプをしてみた。
サバイバルというかアウトドアです。読んでる途中豚汁がとても食べたくなりました。
神奈川県三浦市でキャンプの章もありました。

名前を出すわけにもいかないので便宜上彼のことを「宇宙人」と呼ぶことにする。

ふーんと思いながら次のページ、「宇宙人が懇意にしているという魚屋『まるいち』」
どう考えても宇宙人=いしいしんじじゃないかああああああああと思った。意外なところでの邂逅。

日頃霊感なんかはない。怖い思いなんてしたことがない。けれどここは、びんびん感じるのだ。
出た、なんてもんじゃない。気がついたらそこかしこに出ている、という感覚。(略)
見えないんだけど本当に聞こえるのだ。
具体的にどんな音かというと、正面からはものすごくスローで暗いディキシーランドジャズみたいなの、男の声、四人か五人歌っている、楽隊もいる、右からは鳩笛、これは女三人ぐらい、後ろからは、ざざ、ざざ、という引きずるような不規則な足音ですよ。

(P132)

海馬が耳から駆けてゆく

これがはじめてのエッセイだったらしい。11年前だった。菅野さんまだ27歳だった。

わたしがエッセイでなにを愛するかというと身内ネタである。家族ネタである。
もっというならきょうだい(姉弟・姉妹・兄姉弟ならなおよい)ネタだ。母と娘もおいしくいただける。
そんなわけで家族ネタが大変多いこの本はとても美味い。
あと11年前の本なのにあとがきで「インフルエンザの日本上陸を阻止します」とかいってて、歴史は繰り返すとかおもった。

 今このエッセイを読んでいる読者さんに、純真な中学生はいるだろうか。どうだろう、君の女友達が、君の好きな男の子と二人きりでバイクの修理に出かけてしまったら。女友達は君がその男の子にメロメロだとよく知っているんだ。ちっとはぐれるだろ?
 でもね……大人になってしまうとね……昼日中に二人で出掛けたからってなんだっつうのよということになってしまうんだよ……。

(P124)

言われてから気づいたよわたしもそんな青い心はいつの間にかなくしてしまったよ!
飲み会にいっても私は青いときの話(誰が好きだったとか)はほとんどしない。そんな話をする子は幼小中高一緒で特に高校は3年間クラスも部活も一緒だったので多少のヒントで特定余裕なのである。やばい。

姉弟の間には、親には絶対に言えない秘密というものが沢山あるのだ。
「き、貴様それを言うか……っ。俺だってみんな知ってんだぞ。おめえは(本人の名誉のため——以下同文)」
「ああっ、それを言ったわね! あんたの補導回数は、本当は2回じゃないのよね!? シンナーだけはやんなかったのが唯一の自慢なのよね!?」
と、喧々囂々姉弟は醜い骨肉の争いを繰り広げた。
気が付くと母が、遠い、遠い空の彼方を見つめている。
「……刑務所にだけ入らないでくれて、本当にありがとう」
「い、いや、そこまで言われるほどのことでは……」
「ついでに、これからも入らないでくれると本当にありがたいんだけど」
「恐れ入ります」
恐縮して姉弟は、思わず頭を下げた。

(P183)

荒野のヒース、荒野に咲いた一輪の白い花。たおやかで可憐な白い花のようなその人の名を、それでも憚らずここに記そう。
ウッチャン。う……内村光良である。ウッチャンナンチャンのウッチャン。……ちょっと恥ずかしい。荒野とは主に南原清隆のこと……。

(P211)

不健全な精神だって健全な肉体に宿りたいのだ〈3〉

1巻の時点では確か結婚を目指して頑張ってみたり、断食してみたり、ヨガとかフィットネス方面を体験してみたりとかそういう内容だったんですがこの巻はかなり体育会系……

芦ノ湖ウォーキング(22キロ)に参加してみたり9時間かけて縄文杉に会いに行ったりピラティス体験してみたり。ピラティスが整体+運動と聞いてちょっと興味を持った。やべえとか思ったのは明日すごくいい天気の中朝から超長距離歩くよって分かってるのに、深夜までだらだら酒を飲む→翌日二日酔いコンボ。

溶けてなくなりたくなるような、ピーカンである。
わざわざ書かなくてもいいようなことだが、私たちがただの旅人ならいいさ……けれど昨日さんざ飲んだ朝八時半から芦ノ湖畔を一周する人……ねえ何処の誰? こういうイベント企画する人!! 私も鈴木も椅子に根が生えてるの抜いてきたから、ちっともこのピーカン有り難くないよ!

(P138)

孕むことば

妊娠出産育児と翻訳・文学・ことばをからめたエッセイ。
40歳ではじめて子ども(娘)を産んで4歳になるまで。翻訳のココロのほうが好きだったりする。

好きなことさえ見つかれば、きっとアンパンマンがその夢を守ってくれるのだろう。好きであることが大事。自分にあった仕事にしよう。優劣を競うな。ナンバーワンよりオンリーワンを目指せ。

(P103)

日本の経済と雇用の平和を守ってよアンパンマーン。
ちなみにこの後は好きにしなさいと言われ夢がうまっているよと煽られるだけはしんどいのではないかーと続く。

物の本によれば、不謹慎な、汚い、エッチなことばを、言ってはいけない場で言ってしまうのは、「汚言症」というらしい。言語の正常な発達過程で4?5歳ごろの子どもにも、そういった傾向があらわれるという。

(P134)

うつ歴十年、色恋妄想

タイトル通りのエッセイです。そんなに明るい方面ではないけど妙に惹かれるものがあったので……

布団かぶり、とも称している。うつが来たら文字どおり、寝床から出られなくなる。いったい今度で通算何百回目だろう。(略)軽いときには長風呂や長散歩、幸運なら半日ほどの布団かぶりを経てうつは遠のく。原稿も下書き程度なら書ける。が、重くなるほど薄い眠りと濃い不安感と、深い絶望感とに交互に襲われ、ひどくなると一日二十時間くらい布団から出られない。

(P8)

こんな感じで始まる。
入眠エスコート(シマシマ みたいな感じ)は商売として成り立たないかと考えたり、旅先(海外)で会う予定の彼氏にドタキャンされて、ファミリーとカップルが泊まる部屋にはさまれて「もうひとりで○○するのは嫌だ!」と延々書き殴ったり、北米の自殺防止センターに電話をかけたりとても赤裸々だったりする内容でした。ちなみにうつ病の完治が本の終わりではないです。

再婚生活をちょっと思い出した。
再婚生活はここまでではないけど。

彼女は、わたしが泥沼の底から這い上がる間ずっと伴走してくれた。ゆえに、再びわたしがへこむのを想像したくないのだ。うんと若かったり、場所が離れていたりする相手に惚れた挙げ句、恋煩いが重篤状態に陥ったり、あっさりフラれてうつ地獄へ逆戻り。そんな展開を恐れるが故の助言と解釈している。

(P177)

めっちゃ心当たりある、と思った。(友達がここ数年このパターンなのだ

刺激的生活

生活に根付いたエッセイだった。
検査とかゴミの分別とかジムに入会すること数度にわたるとか洗濯乾燥機と戦うとか。
軽く読める。おもしろい。

が、その先、五十キロはどうしても割らない。体重計の針が五十以上に固定されてしまったかのように。
十の位が常に四であり続けたのは、過去のことか。2度と還らぬ数字なのか。

(P78)

みみがいたい。

CHICAライフ

ユヤタン面白かったよな……と思って再度借りてくる。
そしたらその日の夜のついったーがユヤタン祭りだった。何なの予知なのっておもった。
タイムリーで凄くびびった。

笑えるエッセイを好きな人に。あと佐藤友哉ファンにも。だめんず率たかいです。

さらには美術館や映画館に行ってもチケットを買うことができない。待ち合わせ場所が分からなくても交番や通行人に聞けないので、しょっちゅう道に迷う。知らない番号の電話には絶対出ない。美容院などもってのほかで、髪型はすべて自前なため、素人のくせに妙にカットが上手い……等々、その極端さは日常生活に支障をきたす域に達しているのだった。

(P127)

骨董屋の盃手帖

えりんぎゾーンだ!と思って借りてくる。
タイトルの通り盃がいっぱい載ってる本。カラーで焼き物の説明が軽く載っている。
常滑が出てきたのでこれがそうか!っておもった。

「本の雑誌」炎の営業日誌

日記本。今も炎の営業日誌として更新が続いている日記の2004年から2008年5月までの一部(全部を収録するのはできないから選んでちょっと書き直したりもしてるらしい)

本屋めぐりをする営業マンとして・熱狂的浦和レッズファンとして・2児の父として。
本と本を取り巻く環境について。2004年は本屋大賞が始まった年で、それに関することもたくさん。

またネットやメールによって「現在の若者たちほど習慣的に活字を読みかつ書くような若者がこれほど大量に出現した時代っていうのは多分なかったはずだ」というのも納得できる。ただし、である。
だから何なの? と疑問を感じてしまう。
なぜなら僕は出版社で働いているからだ。出版社の商品は活字ではなく、あくまで本や雑誌なのだ。どれだけ若者がメールやネットで文章を書こうが読もうが、彼ら彼女らが、本を買わなければ、僕らに利益は生まれないのだ。(略)
僕が憂えているのは、そういった活字という原材料のことではなく、本離れ、あるいは単刀直入に本が売れないことなのだ。

(P46~P47)

書店員さんの待遇はもう使い捨てといって良いような状態で、意欲があって、能力もある書店員さんが生活のため辞めていかれるのはしょっちゅうだし、ベテランの書店員さんなんていうのは、ほんとうに少なくなってきている。本来書店員という仕事は、経験職のはずなのにこんなことで良いのだろうかと思うけれど、そういうところに追い込んでいるのは僕たち出版社なのかもしれない。

(P103)
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